第33日-5 確保

「え? イアン・エバンズを重要参考人として確保?」


 サーニャさんの工房から出る間際、局長控室にいるミツルから連絡が入った。すぐに局長室に来てほしいと言われ急いで向かうと、やや渋い顔をしているラキ局長とミツルに出迎えられた。

 そうして言い渡されたのが、『イアン・エバンズの確保』だ。あくまで、重要参考人として。


「そうだ。ただちに向かってくれ。奴は今日の午前中はいつも通り光学研に出社したが、正午頃、やや慌てた様子で飛び出したそうだ。車でディタ区に向かっているらしい」

「わかりました。……ですが、なぜ『逮捕』ではないんですか?」


 逮捕ならば、ディタ区に配置してる警備官などを動員すれば確実に抑えられるはず。ここにきて、なぜ俺一人で?

 ラキ局長はふう、と鼻から息を漏らすと、やや悔しそうに口元を歪めた。


「イアン・エバンズにはまだこの一連の事件に関与している証拠がない」

「でも、音声データが……」

「あれは、やや非合法な手段を用いて得たものだ。あれだけでは逮捕状の請求は難しい」

「あ……」


 サルブレア製鋼の地下室に仕掛けていた盗聴器。その中に録音されていた内容は、明らかにサルブレア製鋼がオーパーツに関わっていた証拠だった。

 そしてその中で喋っていた若い二人の男のうち、丁寧な言葉を喋っていた男がカミロやオーラス、そしてマーティアスを繋ぐ連絡係と思われた。

 その声の主がイアン・エバンズであることは、声紋照合した結果確定している。


 三日前、俺がイヴェール工場でイアンを目撃した日――イアンはいつの間にか光学研に戻っていた。

 イアンが入っていったモア・フリーエへと通じる道は、現在は警備課が見張りについている。しかしあの日はロンと三人組の確保および事情聴収を優先したため、警備の手配はやや遅れてしまった。その隙にイアンはセントラルへと帰ってしまったのだろう。


 そしてその日の夕方、つまり光学研からの帰宅時から彼には尾行がつけられている。その際に得られたイアンの音声から、同一人物だと判明したのだ。


 しかし、尾行がついてからの彼の動きにおかしいところはなかったらしい。外回りの仕事は無かったらしく、一昨日から今日の午前中に至るまで、彼は光学研と自宅を往復するだけだったそうだ。

 当然ながら、モア・フリーエの崩壊時もそのあとも、彼はディタ区には一歩も足を踏み入れていない。


 尾行についているのはミツルの部下で、技術官上がりの調査専門の捜査官らしい。最低限の体術は身につけているもののいざとなった場合の身柄の確保は難しく、そのため俺に命令が下されたのだ。


「このまま泳がせて何かしらの証拠を掴むか、マーティアス・ロッシの居場所を探るかするつもりだったが、如何せん時間がない」

「え?」

「推測の域は出ないが、マーティアス・ロッシはオーラスすら実験材料にした女だぞ? カミロが逮捕されてオーラスが消えた以上、連絡係は不要。余計なことを知るイアン・エバンズは、もう邪魔なだけだ」


 つまり、口封じに消される可能性がある、ということか。

 ゆらりとした細長い影のような男、ピートを思い出した。奴なら誰にも見られずにあっさりイアン・エバンズを仕留められるだろう。

 それをしていないのは、マーティアスの傍にいるからか?


「わかりました。イアン・エバンズを『重要参考人』という名目で守ればいいんですね」

「そうだ。ただ、自白を引き出せれば奴を逮捕できる。上手くいけば、マーティアス・ロッシ……ああ、奴にとっては『スーザン・バルマ』か。スーザンの潜伏先も判明するだろう」

「えっ」


 自白を引き出す? スーザンの潜伏先も?

 そんなこと、俺に出来る訳が……。


 想像もしていなかった任務に驚いていると、ラキ局長が「ああ」とやや肩の力を抜いて苦笑し、右手を振った。


「そっちはリルガに任せる。追って指示を出し現場に向かわせるが、恐らく少し遅れる。それまでにイアン・エバンズを確保しろ」

「わかりました」

「では、こちらを」


 ミツルが地図を広げ、セントラルからディタ区へと繋がる幹線道路を指差す。


「現在、この道路を東に進んでいるそうです。後は通信で知らせるので、その通りに向かってください」

「わかった」



   * * *



 イアン・エバンズの車は覚えている。小回りのきく軽自動車だったな。ナンバーも勿論、脳内ファイルに登録済みだ。


「どこに向かってる? イヴェール工場?」

『この幹線道路をまっすぐ進んでいるそうですから、多分……え?』

「どうした?」

『クロノス交差点を左折したそうです。この先は……〈輝石の家〉ですね』

「え?」


 カミロがオープライトの回収に訪れていたという、孤児院〈輝石の家〉。

 イアンがカミロの代わりに? だとすると、証拠になるか?

