終章・前 望む物
「よく歩けるな」
此方としては、「よく座れますね」と言いたい所だった。
まだ春の、終わるより前の事。レキが開け放たれた戸を覗き込んで、目を合わせた先に居たのは南前シオウ。偶然の邂逅という訳ではない。呼び出されて来た。そして同時に此方もシオウの下へ訪ねに行く機会を伺って、回復を待ってもいた。
場所は本城ではない。二の丸の内にある、南前所有の屋敷の一つ。春の陽の明るく差し込む部屋で、シオウは居住まい正しく座っていた。
まだあの妖退治から、それ程日も経っていない。だから正直な所レキは、驚愕した。
「頑丈なのが取り柄ですから。シオウ殿は、お身体は如何ですか」
「俺は騒動の間、座って待っていただけだ。それ程疲労もしていない」
本心から言っているのだったら、本物の化け物だと思う。が、本心と謙遜の違いが分からない程レキも鈍くはないから、前半分には頷きも否みも見せないで、残りの部分に「そうですか」とだけ返す。「立っていないで座れ」と言われて座る。
向かい合えば、流石に疲労の色濃い顔をしていた。珍しく神経を尖らせた様子が無いのは、尖らせるだけの気力が無いからかもしれない。そう思えば少しばかり話を切り出す気が引けたが、しかし、そもそも呼び出したのは彼の方だったから、
「他でも無く、褒美の話だ」
彼の方から、口を開いてくれた。
「此度の三妖討伐、この上無い成果だ。花神様亡き今、央扇の姫を頂に据えて政は行われる事になるが、その姫もお前を評価しておられる」
思い浮かべたのは、あの時目を合わせた少女。あれが姫を見た、初めての事だった。
「物か、金か。望む物が有るなら、何でも言ってみろ」
思い出すのは、己が併合一代目で在るという事。何度も言われた。『鳥』に。東流セッカに。此処では出世は望めないと。では何の為に、と。火鼠にも……そして、己にも。
だからこそ。
きっぱりシオウを見据えて、レキは言う。
「相応しい位を、頂きたく」
シオウの目が、大きく開く。
この男がこうした形で動揺を見せるのは珍しい――思いながらも、まずは己の言葉に懸命に。
「この国を出る事も、考えました。何処へでも行けると、教えてくれた者が居たから」
「…………」
「しかし私は、この地の事も愛おしく思う」
併合から、たったの三年だ。
積み重ねた物が有るのかと問われれば、きっと、それ程の物を答えられはしない。妖退治に各地を回りもしたが、それでも歩み入った事の無い場所の方が、ずっと多い。本当の所、火鼠に言われた通りに別の国へ行き、その地に腰を落ち着けたとしても、同じ程度の愛着は容易く得られる事だろう。
だからこれは、『偶々』の話なのだ。
「私には力が有ります。それを人の為に――『隣に生まれた者』の為に使いたいとも思う。そして、その行為を『虚しい物』とは、『報われない、甲斐の無い物』と思いたくはない」
だから、と。
無茶を言っているのは己で分かっている。それでも、己が望んだ事だから。
「力と行いに、相応しい位を頂きたい。多くは望みません。ただ、私と同じだけの力を持つ者が与えられる物を、同じ様に」
はっきりと、言葉にする。
決別も、有り得る事だと思いながら。
「……そうか」
南前シオウは、それに。
重々しい声と共に、頷いて。
「であれば、丁度良かった」
ふ、と肩の力を抜いて、そう言った。
驚いたのは、少しの微笑みが口元に浮かんでいた事だった。彼の下で動いてもう数年。しかしこれまで一度もその表情を見た記憶が無い――そんな気がするから。
驚き終えて質問を重ねるよりも先に、シオウが事の次第を口にする。
「姫から、お前を近習に引き抜きたいとの話が来ている」
「近、習」
「いわゆる傍仕えだ。姫の身辺の警護が主な仕事だが、他に引き抜かれるのが西原ソウジンと東流タツセの二人だ。それだけでは終わらない」
「タツセ殿が?」
西原ソウジンはいい、とレキは思う。本来は西原の一門の子息と自分が同じ役職に、というのも考え難いが、しかしそれ以上にタツセの事が気になった。
「東流の一門は、如何なるのですか」
「此度の一件を受け、名実共に東流セッカが当主となる。姫は、あの場に駆け付けた東流セッカも、そしてお前の事も『信用出来る』と判断しておいでだ」
どうも『月』の妖も言っていた様だが、とシオウは、
「随分と、この国の外は騒がしい。国守結界は近い内に俺が張り直すが、しかし花神様が亡くなられた事で失われた力も大きい」
「……それは、そうでしょうね」
「故に、最早出自には拘らぬ、と姫は仰せだ。適切な者を、適切な位置に置く。姫の直下、形としては俺や東流セッカと同列に置かれて、姫の命で退魔の任に就く事になるだろう」
如何だ、とシオウは言った。
言われても、理解が追い付かなかった。すると勝手に、淡々とその先を続けてくれる。
「南前も多くの術士を抱えてはいるが、東流の二人を始めとして、頭の抜けたのは各一門に分散している。此度、お前が西原や東流と協力して事を成した様に、垣根を取り払っての動きが期待されている物と見える。しかし、だからこそ南前との繋がりが切れる訳でも無い。今後は近習として務めつつ、南前と合同で事に当たる場面も出て来るだろう。北片は今の所その話は無いが、恐らく近い内に内務寄りの者が誰か一人は――」
