第33日-6 彼女の狙いは ★
「まーた、これどういうことよ?」
走っている車に飛びついたせいで汚れ、ところどころ煤けた俺の服を見たグラハムさんが、オーバー気味に顔を歪ませ、大きな溜息をつく。
現場は大破した木の看板の破片とイアンの白い車の金属片、ガラスなどが散らばっている。車はボンネットの左側がグシャリと潰れ、窓ガラスも粉々になっていたが、シールドのおかげで二人とも怪我一つなく無事だった。
当のイアンはというと、道路の端でぶるぶる震えながら両手を組んでへたり込んでいる。少し離れたところでは、数人の警察官が車の写真を撮ったり破片を拾い集めたりしていた。
交差点に止まっていた車の運転手が通報したのか、ディタ署の交通課は驚くほどの早さで現場にやってきた。本来ならば警察の聞き取り調査に二人とも応じなければならないのだが、こちらの聞き込みの方が先だ。O監の警備官という身分を明かし、こちらの案件の重要参考人であることを伝えて優先させてもらった。
簡単に俺から事故の経緯は説明したので、ディタ署交通課はそれを基に実況見分を行っている。
ついでに言うと、俺のバイクも無事だった。いかなる現場にも耐えられるようO監仕様でかなり頑丈にはなっているのだが、今日ほどそれを頼もしく思ったことは無い。
そのバイクの傍でイアン発見から確保までの一連の流れを説明すると、グラハムさんは右頬を引き攣らせ
「いや、あのさぁ……」
と何か言いかけた。……が、そのまま肺が空になるんじゃないかと思うほどの息をつく。
対処としては間違っていなかったはずだが。あのまま放っておいたら、イアン・エバンズは確実に死んでいた。運が良くても重傷。到底、何の情報も引き出せなくなっていたに違いない。
「大事な『重要参考人』を失う訳にはいきません」
「ったく、何だろうねぇ、あの局長さん。何かが視えてんのかね?」
雲一つない青空を見上げ、「リュウじゃないと駄目っぽい現場ばっかりさぁ……」とブツブツ言っている。
「とにかく、確保はしたので。後はお願いします」
「りょーかい。俺様の腕の見せ所ってか」
グラハムさんが、地べたの上に座り込んでいるイアンをちらりと見る。
イアンは相変わらず両手を組んだまま、真っ青な顔で俯いていた。
ふむ、と一息つくと、グラハムさんはゆっくりとイアンの方へ近寄って行った。俺もそのあとを黙ってついていく。
グラハムさんの足音に気づいたイアンが、ゆっくりと顔を上げた。
「よぉ、エバンズさん。災難だったな」
イアンの前に同じようにしゃがみこんだグラハムさんが、目線を合わせて同情するように声をかける。
「あ、あなたはO監の……」
「グラハム・リルガでっす。大丈夫ですかー?」
「な、な、なんでO監が……っ!?」
イアンが大きく目を見開き、グラハムさんを見る。続けてその後ろに立っている俺を見上げた。
「その話、あっちの車でしません? 外じゃ落ち着かんでしょ」
グラハムさんが右手の親指で自分の乗ってきた車を指差す。正確には、シェパードさんという中年男性捜査官が運転する車に乗せてきてもらったそうだが。
グラハムさんはイアンに手を差し伸べて立ち上がらせると、そのまま抱きかかえるようにして車の後部座席へと連れて行った。左側のドアを開けて座らせ、自身は開けたままのドアに左腕をかけ、右手で隣にいた俺を指し示す。
「ああ、一応あんたの命の恩人を紹介しときますね。こちら、リュウライ・リヒティカーズ。俺と同じO監」
「O監の捜査官!? そんな人がどうして……」
どうして自分を助けてくれたのか、という意味か。それともどうして都合よく現場に居合わせたのか、という意味か。
イアンはしばらくあちこちに視線を泳がせたあと、ハッとしたように顔を上げた。