 いや、訪れただけでは違法行為の証拠にはならない。


 やがてイアンを尾行していたグレーの車に追いつく。何の変哲もない普通自動車だが、運転席の窓は半分ほどスモークが貼られ顔が見えないようになっていて、後部座席には追跡や調査のための電子機器が積まれているらしい。

 万が一にもイアンに気づかれる訳にはいかないため、発信器を使ってイアンからは視認できない距離を保ち、追跡しているようだ。


 右側を追い越し、その車がサイドミラーから見えなくなった頃、見覚えのある車が視界に入った。イアンの軽自動車だ。


「捕捉した。ミツル、どうする? 強引に前を塞いで確保か、それとも……」

『しばらく泳がせましょう。車を運転している限りは、マーティアスの手の者も手出しができないはずです』

「わかった」


 近づきすぎないように気をつけながら、イアンの白い車を追う。やがて下り坂になり、スピードが急に上がった。と同時に、車が左右に揺れ出す。


「ミツル、様子が変だ」

『変?』


 ブレーキランプは点かず、スピードはどんどん上がっていく。しかし車の左右のブレはさらに大きくなり、中央線すらはみ出るまでになった。


「……ひょっとすると、車の制御ができていないのかもしれない」

『制御が?』

「中で気を失っているのか、それとも車が故障したか……。仕方ない、とにかく確保に向かう」

『リュウライ、危険です!』

「しかし、ここでみすみす死なせるわけにはいかない」


 バイクのスピードを上げ、イアンの車に近づく。

 イアンは気を失ってはいなかった。混乱した様子でハンドルを握りしめている。

 さらにアクセルをふかして運転席の右側につく。俺に気づいたイアンが運転席側の窓を開けた。


「どうした!?」

「ぶ、ブレーキが! 利かない!」

「アクセルから足を上げろ!」


 俺が怒鳴ると、イアンがビクッと体を震わせ両足をハンドルの上まで上げた。ガクン、とエンジンブレーキがかかり、車のスピードがやや落ちる。


「オーバードライブスイッチを切れ!」

「お、オーバードライブ!? スイッチを切れ!?」


 イアンは馬鹿みたいに俺の言葉を繰り返すが、パニックになっているのかキョロキョロしている。

 AT車だから普段はギアチェンジなんてせずドライブのまま。オーバードライブスイッチもONのまま触ることはないだろう。

 そのため、何を言っているのかさっぱりわからないらしい。


「サイドレバーを引け! シートを後ろに倒すんだ!」


 こうなったら俺が乗り込んで止めるしかない。

 イアンはその意味は分かったようだ。ガクン、と運転席の窓からイアンの姿が消える。

 

 バイクを踏み台にして、運転席の窓から中へと滑り込む。上半身は車内に潜り込めたが、腰から下は運転席のドアにぶらさがったままだ。

 しかし運転席にはイアンが寝そべった状態だから、これ以上中に乗り込めない。この状態で操作するしかない。


 主を失ったバイクが道路の上を転がっていく音を聞きながら、オーバードライブスイッチをOFFにする。ウィーン、とエンジンが唸りガクン、とエンジンブレーキがかかった。車のスピードがやや落ちる。

 幸い下り坂は終わり、平坦な道になっている。これならどうにかなりそうだ。


 セカンド、ローとタイミングを見計らって順番にギアを落としていく。車のスピードがだいぶん落ちたところでパーキングブレーキを何回か引いたが、完全には止まらない。しかも間の悪いことに交差点が近づき、停車している車が見えてきた。信号待ちをしているようだ。このままでは止まり切れず、追突してしまう。

 視界の端に、道路の左側に立てられていた大きな『オーラス鉱業』の看板が目に入った。


「イアン、頭を守れ!」


 寝そべったままガチガチと震えていたイアンが、バッと両腕で自分の頭を庇う。

 交差点の手前、看板に車体を擦りつけるようにハンドルを左、続けて右へと切る。そしてパーキングブレーキを引き、顎で左手のバングルのスイッチを押した。

 《クレストフィスト》の第三形態〝ザ・サークル〟が起動――狭い車内で歪んだシールドが出現、俺の上半身とイアンの体を覆った。


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