湿原に出没したアンデッドの気配

 モルネア方面からサクラギにつながる街道は人通りが少ない。

 ムルカの街を出てからほとんど通行人とすれ違うことはなかった。


 途中で沼地などがあり、牛車でなければ通りにくいことが理由だと聞いていたが、それにしても閑散としている。

 

「モルネアからサクラギに向かうルートは他にあるんですか?」


 今日も御者台に鎮座するミズキに声をかけた。

 彼女は手綱を握って、前方の様子を注視している。

 

「あたしたちが通ってきた道とは別に、迂回するルートがあるよ。そっちは通りやすい代わりに時間がかかるんだよね。こっちを選んだのはついでに温泉に入りたかったっていうのもあるけど」


「サクラギに出入りする人は少ないんじゃないかと心配になりましたけど、そんなことはないんですね」


「あははっ、ないない。名産品を送り出してるし、ちゃんと交流もあるから」


 ミズキは軽やかな声で言った。 

 サクラギの品をバラムで見かけたことはないものの、それなりに流通はあるようだ。

 何となく和風な国という認識はありながらも、現時点で謎の多い部分もある。


 出発して少しの間は多少道が荒れる程度で、水牛は意に介さない様子で進んでいた。

 しかし、地面にぬかるみが目立つようになり、徐々にペースが落ちている。


 ミズキから湿原らしきものがあると聞いていたが、そう思われる場所に差しかかったようだ。

 道の周りに生える植物が変化しており、あちらこちらに小さな水たまりのようなものが見える。


「マルクくん、ゾンビは平気な方?」


「……急にどうしたんです?」


 常時あっけらかんとした様子のミズキだが、唐突な切り出し方に違和感を覚えた。

 

「もう少し進むと湿原を突っ切ることになるんだけど、周りの沼地にゾンビっぽいのが出るんだよ」


「それって、わりと重要な情報じゃないですか!?」


「ごめんごめん、言いそびれてて。ただ、水牛の角に強力な加護の力が働いていて、アンデッド全般は近づけないんだよ」


「おおっ、それは全冒険者に聞かせたい情報ですね」  


 俺は御者台の脇から水牛に目を向けた。

 立派な二本の角が大きな頭から伸びている。


「ちなみに水牛から切り離すと効果はなくなるらしいってさ」


 ミズキの言葉でハッと我に返った。

 気づかないうちに角を凝視していた自分に気づかされる。


「ところで、ゾンビのことはアデルとハンクに言った方が……?」


「アデルがアンデッド苦手なの知ってるし、客車の外に出ない限りは何も起きないから、そっとしておいてあげて。ハンクはSランク冒険者なんだから、あえて伝える必要ないんじゃない」


「うんまあ、それもそうですね」


 ミズキ自身が水牛を進めるのに集中したい部分もあるようで、いくらか投げやりに取れるような発言だった。

 とはいえ、手綱を任せっぱなしになっているため、彼女の言葉に従うことにした。

 アデルはともかくとして、ハンクにはあえて伝えずとも気づくだろう。

 

 ――それ以上に重要なのは、俺自身が牛車の周りの気配に反応していることだ。


「あの……何も見えないのに、離れたところからイヤな感じがするんですけど」


「周りに沼地が見えてきたから、ゾンビとか色々出てくる頃だね」


 ミズキは慣れているのか、天気の話でもするように普通の調子だった。


 以前、アデルたちと貴腐ワイン探索のために遺跡に入った時は心構えができていたようで、そこまで臆するようなことはなかった。

 しかし、今回は湿原の草むらに隠れて見えないものの、何となくイヤな気配が伝わってくる。


「水牛がいるから大丈夫だけど、牛車から下りようとしないようにね」


「いやいや、そんなことしませんって」


 ミズキがゾンビと言っているアンデッドの気配は数体どころではなく、俺の実力で近づくのは無謀でしかない。

 バラム周辺でも遺跡や古めかしい洞窟に行けば、それっぽい存在は確認できるが、ここと比べれば脅威とは呼べないだろう。


「……通過する敷居が高いわけだ」


 湿原を抜けられる牛車、あるいはアンデッドを退けられる実力のある冒険者。

 そういったものがなければ全滅する可能性が高い……さらに足場もよろしくない。 

 

 ミズキが平然としている一方で、俺は冷たい汗が背中を伝うのを感じた。

 車内に目を向けるとアデルはのんびりした様子で座っているが、ハンクは窓の外に目を向けている。

 

 俺は車内から前方へと視線を戻し、周囲の状況に注意を向け直した。

 水牛の加護の力は大きいようで、怪しい気配はしていても何かが近づいてくる様子は見られない。


「うーん、すごいもんだ」


 感心しつつ水牛に目を向けると、両角が淡い光を発していることに気づいた。

 それは神秘的な色で、加護の効力を可視化したようにも見える。


「サクラギの水牛は由緒正しい血統なんだよ。伝承では『大いなる存在』が天空から与えたって話らしいから」


「へえ、そんな伝承があるんですね。始まりの三国では信仰が禁止なんですけど、昔からの伝承で『偉大なる者』という創造神が信じられているので、もしかしたら同じようなものかもしれませんね」


 いつかの夢で顔を合わせた老人は偉大なる者らしい。

 あの老人が与えた力があるのなら、アンデッドを退けてもおかしくない気がする。


 恐怖心を紛らわせるためにミズキと話しつつ、早く湿原を通過できることを願うのだった。

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