恐ろしい何かと城下町への到着

 生きた心地がしないまま、牛車は湿原の中を進んでいた。

 ミズキとの会話が途切れると、水牛が水をかき分けて進む音だけが聞こえてくる。


 ちなみにゾンビたちは気配がするばかりで、ほとんど音を立てていない。

 明らかに何かいるっぽいんだが、一定の距離からは近づこうとはしない状況だ。


「あの……湿原を抜けるまで、どれぐらいかかりそうですか?」


 俺は額に浮かんだ脂汗を拭って、前を向いているミズキにたずねた。


「ふふっ、声が震えてるじゃん。もう少しで安全な道に出れるよ」


「ああっ、そうですか。ひと安心です」


 俺は安堵を覚えると同時に、身体の力が抜けるのを感じた。

 

 ――と、その時だった。

 茂みの向こうで何かが動いたように見えた。

 アンデッドが近づけないことは腑に落ちているのだが、本能的な感覚でその方向に焦点を合わせていた。

 

「……あれっ、動物だったか」


 どうやら、緊張感が高まっていることで、思わず反応してしまったようだ。

 ここは深呼吸して、心を落ちつけよう。


 鼻から空気を吸って、口から息を吐く。

 それを何度か繰り返すうちに、呼吸が整って落ちつきを取り戻すことができた。


「ゾンビなんて怖くない、アンデッドだって怖くない」


 平常心に戻りつつあるが、恐怖心を拭いさることはできないままで、思わず妙なことを口走っていた。

 当然ながらミズキの耳には届いたようで、苦笑いするような声が聞こえてきた。


 恥ずかしさに顔が火照るのを感じた直後、再び茂みが揺れ動いた。

 牛車は進み続けているので、同じ速さで並走しているように見えなくもない。


「……いや、まさかな」


 ミズキが前方を警戒してくれているとはいえ、不審な兆候があれば見逃すわけにはいかない。

 緊張感で言葉を発することができないまま、茂みの方に注意を向け続けた。


 すると、何かが草むらの陰から姿を現した。


「――ひっ、ひゃあああ!?」


 それがゾンビであるか、アンデッドの一種なのかは分からないが、見てはいけない何かが見えた気がする。

 



「――ルクくん。……マルクくん、大丈夫?」


「……うっ、何がありました?」


「聞きたいのはこっちの方だよ。急に倒れちゃって」


 意識がはっきりしてくると、少しずつ状況が掴めた。

 ミズキだけでなく、アデルとハンクも心配そうにしている。

 俺は客車に横たわっている状態だった。


「すぐに起き上がらない方がいいぞ」


「ミズキから聞いたのだけれど、さっきの湿原はアンデッドだらけだったって、本当の話なの?」


 ハンクは心配してくれているようだが、アデルは湿原の真実を知ってしまい、気が気ではないようだ。

 おそらく、俺にアクシデントがあったことで、ミズキが説明せざるを得ないような状況になったのだろう。

 気丈なエルフである彼女の顔が青ざめており、本当にアンデッドが苦手なのだと再認識した。


「……牛車は動いてませんけど、ここはどこですか?」


「湿原は抜けたから、もう安心して」


 ゆっくりと上半身を起こすと、客車の外に見えるのは渇いた土の地面だった。

 気を失う直前に見てはいけないものを目にした気がするものの、記憶が曖昧で思い出すことができない。


「……たまに聞くんだよね。湿原でおぞましい何かを見てしまった人の話を」


 ミズキはこちらから視線を外すと、独り言のように口にした。


「心配させてしまって、すいませんでした。もう大丈夫なので、移動を再開してください」


「ここからサクラギまでそう遠くないから、調子がよくない時は言うんだよ」


「お気遣いありがとうございます」    

 

 俺の様子を見て大丈夫だと判断したようで、アデルとハンクは車内の定位置に戻った。

 ミズキはこちらを見やった後、御者台に移動した。


「じゃあ、出発するよ」


 彼女のかけ声と同時に水牛が前方へと足を踏み出した。

 ぬかるみに足を取られるようなことがなくなり、一歩ずつなめらかに進んでいる。

 ミズキの言葉通り、サクラギが近いようで徐々に人の気配が多くなってきた。


 顔立ちや髪の色から、通行人のほとんどはサクラギの領民だと分かった。

 日本人に似た風貌ではあるが、ミズキと同じように和装ではない。

 

「……あっ」


 道沿いに生えた木々に郷愁を感じるような気がした。

 バラムではほとんど見かけない針葉樹で、木の幹には鱗のように大きな表皮がついている。

 土埃の巻き上がるような道と並木がそんな気持ちにさせるのだと気づいた。


 遠い日の記憶は時間と共におぼろげになっていて、日本のこともいずれ忘れてしまう日が来るのかもしれない。


 感傷に浸りながら景色を眺めていると、先の方に建物が並ぶ光景が目に入った。

 それらの外観は和の要素を感じることができる見た目で、どことなく似ているという表現が適していると思った。


「さあ、城下町が見えてきたよ」


「ミズキさんは久しぶりの里帰りでしたっけ?」


「うん、そうそう。父親が過保護でね。用事がない限りは進んで帰ろうとは思わないんだ」


 ミズキは複雑な表情を浮かべている。

 自由気ままに見える彼女にも、苦手なことはあるようだ。


 やがて、牛車は町の入り口で停車した。

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