第1日-2 一年ぶりの再会 ★

 備品管理課を出て、再び階段を降りて一階に戻る。総務部の女の人達が「お疲れさまー」「このあとどうする?」という会話を交わしながら外に出ていくのが見えた。

 そうか、もうそんな時間か、とエントランスの中央に掛けられている時計を見上げる。既に五時を回っていた。


 さて、局長室には七時だ。その前に夕飯は済ませておいた方がいいな。

 確かロッカーに警備服は置いてある。局長に会うんだし、早めにここに戻ってきて着替えた方がいいか――。


「リューウくんっ」


 そんな軽そうな男の声と共に視界の端にニュッと右腕が現れた。

 後ろから羽交い絞めにする気か、と咄嗟にその右腕を両手で掴んで引き込んだ。腰を入れて担ぎ上げ……。

 

 ――って、ちょっと待て、リュウくん? 俺をそんな風に呼ぶのは、オーパーツ監理局広しといえども一人しかいない。


「……っ!」


 しかし身体は止まらず、そのまま背負い投げをしてしまった。慌てて右腕を引くが、相手も予想済みだったようでちゃんと受け身を取っている。パシッと左手で地面を叩く、お手本のような綺麗な身体捌き。


「な、何やってるんですか、グラハムさんっ!」


 思わず叫び、パッと腕を離す。愉快そうに三日月状に曲げられたモスグリーンの瞳とまっすぐ目が合った。

 俺の背後から奇襲攻撃をかけてきたのは、捜査課のグラハム・リルガ先輩だった。俺を見上げ、やたらニヤニヤしている。


 この人はどうしてこう奇天烈な行動を取るんだ……。

 ちょっとした眩暈を覚えながら、先輩を豪快に投げてしまった後ろめたさもあり思わず後じさる。


「いきなり背後から飛び掛かるなんて……」


 武術を嗜む人間に後ろから抱きつくなんて自殺行為ですよ、だから俺は悪くないはず……と暗に込めつつぼやくと、グラハムさんは「はっはっはっ」と楽しそうに笑いながら身体を起こした。

 やたら綺麗な受け身といい、どうやら投げれられることは想定内だったようだ。なぜ分かっててそんなおかしなことをするのか……グラハムさんの行動は、時々理解に苦しむ。


「……大丈夫ですか?」

「あ? ああ、大丈夫大丈夫」


 何ともありませんよ、とおどけながら、グラハムさんは服の汚れをパンパンと払って立ち上がった。

 後ろで括られているカーキ色の髪の毛をひと撫でし、嬉しそうに俺に微笑みかけ――ようとして、急に心配そうな顔になった。


「生き埋めになったって聞いたぜ」

「あ、はい」

「怪我とかは?」


 違法発掘の初動調査は警備課の仕事だが、その後の炙り出しは捜査課の仕事だ。その流れで俺のことも聞いたのだろう。

 確か、他の警備官より一足早く現場に着いて調査をしていたら土砂崩れに巻き込まれた、という話になっていたはず。


「《クレストフィスト》のおかげで、どこも。一応精密検査もしましたが、異常なしです」

「なら、良かったよ」


 グラハムさんはふっと軽く息をついた。

 口調はいつものお気楽な感じだったが、どうやら本気で心配してくれていたようだ。


 警察学校の最後の半年間はオーパーツ監理局で実際に働いている捜査官や警備官に付いてノウハウを学ぶ、実地研修となっている。

 そのとき先輩捜査官として俺の面倒をみてくれたのが、グラハムさんだった。


 初めての顔合わせとなる監理局の一室で、さすがに少し緊張しながら待っていたとき。

 一般の警察官からオーパーツ監理局に引き抜かれて捜査官になった人、と聞かされていた俺は、きっと叩き上げの生真面目な説教臭い厳しい感じのオジサンが来るんだろうな、と思っていた。


