第一章 辛くも凌ぎ
第1日-1 局長からの呼び出し
俺の耳に、荘厳なオーケストラの演奏が飛び込んでくる。
ハッと我に返って目の前のローテーブルを見ると、置いてあった携帯電話がチカチカと光っていた。
これはO監からの着信音だ、と慌てて通話ボタンを押して「もしもし?」と応じると、
『リュウライ、局長がお呼びです』
というミツルの抑揚のない声が聞こえてきた。
思わず溜息が漏れ、読んでいた文庫本が手から滑り落ちる。『自己破壊衝動と他者破壊衝動の闘争原理』と書かれた紺色の表紙の本が、ベシャッとカーペット敷きの床の上で潰れた。
謎の男との闘いから、三日。
土砂崩れは一向に収まらず、俺はあの洞窟で完全に生き埋めにされてしまった。
シールドが持ち応えるか心配になったが、俺からの脱出連絡が来ないことに気づいたミツルの機転で、それから約五十分後に警備課により無事救出された。
その後は、念のため病院に検査入院。翌日には退院したが、三日間の休暇を貰った。
今日はその最終日だ。任務について特に文句を言うつもりはないが、そっちで与えた休暇中ぐらいは休ませてもらえないだろうか。
『夜七時に局長室まで来てくれ、とのことです』
「ミツル。僕、まだ休暇中なんだけど」
他にも特捜の人間はいるはずなのに、と思いながら一応の抵抗を見せると、ミツルは
『先日の案件と関係があるものと思われます』
と淡々と答えた。
それを言われると、どうしようもない……。
特捜は希望して配属できるものではなく、すべて局長を始めとする上層部からの引き抜きだ。
誰が配属していてどのような任務に当たっているか、などは上層部が把握するのみ。内偵や潜入捜査をすることもあるため、同じ案件を担当しない限り誰が特捜なのかは分からないのだ。
俺も表向き、所属は警備課になっている。実際に警備課の仕事もきちんとあるし。
特捜には秘匿義務もあるため、途中で捜査担当が交代することはなく――要するに、一つの案件に携わった場合、それを他の人間に譲ることはできないのだ。
「七時だね。……了解」
『よろしくお願いします』
ミツルが電話を切る音を確認して画面をタップし、部屋の壁時計を見上げる。四時三十分を少し過ぎたところだった。
まぁ、あの現場に行ったときから、嫌な予感はしていた。
俺が休んでいる間にO研の立ち合いのもと、O監警備課による現場調査があったはず。それを受けての局長の呼び出しとなると……うーん。
どうやら思いの外、事件の根は深そうだ。
約束の時間までにまだ二時間半あるが、この感じだと明日から早速特捜任務が入るかもしれない。
……となると、先に備品管理課で
今から出れば、五時までにはO監に着けるだろう。備品管理課の窓口業務に間に合うはず。
床の上に落ちた文庫本を拾い上げてテーブルの上に置き、代わりに携帯電話を手に取ってズボンのポケットに捻じ込む。
そしてコートラックにかけてあった黒のスタジャンを手に取ると、バイクのキーを持ってすぐに外に出た。
* * *
秋も深くなり、セントラルの大通り沿いの木々が黄色に染まっている。
五十メートルほど前の信号が、青から赤に変わった。俺の前を走る車との距離に気を付けながら、ブレーキをかける。
少し風も冷たくなってきた。バイクに乗るならもう少し厚手のジャケットにすればよかったか、と少し後悔しながら辺りを見回す。
セントラルの中央を走る片側四車線の大通りは、自家用車や工場のトラックなどで混み合っていた。
ダーニッシュ運送、オーラス建設、オーラス機械、ダーニッシュ交通。
業務用と思われる車の殆どに、だいたいこの二社の名前がペイントされている。
〝わたしたちの島、シャル島〟
急に女性の声が頭上から降ってくる。少し驚いて顔を上げると、壁面に設置された大型ビジョンにシャル山とその裾野に広がる森、そしてビル群が映っていた。
シャルトルト・セントラル側の空から撮った映像か。
〝わたしたちの街、シャルトルト〟
軽やかなピアノの旋律をBGMに、女性のナレーションが入る。
画面は急速にビル群へと迫り、すぐに視点は右の方へ。高速で幹線道路を抜け、青い屋根の巨大な工場区画が映し出される。
〝そしてディタ区研究区画に、最先端技術を集めた新しい工場が誕生しました〟
オーラス財団のCMだ。その『新しい工場』の画像が何枚も何枚も折り重なる。
工場地帯と言えばアーキン区だが、確か一年ぐらい前にディタ区にも研究施設を兼ねた大規模な工業施設ができたという話だった。その宣伝動画だろう。
〝シャルトルトの未来に光を。オーラス財団〟
そんなナレーションと共に、一人の老人の姿が映し出される。
オーラス財団会長、アルベリク・オーラスだ。左手にステッキを持ち、右手は手の平を空に向けて笑顔を浮かべている。
そういえば、この笑顔のオーラスのポスターがあちこちで貼られていたような。
高級住宅街であるエペ区の開発も順調で、さらには大陸をも超える巨大遊園地の建設計画もあるとか。
オーラス財団とダーニッシュ交通。この二つの企業により、シャルトルトは大きく変わった。
工業機械や精密機械に使われる、ヴァイオレッタ・ガーネット――通称VG鉱と呼ばれる鉱石がある。
シャル島はもともとこのVG鉱採掘と精製・加工で成り立っていた、人口が千にも満たない島だった。
このVG鉱産業を大きく発展させ、島を『シャルトルト』という近代都市に生まれ変わらせたのが、オーラス。
