五の三 中立



「…………」

「一応、もう一度言っておこうか。『断る』」

 聞こえなかった訳では、勿論無かった。

 けれどそれは驚くには十分な答えだと思ったから、暫くの間、それを受け止めるのに時間を要していた。

「まあ、そうなるか」

 その時間を埋める様に、代わりに火鼠が言った。

 レキと比べれば、何という事も無い様子だった。畳の上に膝を立てて、如何にも腰の曲がりそうな歪んだ座り方をして、退屈そうに壁の辺りを見詰めている。

 通された、東流の社の一室での事である。

 外から見た社は、西原の屋敷と同じとまでは行かなくとも、かなりの大きさを持っていた。川の上流の辺りを少し逸れると辿り着く場所で、坂がちな土地である。人の住処は周辺にそれ程多くは無く、夜になればとことん静かになる。日中であればもう少し見目に映えただろう石造りの鳥居もろくに目立たず、社は暗闇の中、半睡して蹲る一匹の巨大な獣の様にも映った。

 中に入れば、案外と細かく間取りは区切られているのか、通された部屋も六畳程。それ程大きくはなかった。家人の姿も気配も見えないのは夜だからか、それともそもそも碌に居ないのか、判然としない。

 向かい合って、三人は座っている。

「一応、理由を訊いても良いか」

「元々、『龍の首の玉』は家の霊宝だから。はっきり言わせて貰うと、花城国の危機だか何だか知らないけれど、東流が其処まで手助けする義理は無い」

 成程な、と火鼠は頷く。それで話は終わりとばかりの素振りにレキはたじろぎかけながらも、セッカに向かって、

「しかし花城国が落ちれば、東流の御一門にも影響は及びます。防ぎ切れなければ、三妖の手に落ちるやもしれません」

 辛うじて向こうに利の有る話を、或いは不利の有る話を持ち掛ければ。

 じっ、とセッカはレキの顔を見た。

 不躾なくらいの視線だった。切れ長ながら、縦にも瑞々しく開いた瞳。蠟燭の灯りに照らされながらそれは不思議に揺らめいて、何処か此処ではない場所を見ている様な、或いは『この場所その物を見ている』かの様な、奇妙な力を放っている。

「髪」

「え?」

「青いね、君。綺麗な色だ」

 言われて微かに毛先に指を伸ばしたのは、まだ思い出す必要がある程度の、ほんのつい先日に染められた物だったからだ。北片で陳情のあった妖の討伐。その折に血を浴びて、レキの髪先は青に染まっている。

「残存した妖力を霊力が取り込みつつあるけど、完全じゃない。という事は、つい最近浴びた血だ。南前の一門にも拘わらず葬儀の準備期間、妖討伐に出ていた事になる。しかも取り込む妖力の大きさを見れば、君の強さもある程度予想は付く。強さと扱いの不釣り合い。併合から、三代を数えていないね」

「……一代目です」

「そう。なら、分かるだろう。喩え花城国をその三妖が獲ったところで、一体何が変わるのかな」

 不意に隣で、長い灰色の髪が動くのをレキは見た。瞳だけで追う。火鼠がそっぽを向いていた。如何いう心持ちからそうしたのかは、後ろ姿からだけではまるで分からなかった。

「大して変わらないさ。大妖が居て、それを神と祀って押し上げて、後は己の生き死にをそれに委ねるだけだ」

「それは……しかし、花神様と三妖では、徳の違いという物が――」

「併合一代目なら、碌に会った事も無いだろう」

 二代目の私だってそうだ、と彼女は言い、

「それで、何が分かるのかな」

 短く、事実ばかりを告げられる。

 少しずつレキも言葉に詰まり始めるが、それでも、

「少なくとも、実績は有るのではないでしょうか。花神様はこれまで、東流の御一門を無下には扱いませんでした。三妖についてはそれが有りません」

「交渉次第、という事になるね。なら猶更、此処で君達に助力をする事で、後の不興を買う様な事態は御免被りたい所だ」

「……交渉の余地が、有る相手でしょうか。少なくとも本城は今、問答無用で抑え込まれています。東流の御一門のお力を軽んじる訳ではありませんが、国中の術士が集まった御葬儀の場ですらそうなのです。でしたら、この社は尚の事」

「腕の見せ所だね。しかし此方の手元に霊宝が無い事には、とてもその交渉にまで持って行く事も叶わない。……中々君は頭が回るみたいだから、はっきり言った方が早いか」

 じっ、とセッカはレキの目を見た。

 吸い込む様な瞳で、決して目を逸らす事は許さない、という様な視線で、

「この状況で、むざむざ矛を手放す人間が居ると思う?」

 それは、と。

 其処までは、口が勝手に動いてくれた。けれどその先は、頭が命じない限りは言葉に出来なくて、止まってしまう。

 静寂。

 長引けば長引く程取り返しの付かない事になるとは分かっていた。それでも如何しようも無くて、時間ばかりが流れて、結局、

「――そうなるわな」

 同じ事をもう一度、火鼠が言って立ち上がった。

「一応訊いておくが、意思は固いか」

「固くはないかな。ただ、他に移すところが無いだけ」

「此方の譲歩を引き出す目的も無いな? そういう駆け引きを見逃しがちでね。すれ違いは莫迦らしいから、明け透けに訊いておく」

「ああ。此方も、突っ撥ねた相手に何かを求める様な事は無いさ。ただ……」

「分かってるよ。此方だって、初めっから何もかも思い通りになるだなんて勘違いはしてねえ。『中立』なら中立で、それなりに扱うよ」

 助かるよ、とセッカは言う。御苦労さん、と火鼠は皮肉げに、口の端を吊り上げて返す。

 それをレキは、指先を僅かに震わせながら、見ていた。

「守戦に自信は有んのか? 片が付く前にあんたの所の霊宝をぶん奪られるのが一番厄介だ」

「詳しくは言えないが、それなりの自信は有る。それ程君も、長く掛けるつもりは無いだろう。二月程度なら保つさ」

「明後日には終わってるよ。その時に後悔しても……って、する程の事も無えのか」

「ああ。家としては、何も」

 だから、気が付いた。

「……そうかい」

 その時の火鼠の顔にも。

 少しばかりの寂しさらしき物が、滲んでいた事に。


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