 しかし現れたのは、俺より九歳年上の当時二十五歳という比較的若い男性。しかも開口一番が

「リュウライ……りひ、てぃ、かーず? ……舌噛みそうだな。リュウでいいか?」

という非常に適当な軽ーい感じだったものだから、呆気にとられたのを覚えている。


 とは言っても、グラハムさんは捜査官としてはかなり優秀な部類に入る。警察官時代に培われた交渉術は確かで、見事な受け身を披露して見せたように体術もかなりのもの。判断が早く器用で、多機能なオーパーツを自在に使いこなす。

 オーパーツは監理局から各捜査官・警備官の特性に合わせて支給されるのだが、グラハムさんは《トラロック》《ムーンウォーク》という二つのオーパーツを与えられている。

 《トラロック》は様々な属性の弾を撃つことができる魔法の銃で、《ムーンウォーク》は文字通り軽い身のこなしが可能になるジャンプ増強ブーツ、といった感じだ。

 これほど多機能かつ攻防共に特化したオーパーツが許可されているのはグラハムさんぐらいじゃないだろうか。


 だが如何せん、いい加減な言動も多い……。実地研修中に始末書の書き方まで教わることになったのは、俺ぐらいじゃないだろうか。(本人は「いい勉強になっただろ?」と全然気にしていない様子だったが)


 だけど、まだ実地研修中の候補生にしか過ぎない俺を対等に『相棒』として扱い、これからオーパーツ監理局の人間になるにあたって必要な心構えを教えてくれたのは、グラハムさんだ。


