第33日-8 善と悪 ★
俺が、スーザン・バルマ――マーティアス・ロッシを止める。
もう、逮捕することでしか彼女を救えないから。
自分が言った台詞を反芻しながら、《クレストフィスト》のオープライトを新しいものに取り換える。
まだほんの少しの黒ずんでいるだけだったが、この後の戦いの途中で使い切ってしまったら目も当てられない。念には念を入れておこう。
結晶をセットし直し、ふう、と一息ついて通路の奥を見上げる。その瞬間、カチッというような音が聞こえ、それと同時に
『準備ができました。案内を開始します』
というミツルの声が耳に飛び込んできた。
『まずは右の通路へ』
この入口からは正面と左右、三本の通路が伸びていたが、そちらが現場への最適ルートのようだ。
トロエフ遺跡の通路はもともとは網目状に広がっていると考えられている。しかし壁が崩れたり土砂が流れ込んで来たりして通行不能になっている箇所も多く、実際には巨大な迷路のようになっていた。
入口からしばらくの間は、天井に小さな丸い照明が点々と取り付けられているようだ。恐らく立ち入り禁止になる前にO研によって付けられたもので、これぐらいなら明かりをつけなくても十分に歩ける。
「僕が前を歩きます。O監が取り付けた監視カメラ、赤外線スコープ、警報装置などがありますから気を付けて。僕より前に出ないようにしてください」
「わかった」
俺が歩き始めると、グラハムさんはそのすぐ後ろをついてきた。どこにどんな装置があるかまでは俺も把握していないので、端に寄って左手を壁に触れさせながら慎重に歩く。
『そのうち、左手――内周側に通路が見えてくるはずです。三つ目の通路に入ってください』
「了解」
いよいよ遺跡内部、照明も無くなる。用意していた右手の懐中電灯を点け、一メートルぐらい先をつねに照らすようにする。あまり遠くを照らしてしまうと、ところどころにある警備システムが光を感知して作動してしまう恐れがあるからだ。
『――リルガ、何を笑っているのですか』
ミツルの声が飛び込んできて、思わず振り返る。グラハムさんがハッと顔を上げた瞬間と目が合った。
が、確かに笑って……というより、ニヤケている。
いったいどういう心境だとこの状況で笑えるのだろう?
時々……いやかなりの頻度で、グラハムさんの考えていることが解らなくなる。
グラハムさんは
「見てるかのように言わないでくれない?」
とニヤついた顔のまますっとぼけた。
しかしミツルの
『見ているんですよ』
という答えに
「は!?」
と声を上げる。
「え、なんで!? ミツルくん透視能力でも身につけたの!?」
『カメラがあるので』
驚いたように上を見上げてキョロキョロしていたグラハムさんが、赤く点滅するカメラを見つけて「あ」と声を上げた。
さっきO監が取り付けた監視カメラ、赤外線スコープ、警報装置などがありますから気を付けてください、と言ったはずなのだが……。これはまともに聞いていなかったな。
やや眩暈を感じていると、グラハムさんが
「あーそうだった」
と、緊張感の欠片もない声を出した。
「サルブレアんときとは違って、今日はモニタしてるのね」
『ええ。ですから、地図を覚えなくても道に迷うことはありませんよ』
「それ、もしかして俺が記号まで覚えていなかったこと、根に持ってる? 嫌味?」
『違います』
そんなことよりも真面目にしてください、とミツルに注意されたグラハムさんが「へいへい」と軽い調子の返事をしたところで、目的の通路が現れた。
左に曲がり、突き当たりを左へ。左側がすべてガラス張りになっている通路へと出る。
ガラスには触れないようにしながら中を見ると、天井から落ちた照明や倒れた棚でグチャグチャだった。金属片や紙片が散らばり足の踏み場もないほどだが、その上を何かが踏みにじったような跡がある。
「ここでオーパーツが見つかったんでしょうね」
「なるほどな」
何か無いかな、とでもいうようにグラハムさんがあちらこちらへと視線を走らせる。
グラハムさんは遺跡内部に入るのは初めてなので、興味津々なのだろう。任務中とはいえ、そういう気持ちになるのはわからないでもない。俺も、警備課の任務で初めて遺跡に立ち入ったときはそうだったし。
「ここの物は、O研に行ったはずです。このトロエフ遺跡は、O監設立前から管理下にあったので」
「何が見つかったんだろうな」
「さあ、そこまでは。ひょっとすると、今持っているのがそうかもしれませんね」
行きましょう、とグラハムさんを促し、先へと進む。
何しろ時間が無い。隠れ家から恐らく徒歩で移動していると思われるマーティアス達だが、時間的にはもう着いていてもおかしくない。
隠れ家の方向から考えると真逆なのでルートの途中で鉢合わせることはないだろうが、あちらが迂回ルートを取っている可能性もある。
『次を右、その先もまた右です』
「了解」
はじめは広かった通路も奥に行くに従って狭くなり、剥がれ落ちた壁や金属片が散乱していて歩きにくくなる。
『あ、そこで少し待ってください』
ミツルの声で、ピタリと足を止める。俺のすぐ後ろを歩いていたグラハムさんが俺にぶつかりそうになって
「おおっと!」
と声を上げた。
「何だ?」
「恐らくあれですね」
懐中電灯で天井を照らす。直接照らすのではなくその手前、反射光で映し出すように注意する。
通路を横断して右手の壁へ流れるように、丸い穴が十か所ほど等間隔に並んでいるのが見える。