オーラスに業務委託され、ナータス大陸とシャル島を結ぶ大陸間鉄道を造ったのがダーニッシュ交通。
シャルトルトの歴史は、この二つの企業による都市開発の歴史に他ならない。
……という内容を、この島の人間は義務教育でみっちり刷り込まれるのだ。
* * *
オーパーツ監理局、二階。備品管理課以外にも総務部の倉庫や警備課の詰め所、仮眠室や休憩スペースがある。自販機が立ち並ぶ壁際の隅、喫煙所では年配の捜査官が疲れた様子で一服していた。
そんないろいろな部署の人間が出入りしている、おそらく館内で一番賑やかなフロア。
「あらぁ、リュウライくん!」
一階から吹き抜けになっている階段を上り二階に足を踏み入れたとたん、そんな大声が飛んできた。
顔を上げると、開けた休憩スペースの奥、備品管理課の窓口の女性職員がカウンターから身を乗り出すようにブンブンと手を振っている。
どのみち備品管理課に用事があったので、素直に女性職員の方へと向かう。
黒のスタジャンにボーダーの長袖シャツ、そして黒のパンツという完全普段着状態の俺を頭のてっぺんからつま先までまじまじと見つめると、女性職員はふふっと笑った。
「今日は珍しい服装ねぇ。いつもは警備課の制服か拳法着なのに」
「実は休暇中なんです」
「あらぁ、そう。じゃあお茶でも飲んでく?」
「いえ、先にコレの調整をお願いしたくて」
悪い人ではないんだが、この「若いのに頑張ってるわねー」感満載の対応はどうにかならないものかな。
……と、思いながら拳大の大きさに縮めた紅閃棍を見せると、パッと仕事モードの顔に切り替わった。
紅閃棍を手に取り一通り眺め、伸縮スイッチの動作確認などをすると、今度は傍に置いてあるコンピューターのキーボードをせわしなく叩き始める。
「技術者と検査官は押さえたわ。特に大きな問題点はなさそうだし、これなら一日貰えれば大丈夫よ」
「よろしくお願いします」
「警備課は大変ね。オーパーツを使えない局面も多いから」
袋に紅閃棍を入れ、“検査行”と書かれた箱にしまいながら同情するような目を俺に向ける。
まだこんなに小さいのにね、と子ども扱いされたようで、あまりいい気分ではない(言いたくはないが、実際に背が低いから……)。
発掘現場や研究所、研究者の警護を担当する警備官は、オーパーツの使用に制限がかかることが度々ある。未知のオーパーツとの干渉を防ぐためで、何らかのエネルギーを放出する攻撃系や重力場が変化するタイプの物が使えないことが多い。
その場合、自らの肉体と格闘技術のみで不測の事態にも対応しなければならない。
よってこの備品管理課では通常業務に必要な備品のほか警備官の装備の製作・調整を担っていて、場合によっては個人に合わせた武器を誂えることもある。
俺の紅閃棍もその一つで、俺の身体能力とスキルにピタリと合わせて作ってもらった一点物。なくてはならない大事な武器であり、自分の命を守る盾でもある。
自分でもある程度のメンテナンスはできるが内部に異常があっても困るため、使用後は必ずここに訪れて調整してもらっていた。
とてもお世話になっている部署であるのだが、しかし……。
身体を資本とする警備課はベテラン警備官が多く、その中で俺はマスコット扱いだ。それさえなければそう居心地の悪い場所でもないのだが……と思いつつ、まだまだ話し足りなそうな女性職員に「それじゃ」とだけ言って、足早にその場を離れた。
オーパーツ監理局の監理部――つまり実際にオーパーツ犯罪を捜査する捜査官、およびオーパーツに関わる場所や人を警備する警備官になるためには、警察学校の『特殊技能科』をクリアする必要がある。
受験資格は義務教育を終えた十五歳からだが、特殊技能科では大学教育水準の知識を問われることもあり、高等教育、さらに大学教育を経てから受験することが多い。
卒業平均年齢は二十二、三歳で、一般の警察官からの引き抜きだと三十を越えていることもある。
つまり、オーパーツ監理局の捜査官や警備官の平均年齢はかなり高めであり、その中で二十歳と際立って若い俺は、入局から五年ほど経過した今でも、周りから
「若いのにエラいなー」
と、必要以上に年下扱いされるのだ。
……そう言えば、ラキ局長とグラハムさんは、そういうところはなかったよな。
オーパーツ監理局のトップ、ナァラ・ラキ局長は五十代半ばの女性だ。しかし褐色の肌ゆえか皺はほとんど目立たず、かなり若く見える。
灰色の短い髪とやけに鋭い灰色の瞳の重厚感、それにやや高圧的な言動から局内では恐れる人間の方が多いらしいのだが、俺から見るとそうでもない。
実際、その華々しい経歴と他を押しのけて局長になったことからも、そのオーラたるや凄まじいものはあるのだが、何しろ俺を特捜に引き抜いたのはラキ局長自らだと聞いているので、むしろ感謝している。
「若い人材は貴重というのもあるが、君の冷静さと土壇場での決断力を評価している」
約一年前。特捜に引き抜かれた際の面談で、ラキ局長は俺を真っすぐに見据えてそう言った。
しかしそのあとの
「まぁ、どこにでも潜り込めるだろう地味な風貌は非常に役に立つということと、若いなら多少無理が利くだろうという狙いもあるが」
という台詞は聞きたくはなかったが。
さて……そんなラキ局長の直々の命令となると、かなりの重労働になるに違いない。
あの痩せこけたひょろ長い男との戦闘を思い出して、俺は溜息をついた。
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