七の四 心が先に



 初撃で、殆ど打ち合いの領域は決まった様な物だった。

「飛んだな、火鼠!」

「チッ――」

 上手い、と素直に感服した。一撃目。大風の奔流に大火をぶつけて相殺すれば、紛れ込んだ下風に吹き上げられて、火鼠の身体は空に浮かされていた。

 それも、並大抵の空ではない――少し跳んで如何こう、という距離では無い。三階建ての城門を通り越して、更に上。足掛かりも何も無い宙空に放り出されれば、端からこれが狙いだったか、と気付く。その為に、本気で己を討ち取る為に、此処を戦場に選んだか、と。

「そのまま、死ね――」

「死ぬか、莫迦!」

 それでも未だ、歳月の長は此方に在る。

 数十撃の打ち合い。鳥でもない者共が風と焔を味方につけて、宙を跳び回る。自在に動き回り、互いが互いの隙を狙う。

 鎌鼬が、その大鎌を振り被った。遅い。その間に既に火鼠の二本の指は立ち、二つの術が発動している。

 一つ目は、小爆破。大鎌の柄を僅か押し留める様に、小さく。

 二つ目は、大爆破。己の背を弾き飛ばす様に、後方から。

「らあッ!」

「ぐ――」

 足が、鎌鼬の腹に突き刺さった。

 打撃は、地で受けるのと宙で受けるのとではまるで感触が異なる。足場の無い所で肉を硬くするのが難しいから、臓腑に直で衝撃が伝わる。身体を何処に引き付ける事も出来ないから、与えられた衝撃の分だけ、身体が跳ぶ。

 だから、その結果は分かりやすく。

 二の丸に立ち並ぶ屋敷の一つに、鎌鼬は勢い良く崩れ落ちて行った。

 手応えは有った。並みの妖で在れば、今ので命は残らない。宙に身を翻して降下しながら、火鼠は、それでも、

「――やる様に、なったじゃねえか」 

 まるでそれを疑っていなかったから、対処する事が出来る。

 崩れ落ちた屋敷の中から溢れ出た妖力。殆ど間を置かずに放たれた黒の一閃。違う。それに遅れて、宵闇に紛れて三閃、五閃――、

「疾ッ!」

 そして、本体。

 放たれた速度は、弓矢等とは比べ物にならない。天より落ちる稲妻と同じ速度で、鎌鼬は天へと昇り来る。此処までは読めていた。

「くッ――」

 読めていて尚、間に合わない。衝突速度が、そのまま〈風斬り鎌〉に乗っている。ただの振り回しではない。術を鍛えた者に特有の、洗練が其処に在った。

 腹の皮の一枚を破られて、肉に食い込んで、その削いだ肉を忌まわしき風が弾き飛ばして。

 其処で漸く、火鼠の肘と膝が、上下から〈風斬り鎌〉を挟み込んだ。

「く、う、おォおおおお……!」

「ぎ、ぃいいいい――!」

 荒れ狂う風の奔流。余波だけで二の丸の屋根々々が飛んでゆく。火鼠も決死だが、鎌鼬も同じだった。お互いがお互いの壁を壊して、力を無尽蔵に溢れ返らせている。

 けれど次手は、火鼠が獲った。

「――――〈灼火〉!」

 ぼこ、と〈風斬り鎌〉が沸騰した。

 そうと見る他ない。研ぎ澄まされた刀身に、ぼこぼこと一斉に泡が浮いた。鉄刀の内部に溶土が生じればこうなるかという有様。そうなれば、鎌鼬の応酬も速い。

「くッ――」

「だらぁッ!」

 鎌から手を放す。火鼠の回し蹴りを両手の平で受けて、風に従って遠ざかる。今度は一度目の突き落としとは違う。離されたのではなく、離れた。屋根の上に難なく着地する。落下の衝撃は無い。けれど、次の手は直ぐには繰り出さない。

 火鼠も同じ屋根の上に降りて来て、向かい合う。

「振り切りゃあ、お前の勝ちだったぜ」

 言ったのは火鼠。腸の零れ落ちる様な深傷に手を触れて、じゅう、と煙を立てた。離せば傷は引き攣れたままに塞がっていたが、それでも消耗の程は計り知れる。

「冗談だろ」

 言ったのは、鎌鼬。彼はばっ、と両手を広げて、月影に晒す。

 掌が真っ赤に溶けていた。たったの一瞬――殆ど瞬きも間に合わない様なあの一瞬の攻防に、鎌を通して手を焼かれていた。

「それじゃ勝てねえよ。引き分けだ」

「不満かよ、強欲者」

「そうさ。オレは強欲……」

 もう一度、鎌鼬が術を唱える。〈風斬り鎌〉。右の手に浮かんだそれをびゅん、と振り回し、顔を顰めれば襟巻を取って、その手と柄とを縛り付ける。覚悟の現れの様に、固く、強く。