「まさか、所長を追って……? だったら今すぐ……今すぐ所長を追ってください! 早く止めないと……っ」
「追うってったって……どこへ行けばいいんだ?」
グラハムさんの問いに、イアンがハッと我に返って気まずそうな顔をする。すぐさま顔を背け、視線をそらした。膝の上の拳が、ギュッと固く握られる。
所長――それは間違いなく、光学研所長『スーザン・バルマ』のことだろう。
そしてその言葉を途中で切ったのは、O監にスーザンのことを話すわけにはいかない、ということ。イアンはかなり忠実な部下だったようだ。
これはなかなか口を割らなそうだ、と思ったのか、グラハムさんはふう、と溜息をつく。
「……とりあえず、局で話を聴いていいですかね? そっちのほうが落ち着くでしょ?」
「そ、そんな暇はありませんよ! そんなことしている間に、いったい何が起きるか……」
局で話を聞いている場合じゃないんじゃ、と俺も内心思っていたのだが、これはグラハムさんの計算の内だったようだ。
「じゃあ、バルマは何処にいるのか教えてくれないと」
と、子供に言い聞かせるような穏やかな口調で語りかける。
どうやら、彼が切羽詰まっているのはとっくに見抜いていたらしい。揺さぶりをかけ、イアンが自ら喋るように仕向けた。いま頼れるのは俺達だけよ?とでも言うように。
「……輝石の、家」
観念したのか、イアンが絞り出すような声を出す。
「輝石の家? ディタ区の?」
というグラハムさんの問いに、黙って頷いた。
「その近くに、居住区域があるでしょう。そこに、隠れ家があります」
「隠れ家?」
「集合住宅からは少し離れた、奥の方にある一軒家ですが」
「道案内、お願いできますよね?」
グラハムさんはそう言って、車に乗り込もうとしたが。
『リルガ、待ってください。詳しい内容を先に』
通信機からのミツルの鋭い声が、グラハムさんのその行動を遮った。
イアンの供述は重要な証拠になるため、俺もグラハムさんも回線を開いたままにしていたのだ。
『モア・フリーエといい、今の車の事故といい、マーティアス・ロッシは用意周到でかつ冷酷です。自らの隠れ家となれば何を仕掛けているかわかりません』
イアンの自動車事故についてはまだ実況見分中で、ブレーキに細工してあるかどうかまでは判明していない。
しかし俺の話とこれまでの状況から、ミツルはそう睨んでいるようだ。何の準備もなく隠れ家に突入するのは危険、という判断なのだろう。焦って現場に行くのではなく、まずは詳細な情報を、と。
「――なんでバルマはそんなところに隠れ家を? 奴はなにをしようとしているんです?」
「……」
ミツルの言葉を聞いたグラハムさんが乗り込むのを止め、イアンに問いかける。
しかし彼は無言だった。喋るべきかどうか、まだ迷っているらしい。
スーザンを止めなければならない、しかしここで喋ることはO監にスーザンを売ることになる、といったところだろうか。
グラハムさんは体重を預けていたドアから体を起こすと、右手を車のルーフに手をかけた。まるで後部座席に座るイアンを覆い隠すように立ち塞がる。
もう逃げられないぞ、という意思表示だ。
「エバンズさん、もう諦めて白状しちまいましょうよ。そうしないと俺たちは、あんたの身を守ることもできない」
「身を守るって……!?」
イアンが驚いた声を上げ、グラハムさんを見上げた。随分と意外そうな顔をしている。
マーティアスの手足となって動いていたのは間違いなくイアンのはずだ。モア・フリーエの爆発事故といい、オーラスに不備のあるオーパーツを渡したことといい。
彼女のやり口は十分すぎるほどわかっているはず。それなのに……忠実な部下とは言え、ここまで妄信できるものだろうか?
