八の一 ずっと
長い夢を見ていた事を、火鼠は覚えている。
花の下に眠っていた頃の――殆ど死していた頃の話だ。
常に意識が有った訳ではなかった。封印を受けたのは初めてだったが、何時までも起きていたところで良い事は起こらないと、早い内に直感したから。桜の樹の下。廻る秋冬を燃え落ちた灰の様に過ごし、盛る春夏。その間だけを幾度か目覚めて、陽気から火の気を補った。
妖力を蓄えて、何時かは己の力で目覚める様に――しかし、それも何千年と掛かるか分からなかった。だから何度も火鼠は眠り、その時を待つ為、夢を見た。
きっと、人の目から見れば、古い夢だったのだと思う。
火の山に居た頃の記憶は、不思議とそれ程見なかった。大陸を歩いた頃も、案外とそれなりで。代わりに見たのは、この小さな島に辿り着いてからの事ばかり。
「――これでオレを、負かしたつもりか」
最初に会ったのは、風を使う小妖。
大して雑兵と変わりは無かった。けれど負け惜しみの言葉の仕様も無いのが気に入って、止めを刺さずに捨て置いた。都での事。強力な術士も山の鬼との戦でざわめいて、そう遠くない内に討たれて消えるだろう。そう思っていた。
「……何。迷惑、なんだけど」
次に会ったのは、羽を生やした手負いの妖。
都の、それ程人気の無い山の中。鬼の一団の縄張りとは異なる場所で血を流しているのを――正確に言うなら、それを『幻で隠している』所に出くわした。親切で治してやれば、文句ばかり言う。案外この手の妖に限って情が深い物だ、と思った事を覚えている。
最初に住み着いたのは、やはりその妖だった。山に居した己の周りをちょろちょろと。やがては虎の威を――鼠の威を借りる様になって、随分と馴れ馴れしくなった。一の子分、と嘯いては意地の悪い笑いを見せたが、その頃にはもう、大してその表情が似合う顔でも無いと思われた。底意地は、後から悪くするのは難しい。
風の妖も、結局その鳥の妖が誘った様なものだった。何時までも死なずに都を無謀に跳び回っていると感心していたら、何時の間にか鳥の妖と言葉を交わす様になっていた。概ね一方的に揶揄われて、騙されて、負かされていただけに見えたが、幻術相手の敗北はそれ程怖くは無い。構って貰えたのが嬉しかった訳でも無かろうが、何時の間にか山に近しい所に住み着いた。顔を合わせる度に喧嘩を売ってくるのは、良い根性に思えた。喩えその度に腰が引けて、半ば震えていたとしても。
「さて、」
夢の中では、何時も自分が最初に腰を上げる。
本当にそうだったのかは、実の所よくは覚えていない。その頃の都は、山の鬼との戦の予感に針の筵。居心地も悪くなって来たからそろそろ行こう、と。お互いにそう思っていたのだけは確かで、だから却って、何方が先に言い出したのかは、推し量って決める事も出来ない。
けれど、誰が二妖を引き入れたのかだけは、はっきり覚えている。
「一緒に来たらいいじゃない。後は月でも居れば、幾らだって歌になる」
風の妖はそれを知らず、鳥の妖はそれを知っていた。
もう随分と鳥の方は懐いていたから、二言三言、有っても無くても大して変わりの無い様な逡巡の言葉を呟いて、誰も聞いていないと分かると、直ぐさま初めから乗り気だった様な顔をして此方の側に就いた。風もそれに釣られた。かつての勝気は幾分か薄まっていた。成長と呼ぶには少し、寂しい形で。
西の方は、大陸から都に至るまでに散々歩いた。だから次は東へ。大海の畔に行き着けば、二晩、大きな舟を探した。「止めておこうよ」と言ったのが、「北の方で落ち着ける場所を見つけよう」と言ったのが誰なのかも、はっきりと覚えている。それに一も二も無く頷いて、鳥からは揶揄われて、風からは白い目を向けられた事も。
「おっと、降参。……効くのかな、これ。効いて欲しいんだけれど」
最後に会ったのは、惚けた大妖だった。
風や鳥とは格が違う。何故こんな所に、という辺境で、月光の下に黒い翼を休めていた。へらへらと笑いながらも明らかに、都の鬼の副将程度の力を持っていた。聞けば、この島には着いたばかりなのだと。随分と長い事西の方から大陸を渡って来て、疲れ果てている。君達と事を構えたくは無い、と。明け透けにその妖は言った。
「月だ」
ぽつり、風が呟いた。
「月?」
「ああ、本当だ」
揃った、と彼女が言えば、それで決まった。島に辿り着いた時にはたったの二妖――それがこうして、五妖に増えた。月の妖もまた、その何等の含みも無い誘いをするりと受けた。弱っている間、己より強い妖の手元に置いて貰えるなら願ったり、と。その妖気でよく言うものだと思ったが、自分にも増して穏やかな気性の持ち主で、そう時を経る事も無く、一行に馴染み切った。
大して広くも無い土地だから、幾度も廻り歩いた。
季節が変われば景色も変わる。一度訪れた所だって、何度も行った。歳月もまた、緩やかに物事を変えてゆく。五十年もすれば人村でも何でも、何処へ行っても歓待される様になった。顔を合わせる度にその長は変わったが、収奪する事も無く過ごしていれば、自然、力によって敬われる。敬われればそれなりに気分が良くなるのはあの風の妖すらもそうで、ただ穏やかな日々が続いた。笑って、毎日を過ごしていた。
「ねえ。火鼠」
だから、何時の間にか勘違いをしてしまっていた。
「こんな日が、ずっと続くと良いね」
春の日の次も、春の日が続いている筈だなんて、そんな事。
余りにも幸せだったから、柄にも無く、信じ切ってしまっていたのだ。
そんな夢を、何度も見た。
きっと人から見れば酷く古い、過ぎ去りし夢だったのだろうと、そう思う。
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