「あ、ええと、」
そして理解が追い付いていない間にどれだけ言葉を並べられても、何も入って来ない。そう思って、取り敢えずその事を伝えようとする。シオウが言葉を止める。やはり、薄く微笑んでいる。
「如何する」
そして、彼は訊くのだ。
「この話、受けるか」
「――は。謹んで、お受けいたします」
「分かった。俺から姫に伝えておこう。挨拶の日取り等、追って教える」
は、ともう一度頭を下げる。こんな事になるとは――此処までの事になるとは、思っていなかった。それでも内心の動揺が収まるのを待って、「では」と退出しようとする。
「レキ」
その前に、名を呼ばれた。
「お前、甘い物は好きか」
そして更に重ねて、よく分からない事も訊かれる。
「甘い物、ですか。そもそもあまり食べる機会が無いので……米も芋も好きなので、苦手では無いと思いますが」
「そうか。では良かった」
何が良かったのか。
分からないままに、シオウが鈴を鳴らすのを見ていた。大声を出すのも歩き回るのも難しいから、あれを使っているらしい。少しの足音。廊下から人が現れる。二つ皿を持っている。一つはシオウの前に。もう一つは如何いう訳か、自分の前に。
菓子が載っている。
「あの、これは……」
「褒美だ」
「重ねて、という事でしょうか」
先程、その話をしていたのでは無かったか。自分の褒美は近習への位上げという事で落ち着いたのではなかったか。それに上乗せで、という事なのか。
「北片の蜘蛛退治」
シオウの答えは、違っていた。
「其処までは少なくとも、南前の管轄だ。全て俸禄にというのも良いかと思ったが、どうせお前は碌に使わないからな。だから勝手に、此方で用意した」
最初の蜘蛛退治。南前の命で北片の村に行き、妖を斬った。火鼠と会う前。この三妖の騒動に巻き込まれる前の事。
忘れ去られている物と、あの大事の前では、引き合いにも出されない物と――、
「村長から、立派な仕事だったと聞いている。よくやってくれた」
そう、思っていたけれど。
「これは、頂いてもよろしいんでしょうか」
「ああ。好きな物から食べると良い」
思わぬ事から与えられた礼だから、嬉しくなって、つい前のめりになった。
知らない菓子ばかりだった。これは何ですか。何で出来ているんですか――我ながら幼子の様だと思いながら、それでも訊かずにはいられない。そしてシオウは丁寧に、それに答えてくれる。やけに詳しいと思えば、「俺も作った事が有る」なんて驚かせて来る。
一つ摘まめば、あまりに甘く。勿体無くなって、ゆっくりと一つ一つ、淹れて貰った茶を間に挟んで、味わって食べていく。
間延びした時間。
幾らでも、話をする余裕が有ったから。
「気に入ったなら、これから近習の俸禄で買えばいい。……ところで、左手の具合は平気か」
「え? ええ、はい」
言われて思い出す程度には、痛みも引けていた。
心配は無いと示す為、胸の前に持ち上げて、シオウによく見える様にそれを動かす。
「おおよそはもう治りました。少し動かしづらい事は有るんですが、まあ、それ程でも」
ありません、と。
更に示す為に、レキはその左手で甘味を摘まみ上げようとした。
「あっ、」
よりにもよって、薄い煎餅の皮で包まれた饅頭を。
「…………」
「…………」
皿の上にボロボロと、それはあっけなく崩れ落ちた。
皿の上で助かった、と言うべきか。それとも黄粉の様なもっと始末に負えない物でなくて良かったではないか、と己を慰めるべきか。一番に出て来るのは、「この脆い甘味は、本当はどんな舌触りがしたのだろう」という事だったけれど、しかし会話の途中だからと強く耐えて、
「……『蓬莱の玉の枝』の霊力と、『鳥』と『月』の妖力に、馴染み切っていなくて」
一つには、霊宝から放たれた雷撃の影響。
二つにはそれで大妖を討った事。三つにはさらに別の大妖の技を、その腕に受けた事。様々相まって、今や自分の左の手には過剰な力が集っている。その事を、シオウに伝える。
そして、折角貰った物を目の前で壊したのだから、と思って、
「済みません、シオウ殿」
「いや、いい。俺のと替えよう」
言えば、更に思わぬ事を言い返された。
え、と驚く。しかしシオウは、既に己の皿を取って此方に歩いて来ている。よく歩けるな、と思う。思っている間に、やけに穏やかな顔をして彼は、強引に事を済ませようとする。
「シオウ殿、お気になさらず――」
流石に悪いから、レキがそう言えば。
「いい」
しかしシオウは何処にそんな力が残っているのか、びくともしないで手を動かす。取り換え終われば、綺麗になった皿の上。けれどそれすらも見ていない様な不思議な目をして、瞼を閉じる。
そして遠い日を思うように、彼は微笑んで。
春の光を半身に受けながら、呟いた。
「ずっと、こうしたかったんだ」
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