「……何だ、あれ?」
俺の左肩からぬっと首を出したグラハムさんが不思議そうに天井を見上げた。
「最新型の警備システムです」
「へーえ」
「高圧電流がダイアグラムのような形状で流れ、通過しようとした者を確実に気絶させます」
「げぇっ!?」
ギュン、と首を引っ込めたグラハムさんがやや仰け反る。ドダダ、と足音をさせそうになったので慌てて腕を引っ張って支えた。
「マーティアス達がこのルートを通る可能性も当然ありますから、ギリギリまで作動させていたのでしょう」
高性能な分、解除にやや手間がかかる。そのために待て、とミツルは言ったんだろうな。
「温度、振動、光量、気流など、さまざまな情報から確実に侵入者を感知するシステムです」
「リュウくん、詳しいね」
「これと同じ型のものは他にも取り付けられているので。警備課の任務として、警備システムの作動確認というのもあるんです」
「えっ」
ギョッとしたような顔をしたグラハムさんが、俺の顔と天井の警備システムを見比べる。
「それって、わざと罠にかかるの?」
「まぁ、そうです。そっと近づいてみたり、屈んでみたり。身長なども重要な要素なので、時々駆り出されました」
基本的に、小柄な人間ほど警備システムには引っ掛かりづらい。おまけに若くて元気で敏捷だから、と新人の頃は便利に使われた覚えがある。
ちゃんと防護服は着てますよ、と言おうとしたが、グラハムさんが両手を自分の両頬に当て、「おーまいがー」と呟いた。
その口は縦長の楕円形になっていて、どこかでこんな絵を見たような、と任務とは関係のないことを考えてしまった。
「リュウくん、前から思っていたけど絶対Mだな!」
「は?」
「いつもギリギリ危ないことするし、痛いことも平気でするし。はあ、もう」
なぜ溜息をつかれているのかわからない。
ギリギリ危なくないことをしているつもりなのだが。
「だとしたら、本当はSなんでしょうね」
「ええ~?」
納得がいかないらしい。グラハムさんは何をおかしなことを、とでも言うように口を曲げた。
「〝Sだけの人間、Mだけの人間というものは存在しない。すべての人間の心の中に、Sの部分とMの部分が混在する〟」
記憶に片隅に残っていた、ある一説を諳んじる。グラハムさんは「へ?」と間抜けな声を上げ、呆気にとられたような顔をした。
その豊かな表情変化が何だか可笑しくなり、少し得意気な気持ちになる。
「〝同じように、完全な善人も完全な悪人も存在しない。善人とは悪の無い人間のことを言うのではない。誰の中にも悪は存在する。むしろ自分の中に悪があることを自覚しているのが善人であり、自分の中の悪を認めようとしないのが悪人なのだ〟」
するすると言葉が口から出る。グラハムさんはというとますます困惑した表情になっている。
「〝人間が完全な善、完全な悪を求めることこそが悪を生んでいる。自分を絶対に正しいと思い込み、他者を絶対の悪とみなす行為が次の悪を生み出す〟」
「あの……」
「〝繰り返すが、完全な善だけの人間、完全な悪だけの人間は存在しない。もしいれば、その人物は人間を止めているようなものだ。同様に、完全なSだけの人間も完全なMだけの人間もまた存在しない。双方の心理を理解し得る者こそが自身と他者の心の相互理解を研鑽する、知性と寛容の精神をもつ人間なのだ〟」
一気に喋ると、完全に気圧されたグラハムさんが何とも言えないような顔をしてポリポリと自分の頬を搔いていた。
「えっと……今日はいっぱい喋るね、リュウくん……」
「僕じゃありません。ノーマ・アンセオリ著、〝自己破壊衝動と他者破壊衝動の闘争原理〟の一説です。犯罪心理を知る足しになるかと読みました」
いつもは俺がグラハムさんの言動に驚かされることが多いけれど、たまには俺が意表を突くことをしてもいいだろう。
何となく一矢報いた気がして気持ちが軽くなる。
「あーそーなんだ……。勉強熱心なんだねぇ」
グラハムさんがそう呟いたところで、ミツルの
『解除しました。どうぞ』
という声が聞こえてきた。やや呆れたような、溜息と共に。
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●ノーマ・アンセオリ
ナータス大陸アミュンズ生まれ。ゲンバロニア大学卒、同教授。
SM研究の第一人者。サディズムとマゾヒズム、支配と隷属の構造から人の心理と関係性の追及をテーマとする心理学者にして哲学者。集合無意識の概念をゴリラの群れから考察する論文は学会に波紋を呼んだ。
「アリにもいじめはあり、ゾウやイルカには老体を世話するボランティアがいる。とかく生物とは人間らしいもの。サルにも嫉妬はあり、不公平に怒りを覚える感情もある。人間だけが特別なものという事柄は、関係性を言葉で表そうとする、というその一点だけだろう」
『自己破壊衝動と他者破壊衝動の闘争原理』『サドマゾキズムから見る人間のコミュニケーション進化論』など著書多数。
* * * * *
※上記紹介文、本文中で引用した書籍の文章、および著作タイトルは八重垣ケイシ様(https://kakuyomu.jp/users/NOMAR)よりご提供いただいたものを流用、改稿いたしました。
八重垣ケイシ様、ありがとうございました。
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