「国だの何だの、今となっちゃあ如何でもいい」

 もう一度鎌を振れば、比べ物にならない程の大風が吹いた。

 国の端から端までを掻き回す様な、天の風。次の、そして最期になるであろう一撃を容易に彷彿とさせる、嵐の気配。

「どれだけ生命が長かろうが、所詮は全て、風に散り行く浅き夢――証が要る。此処にオレが在った事を輝かす、一等明るい、燃え盛る焔の様な証が」

 そうか、と火鼠は呟いた。

 足を少し開く。数百年の時を経て、今や構えない事が構えになる。ただ二本の術指だけが立てられた、その立ち姿。

 めらめらと、全てを焼き尽くす炎の様に恐ろしい。

 それに鎌を突き付けて、鎌鼬は言うのだ。

「手前を討って、天下無敵の妖になる。今やオレの望みは、それだけだ」

 火鼠、と。

 彼は、彼女の名を呼んだ。

「勝負だ」


 

 時は少しばかり戻り、それはまだ火鼠と鎌鼬が空中で打ち合っていた頃の事。

「ふッ――!」

「…………」

 やる事は、以前と大きくは変わっていなかった。

 レキが対峙するのは、無数の虎。刀を持てば――動かぬ身体を無理矢理に動かし切れば、そう容易く後れを取る事は無い相手である。向こうが慎重に立ち回れば、一刀や二刀で仕留める事は難しい。

 けれど――、

「時間稼ぎ。今度は、此方がやられる事になるか」

 見透かした様に、『鳥』は言った。彼女の座るのは未だ城門の上。長い脚を組んで、顎に手をやりながら彼女はこちらを見下ろしている。

「自分独りでやる気はないって訳?」

「……そうだ」

 あえてそれに、レキは頷いた。

 火鼠と鎌鼬が決着すれば、今度は二対一の構図になる。そしてあの二妖が上空で繰り広げる天変地異の様な争いを見る限り、それはそう遠くない。決定打が入れば、それで終いの大勝負。

 火鼠は勝つ。

 そう信じていれば、自分が今やるべき事は目の前の『鳥』の足を止めて、その勝負に要らぬ水を差させない事だと、はっきり分かる。だからこその、足止め。

「ふうん」

 けれど、『鳥』は。

「一つだけ訊きたいんだけど」

 そう言って、攻撃の手を止めた。

 虎の動きが止まる……四十の目が、それでも窺うように此方を見ている。レキは刀を納めない。代わりに、更に深くに身構える。

「貴方、如何して火鼠を追って川に飛び込んだの」

「…………」

「そんなにこの国が大事? 性悪の妖が作り上げた、この辛気臭い国が」

 狐狸の類の話は聞かぬのが吉。それはよく分かっている。耳に入れる時点で術中に嵌り掛けている。その事はあの川で、身に染みてよく分かっている。

「立身出世も望めずに、こんな場所に命を張って。莫迦らしいとは思わない?」

「思う」

 それでも、レキは答えた。

 驚いた様に『鳥』が目を丸くしている。その瞳に向かって、真っ直ぐにレキは言った。

「でも、心が先に動いたから。頭も身体も、それに追い付く様に走らせるしかない」

 暫く、奇妙な沈黙が在った。

 それはレキにとって不利に働く物ではない。少なくともその筈だと信じて、その沈黙を流れるままに任せる。

「――昔々、或る所に」

 不思議な声色だった。

『鳥』の唇が、遠くで微かに動く――その不思議とは、これまでの様な「何処から響いているのか分からない」という類の物ではない。もっと単純な感覚。

 こうして対峙しているというのに、敵意も悪意も、まるで感じられないのだ。

「尊き方が居られました。目の前には花と石。賢き人が現れて、尊き方にこう説きました。『石と歩むならば貴方は永く在り、花と歩むならば貴方は短く朽ちるでしょう』――それでも尊き方は、花を選びました。恋していたのです」

 けれど、その不思議も長くは続かなかった。

 ぞくり、と寒気を感じてレキは振り返る――其処には大蛇が、首をもたげていた。本当は何匹居るのかも分からない。両腕でだって抱えられない様な太さの蛇が虎の群れの中に在って、水面から姿を晒す魚の様に、その身体をぐるぐると突き出していた。

「昔々、或る所に」

 霧が立ち込め始めている。幻術、と即座にレキは見抜いた。二度目だから分かる。これ程の術が使えるのは、果たして狐か狸か、それとも別の――思う間にもみるみる視界は覆われていく。『鳥』の人と似た面相まで朧になってゆけば、いよいよ声の源も曖昧になってゆく。

「鼠と結ばれた、物好きな花が在りました。都の端で、尊き方の顛末を聞きました。怖くなりました。永劫生きる筈の不遜な鼠が、己に恋して死する定めと知ったのです」

 辛うじて開けていた視界は、空だけを映した。

 火と風の荒れ狂う夜天。ぐるぐると、骸に集まる様な不吉さを湛えながら、数十羽の鳥が飛んでいる。

「花は、己が先に死ぬ事に決めました。鼠を何百年も眠らせて、己を忘れさせる事も。……起きて彼女が寂しくない様に、辛気臭い国を建てる事も、全てを独りで決めました。嗚呼、なんて悲しい恋物語――」

 レキは静かに、瞼を閉じた。

 耳を澄まさない。何も香らない。刀から手を放す。風も、月明りも、肌に触れる何もかもから心を逸らす。自分には決して出来ないと、これまで思っていた事。肉の司る五覚に加わって、霊が司る六つ目の覚。

「――なんて、」

 ぶわり、と。

 レキを取り巻く妖力が、広がって。

「莫迦らしいとは、思わない?」

 それが襲い来る瞬間に。

 レキは、矢筒の中から『蓬莱の玉の枝』を引き抜いた。


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