「バルマは、口封じのためなら実験施設一つを研究者ごと潰したり、出資者を消したりするような人間ですよ」
グラハムさんの声に怒気が帯びる。自分のしたことが解っていないのか、とでもいうように。
「あんたも見限られているんなら、殺されてしまう可能性がある」
「ちょ、ちょっと待ってください! 実験施設が研究者ごと潰されたって……まさか、モア・フリーエのことですか!?」
イアンが愕然としたように声を震わせて叫ぶ。その様子に、俺たちの方が息を呑んだ。一瞬だけ、俺とグラハムさんの目が合う。
「そうですが……まさか、知らなかったのか」
「だって、所長は研究者は助けるって……」
イアンの身体がガタガタと震える。顔を小さく横に振りながら俯き、震えたままの両手で自分の両頬を覆った。
『モア・フリーエ爆破事故への関与を認めましたね。警備官を手配します』
ミツルの冷静な声が通信機を通して聞こえる。
スーザン・バルマがモア・フリーエ爆破を指示したことは確定した。そして彼は恐らく『研究者は助けるから、やれ』と言われて実行したのだということも。
「そんな……じゃ、会長はやっぱり所長が……」
「どういうことです?」
マーティアスが技術者もろとも抹殺したことを知り、イアンはますます混乱したようだ。
震えは治まったものの、すがるような瞳でグラハムさんを見上げる。
「光学研で、副所長からオーラス会長がいなくなったと聞いて。所長に電話したら、成功したって、時空の狭間に消えたって言ってたから……まさかとは思いましたが……」
すべて話す覚悟が決まったらしく、さっきまでより流暢に言葉を紡ぐ。
「オーラスはバルマが意図的に消した。それはあのお前さんが渡したオーパーツによるものか?」
「……そうらしい、です」
イアンが呆然としたようにこくりと頷いた。
「口封じのためか?」
「くち……ふうじ……。いや、まさか。なんで? 協力者なんだからする必要はないはずなのに」
今度は打って変わって目まぐるしく瞳と手を動かす。
「成功していたと言っていたから、オーパーツが無事に動作することを確認したかったんだろうけど、でもあれは適当な場所で作動するものではないから、そこを知らない会長は時空の穴に落ちるしかなくて……」
イアンが一気にまくし立てる。その内容には重要なものが多すぎてすぐには頭に入りきらなかったが……。
動作確認? 適当な場所で作動するものじゃない?
つまり、『正しい場所』で『作動』すれば正しく効果を発揮する、ということ。
まさかマーティアスの研究は、すでに……?
ゾッと背筋が寒くなるのを感じた。思わずグラハムさんを見ると、グラハムさんも俺の方を見ていた。モスグリーンの瞳が細く、険しいものになる。その表情のまま、イアンの方へと顔を向けた。
「オーパーツが作動するか確認……てことは、バルマの研究は完成しているんだな?」
「お、おそらく……」
「それは、所定の場所じゃないと動かせないのか?」
「座標が一致しないことには……」
「座標?」
イアンは震えながらも、マーティアスの研究について知っていることを説明し始めた。
マーティアスが研究しているオーパーツには『時空間に孔を穿つ力』と『時空間を呑み込む力』『時空間の中を移動する力』が関わっているが、『座標転移』は含まれていない。
過去も現在も同じ場所にあるオーパーツ、その間を移動するだけ。場のエネルギーを利用することも考えると、当然そのオーパーツは目的の座標からは動かせない。
オーラスに渡したのは、その前段階のオーパーツと言えるだろう。遺跡のエネルギーは無いのだから、時空間に『孔』を穿ち『他と遮断』し『取り込む』ことはできても、その先が無い。
エペ区の公園で発動させたオーラスは、目的地も無くただワームホールに落ちただけ。アドレス不明の郵便物のようなものだ。どこにも辿り着けやしない。しかも郵便物とは違い、元の場所に戻ることもできない……。
それを解った上でマーティアスはオーラスに〈クリスタレス〉を渡し、最後の実験をした、ということだ。
「その座標とやらが一致する場所が、今から行く隠れ家とやらにあるのか?」
「いえ、そこは出入り口に過ぎず……ものは七年前の事故現場に……」
イアンの台詞に、思わず言葉を失う。
つまりマーティアスがすべてを犠牲にしてでも向かいたかったのは、あの七年前の事故現場なのだ。
その目的は、アヤ・クルトを生き返らせること。あの七年前の事故で失った、かけがえのない親友を。
あの爆発事故の現場に、今向かっているということか。そしてすべての準備が整った暁には、オーパーツを起動して過去を遡るつもりなのだ。
