勇者と魚を捌く

「すまないが、全部譲ることはできない。今朝獲れた中からオルスの店に卸したり、地元の人に売ったりするんだ」


 クーデリアはそう言いながら魚を交互に持ち替えて、どんな種類の魚があるかを見せてくれた。

 鮮やかな青色の魚体はブダイの一種で、それ以外にはハタやフエフキダイの仲間があった。

 バラム周辺で海水魚を見かけることは稀なため、とても新鮮な感じがする。

 

「あたしは海の魚に詳しくないから、クーデリアさんが選んでくれていいよ」


「俺も詳しくないので、よかったら見繕ってもらえると助かります」


「それなら任せてもらおう。オルスが刺身にしたがっていたブダイを除いて、あとは適当に焼いてみる」


 クーデリアがブダイを木箱に戻すと、アカネが安堵するようなため息を吐いた。


「んっ? どうかしました?」


「いや、あの青い魚を食べるのは勇気がいる……」


「ああっ、なるほど」


 日本人でもブダイを食べたことがない人はそんな反応をしがちだった気がする。

 転生前に食べた記憶はあるものの、俺自身も詳しいわけではない。


「包丁が使える者がいたら、下処理を手伝ってもらえないか?」


「俺はできますよ」


「私も手伝うっす」


「リンとは何度か一緒に捌いたな」


 海の近くに住んでいるだけあって、リンは魚を捌くのに自信があるようだ。

 俺自身の経験は精肉が中心ではあるものの、包丁の扱いには慣れている。

 クーデリアに指示を出してもらえば、多少の手伝いはできるだろう。


「浜辺は日差しが強いから、二人はここで休んでいるか?」


「じゃあ、お言葉に甘えて」


「姫様は夜更かされましたから、無理なさらないでください」


 というわけで、ミズキとアカネは浜小屋に残ることになった。

 一方、俺とクーデリア、それにリンの三人で外に出た。


「いつも下処理をする時はあそこでするんだ」


 クーデリアは少し先の砂浜にある、沖に伸びた桟橋を指先で示した。

 リンは何度か経験があるみたいで、クーデリアの言葉に無言で頷いた。


「昨晩、オルスさんと遅い時間まで酒を酌み交わしました」


「彼は愛想がいいとは言えないが、話すのが好きなところはある」


 オルスのことに話題が及ぶと、クーデリアは楽しそうに微笑んだ。

 

「マスターは開店準備があって、今は仕込みの最中っす」


「俺も料理店を営んでいるんですけど、料理の種類が多いと準備も時間がかかります」


「私たちのヤルマの生活は思いつきで始まったようなものだが、彼はよくやっているよ」


「そういえば、オルスさんとは長い付き合いでしたっけ?」


 リンが近くにいるため、勇者と魔王という単語は使えない。

 思わずたずねてしまったが、彼らの平穏を保つためにもその部分だけは守りたいと思った。


「うん、そうだ。ずいぶんと長いな……」


 クーデリアは水平線の向こうを見据えて、どこか遠い土地へ想いを馳せるように見えた。 

 

 一旦、会話が途切れて、目的の桟橋に到着した。

 木製の小舟が数隻係留されていて、地元の人が使う場所のようだ。


「そういえば、君の名を聞いていなかった。教えてもらえるかな?」


「マルクです」


「マルクは魚を捌いた経験は?」


 クーデリアは魚を桟橋の上に置いて、持ってきた荷物から包丁を取り出した。

 そして、そのうちの一本をこちらに手渡してくれた。

 鞘のように刃を覆うカバーを外すと、研ぎ澄まされた刃が出てきた。


「地元で何度か機会はありましたけど、そこまで得意ではない感じです。それにしても、これは手入れが行き届いてますね」

 

「自分の剣を扱うように、こまめに磨いていたらこうなったんだ」


 クーデリアは少しばかり恥ずかしそうな様子を見せた。

 褒められて照れているのかもしれない。

 彼女は勇者である前に一人の少女――悠久の時を生きていたとしても――なのだと思い知らされた。


 リンの方に目をやると率先して魚に刃を入れて、腹から不要な部分をかき出している。

 桟橋から海面に下りられるように段があり、彼女はそこで作業をしていた。

 水中に撒かれた魚のワタなどに近くの魚が寄ってくるのが見えた。


「この辺りは魚が多くていいですね」


「ヤルマ周辺はだいたいこんな感じだ」


 クーデリアは穏やかな笑みを浮かべて、海面へと目を向けた。

 

「それでは、見本を見せてもらっても?」

 

「うん、そうしようか」


 クーデリアは張りきった様子で立ち上がった。

 一匹の魚を手に取り、リンの隣へと移動する。

 俺はクーデリアの後ろに立つかたちで、作業を見守ることにした。


「この包丁はよく切れるから、指を切らないように注意してほしい。魚自体も力を入れなくても切れる。今日は丸焼きにするから、鱗を落とす必要はない」


 クーデリアはこちらに説明しつつ、慣れた手つきで包丁を動かし始めた。

 魚の腹の部分に刃が入り、開いた後は手早く中身を出していった。


「クー様、こっちのアカハタなんだけど、刺身にしていいっすか? お客さんたちに食べてみてほしいっす」


 リンは型のいいハタを手にしてクーデリアにたずねた。  

 彼女の言葉から俺たちへの気づかいが感じられてうれしい気持ちになる。


「うん、問題ない。卸す分は向こうに分けてある」


「ありがとうございます! 鱗取りを借りるっすね」


 リンは桟橋の上の方へと段を上がっていった。

 刺身にするために鱗を落としてくれるのだろう。


「彼女のお母さんもそうでしたけど、ヤルマは人柄のいい人が多いと思いました」


「うん、私もそう思う。余計な詮索をしてこないし、こんなに住みやすい土地はなかった」


 クーデリアは満足げな表情を浮かべて、魚の下処理を続けた。

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