 やっぱりまだまだ子供だった俺が、ある任務で無茶して怪我をしたときに

「テメェの身も守れねぇ奴が、他人を守れるわけねーだろ!」

と叱ってくれたのが、今でも心に残っている。

 だから俺はこの人を信頼しているし、尊敬もしている。

 変に子供っぽい言動をもう少し押さえてくれればもっといいのだが。これで三十路間近とは……。


「今日は帰り?」


 その三十路間近のグラハムさんが、服についた汚れを気にしながらいつもの明るい調子で聞いてくる。

 いや、気になるなら奇襲なんてやらなければいいのでは……。


「もともと休みです。ここへは、備品管理課に寄っただけで」

「あーそうなの。じゃあ、この後暇だったり?」

「いえ、二時間後に予定があります」


 グラハムさんと付き合うときの心得として、とにかくはっきり意思表示する、というものがある。

 何しろ口が達者なので、モゴモゴしているとあっという間に丸め込まれてしまう。

 幼少期は引き籠りがちであまり自分の意見を言えない子供だった俺だが、この人のおかげでだいぶん端的に物が言えるようになったと思う。


「二時間か。んなら、ちょっとくらい大丈夫だな。一緒にメシ食おうぜ」

「グラハムさんの〝ちょっと〟と僕の〝ちょっと〟は違う気もするんですが」

「何だよ、俺とメシ食うのは嫌だってか?」


 グラハムさんが「そんなー、俺嫌われてたの~?」と泣き真似をする。

 えーと、だからあなたは三十路間近の優秀な捜査官のはずでは……。困った人だな。


「そうは言ってませんが」

「だーいじょうぶ、すぐそこだし。行こうぜー」

「え、あ……」


 どうやら「まぁ、夕飯ぐらいの時間ならあるな」と考えたことは見抜かれていたようで、俺はそのままグイグイと引っ張られて強引に連れていかれてしまった。

 こういうところも本当に敵わないな、と思う。 


 そう言えば、グラハムさんとゆっくり会うのは一年ぶりぐらいかもしれない。

 特捜に引き抜かれてからはあっちこっちに出向くことが多く、監理局に来ること自体がめっきり減ってしまったから。


「もしかして、イーネスさんたちの家ですか?」

「ああ。まあ、毎日邪魔しているからな」


 そんな会話をしていると、白い上着に紺色のズボンという、全く同じ格好をした二人の女性が入口に佇んでいるのが見えた。

 オーパーツ監理局の技術課に所属している研究者、一卵性双生児のイーネス姉妹。


 鞄を後ろ手に持ち、小首を傾げているのが、姉のアーシュラ・イーネスさん。

 オーパーツ技師で、オーパーツのサポートアイテムの開発の他、捜査官の装備の調整も行っている。


 おっとりとしたお姉さんという感じで、口調も丁寧。面倒見が良くて人当たりがいい。実はグラハムさんの彼女でもある。

 確か二十三歳だからグラハムさんとはだいぶん年が離れているけれど、グラハムさんはこの年下の恋人に完全に参ってしまっている。毎日家に行っているとは……どれだけ溺愛なんだ、とは少し思うけど。


 壁によりかかって腕を組んでいるのが、妹のキアーラ・イーネスさん。

 オーパーツ研究者で、発掘された結晶や捜査官の装備データからオーパーツに使われる結晶エネルギーの研究をしている。


 ツンとすましたお姉さんという感じで、口調も素っ気ない。物事にドライであまり口数も多くないので、朗らかなアーシュラさんと比べると冷たい印象を与えてしまうのが損してるかな、と思う。

 ……とは言っても、俺もあまり人のことは言えないけど。


 実地研修中にグラハムさんから紹介されて、そのとき初めて二人と対面した。

 しかし、二人は当然そっくりだし髪型も服装もいつも全く同じなので、監理局内でもちょっと目立つし有名だった。だから、以前から俺も何となくは二人の名を耳にしていた。


 二人を見分けるのはかなり困難らしいのだが、俺からすれば別の人間なんだから顔が違うのは当たり前で、特に苦労はしなかった。

 だから初対面で完全に識別していた俺に、三人はかなり驚いていた。


 ただ、

「よく二人を見分けられたな。何で?」

とグラハムさんに聞かれて

「キアーラさんの方が目尻が少し吊り上がってるので」

と馬鹿正直に答えたものだから

「……いい度胸」

とキアーラさんに冷ややかな笑みを向けられ、冷や汗を浮かべたグラハムさんには

「リュウくん、もう少しコミュニケーション能力ってもんを学ぼうか」

と嗜められてしまった。

 そしてアーシュラさんはというと、そんな二人の様子がおかしかったのか、口元を拳で押さえつつ肩を震わせていた。


 その後も何回か二人の家でご飯を食べさせてもらったことがあるが、アーシュラさんは好奇心旺盛で世話焼きなのでやっぱり年下扱いされてしまうことが多く(実際年下だしグラハムさんの後輩だから間違ってもいないんだが)たまに対応に困ってしまうこともある。

 キアーラさんの方は割と淡々としているけど端的に言葉を繋いでくれるので、俺としてはキアーラさんの方が話しやすい。


「お待たせ!」


 グラハムさんが元気にそう言ったあと、俺をどーんと二人の前に押し出した。


「じゃーん。リュウくんです」

「あら」


 アーシュラさんが赤茶色の髪を弾ませながら水色の瞳を大きく見開いた。


「お久し振りね」

「お久し振りです」


 一年ぶりなので、丁寧に頭を下げる。キアーラさんも寄りかかっていた壁から身体を起こし、軽く会釈をしてくれた。


「夕飯、こいつも一緒にいいか?」

「突然ね。……簡単なものしかできないわ」


 キアーラさんが不機嫌そうに言う。

 そう言えば、以前に何回かお邪魔した時はいつも大量の料理でもてなしてくれたから、今回みたいに急にお伺いするのは初めてかもしれない。


「充分。だろ?」

「はい。ご迷惑でなければ」

「だってさ」


 グラハムさんの軽ーい調子に、キアーラさんは「はぁ」と溜息をついた。

 それならそうと前もって言ってくれればいいのに、といったところだろうか。そんなに気にしなくてもいいのだが、根が真面目なキアーラさんとしてはちゃんとできないのが不満なのかもしれないな、と思った。

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