「そこに行けば、バルマがいるんだな?」
グラハムさんの念押しに、イアンは
「たぶん……」
と応え、ガックリと肩を落とした。
グラハムさんは一度後部座席のドアを閉めると、俺の方に向き直った。チッと舌打ちをしながら右耳に右手を当てる。
「どうする、ミツルくん。隠れ家か? それとも遺跡の事故現場か?」
『時間がありません。そこと分かっているのだから、正面から行きましょう。リュウライのバイクで最短距離で遺跡の入口に向かってください』
「えっ!?」
「僕たち二人で?」
『今はマーティアス・ロッシの阻止が最優先です。遺跡の警備についている警備官には無理です、任せられません。とにかく早く。遺跡の入口から現場までのルートは追って指示を出します』
「イアン・エバンズはどうする?」
『現場のディタ署の警察官に協力を要請してその場で確保。間もなく警備課が到着しますので、そうしたら引き渡してもらいます。後はこっちで』
「うー、わかった。とにかく向かえばいいんだな!」
そう乱暴に返事をすると、グラハムさんは再び後部座席のドアを開いた。やや乱暴な開け方だったため、中のイアンがビクッとしたように肩をいからせる。
「エバンズさん。このあとバルマの隠れ家へ案内してもらう。いいな?」
「しかし所長は……」
「それはこっちで追うから。リュウ、ここを頼む」
グラハムさんはそう言うと、実況見分していた警察官の方へと走っていった。
その後ろ姿を目で追っていたイアンが、不安そうな顔で俺を見上げる。
「……七年前の遺跡の事故現場は、O監が厳重に管理をしていて表の入口からは入れないはずですが。隠れ家からその場所に繋がるルートがあるのですか?」
この間にもう少し詳しく聞いておこう、と話しかけると、イアンはゆっくりと頷いた。
「はい。〈輝石の家〉へ向かうルートと、二つ」
「〈輝石の家〉……狙いはオープライトですか」
「……はい」
〈クリスタレス〉は体に害をもたらす。実用化には実験が必要だっただろうが、自分の身体でやる訳にはいかない。動力確保という目的もあったのか……。
となると、〈輝石の家〉にも人員がいるんじゃ? イアンの慌てぶりから考えるとそちらに向かっている可能性は低そうだが、万が一逃げられたら大変だ。
『〈輝石の家〉にも手配済みです』
俺の疑問を見抜いたかのように、ミツルが口を挟む。
『リュウライ、後はハイドに任せてください』
「え?」
そのとき、グレーの車が少し離れた場所に止まった。イアンを尾行していた車だ。中からグラハムさんと同世代ぐらいの、細身で俺とそう変わらない背丈の男が降りてくる。
確かに調査専門というだけあってあまり強くはなさそうだ。
「キース・ハイドと申します。警備課が到着するまでわたしが傍につきます。後は任せてください」
ミツルから指示が飛んだのだろう。折り目正しい人物らしく、年下の俺にも丁寧に頭を下げる。
「わかりました。リュウライ・リヒティカーズです。ハイドさん、後はよろしくお願いします」
俺も頭を下げると、ハイドさんは軽く頷いて後部座席から車に乗り込んだ。イアンの隣に座り、すぐさまガッと右腕でイアンの左腕を拘束する。
現行犯ではないので手錠はかけられないが、イアンは自白したも同然。すでにこの案件の被疑者だ。
「エバンズさん。彼に隠れ家の場所の説明を」
「……わかりました」
「では」
イアンが了承するのを確認し、もう一度ハイドさんと頷き合ってから後部座席のドアを閉める。
そのとき複数の足音がしたので振り返ると、グラハムさんと共に制服姿の警察官が二名、こちらの車に駆け寄ってきた。
「O監の要請により被疑者を確保します」
「よろしくお願いします」
「まもなくウチの警備課が到着するんで。……リュウ、行くぞ!」
「はい!」
警官二人が後部座席の両方のドアの前に立ち塞がるのを確認して、その場を駆けだす。
バイクにまたがってエンジンをかけると、グラハムさんが後ろに乗り込みながら
「ったく、たまったもんじゃねぇな!」
と大声で愚痴った。
「急ぎます。口を閉じてください、舌を噛みますよ」
「へ……おおうっ!」
腰に腕が回った感触を確認し、アクセルを吹かす。背後から慌てたようなグラハムさんの声が聞こえた。それと同時に、両腕の力強さと、熱さも。
絶対に、止めなければならない。スーザン・バルマ……いや、マーティアス・ロッシを。
過去を変えるという彼女の狂った野望の実現は――この世にあってはならないものなのだ。
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