五の二 土地
「取り逃しちゃった」
ばさり、と翼をはためかせて『鳥』が天守閣に再び降り立った時、『月』は再び高欄に腰掛けて、ぺらぺらと紙束を捲っていた。顔を上げもしないままで、彼は言う。
「御苦労様」
「それだけ?」
「それ以上の成果があるなら、もっと色々言っても良いかもしれないな。『色々言わせて下さい』位の事は」
「なんだ、『鳥』。あれだけ余裕振って何も持って帰って来られなかったのかよ」
「言えば言うだけ貴方の惨めさが浮き上がるだけ。止めておいたら?」
「オレは手前と違って本体は出してない」
「出せなかった、でしょ。言葉が下手。妖力と一緒に舌も失くしたの?」
おお怖い怖い、と茶化す様に『月』が言う。そして『鳥』も『風』も本気の言い合いでは無かったらしい。それで毒気を抜かれた様に、各々楽な体勢を取り始める。
相も変わらず大広間。要人重臣、誰も彼もが身じろぎせず、奥に座すのは三人の要。左には死人の様に動かぬ南前シオウ。中央には怯え疲れて眠りの際に居る、まだ幼い娘。右にはそれでも戦意を決して衰えさせる事の無い、短く切り揃えた髪の女。
『風』はただ、その広間の真ん中にどさりと寝転がって、つまらなそうに欠伸をしていた。『鳥』はその女のすぐ近く、ふわりと浮き上がって、挑発する様にちらり、と視線を送り、睨み返されるやへらりと笑って、そっぽを向く。
それから、西原の屋敷でのやり取りについての幾らかを語った。火鼠と鉢合わせになった事。結局霊宝は向こうの手に渡った事。火焔結界を敷かれた事、恐らく火鼠が霊宝を持って移動するだろう事――そして、
「甘っちょろいのは相変わらず。あれなら、私でもやり様は有る」
「楔は打ち込んできたという訳だ」
「あら、分かる?」
「声が楽しそうだからね」
うふふ、と『鳥』は笑った。隣ではこれ見よがしに『風』が舌を出して、「気味の悪い奴」と溢している。
笑い声が止まれば、不意に『鳥』は、
「何読んでるの、それ」
「この国の記録だよ。中々面白い」
「そ。よく眠れそう」
「君達はこの島の生まれなのに、驚く程土地に興味が無いな。時々不思議になるよ」
「異邦者に限って、土地に興味を持つ物でしょ。これが自然な形なの」
「だな。ずっと其処で生きられりゃ、記録だの何だの、大して気にならないもんだ」
「へえ。珍しく君達の意見が合った。瑞兆か凶兆か、迷う所だ」
真似しないでくれる、オレの真似をお前がしたんだ、と下らないやり取りがあり、
「で、面白い事ってのは?」
「花精の政の事だ。内を向けば名君、外に向かえば融和的……」
性格そのものだな、と『風』が言う。
「そう。そしてその実、新参者には中々心を許さない」
性格そのものね、と『鳥』が言う。
「それを貫くと如何なるか、という事が此処に書いてある。新たに取り込んだ地の者は、併合から数えて三代を経ない限りは大して重要な役に就けない。そういう風に決まっている」
「ふうん。道理で骨の無い奴ばかりだと思った」
身内贔屓の雑魚ばかり、と『鳥』は短い髪の女に笑い掛ける。挑発。それに一々歯向かいをするだけの気力はあるらしく、女は牙を剥いた。けらけらと『鳥』の笑いは一層賑やかになる。
南前シオウの左手が、何時の間にか固く握られている。
それを『月』は、じっと見ていた。
「しかしね、もう三百年だ。この辺りの地の大半は花精が手に入れて長い。殆どは既に融和して、実力に見合ったそれなりの地位に就いている」
「何が言いたいんだよ、『月』。逸れ者が潜んでるって話か?」
ああ、と『風』のその言葉で『鳥』は思い出した様に、
「そう言えば、居たね。火鼠の供をしてた女。術は下手だが腕は立つ。何で城に居ないで外をほっつき歩いてるのかと思ったら、そういう事」
「うん?」
不思議そうに『月』は『鳥』を見た。すると彼女もまた、同じ様に不思議そうな顔で返す。
「あら、違った? そういう話をしてるんだと思った」
「いや、そういうつもりじゃなかった。でも、確かにそっちもそうだな」
「でしょう。風の大妖様がしてやられる位なんだから、警戒に越した事は無いんじゃない?」
意地の悪い微笑みを向けられれば『風』はばつが悪そうに舌打ちをして、
「そいつの事は如何だっていい。確かにそれなりの腕だが、大した術士じゃねえよ」
「大した術士でもない奴に?」
「るせえ」
やり取りに、しかし『月』は手元の文書に目を落としたまま、
「よし。それでは其方も気を付けておこう。何のかんのと言って、火鼠を引っ張り出すだけの天運が有る事は間違いない訳だからね」
「天運が有るなら、そもそも立身も出来ないこの国に生まれ付かない様な気もするけどねえ」
「んなこたいいんだよ。で、『月』。そいつの話じゃないんなら、如何いう話なんだ」
言われて『月』は、矢張り目を上げないまま、こう言って答えた。
「花精を手こずらせた奴に限って、この国に愛着が薄いという話だよ」
❀
「腰を抜かすかと思った」
というのが、東流の一門の戸を叩いて、がらりと出てきた女の第一声だった。
夜更けも夜更けである。訪ねるにも憚られる時間。夜は深まりに深まって、辺りは一面真っ暗闇。満ち掛けた月の明るさのお陰で空の天辺ばかりは薄青く光っているが、しかしその他は殆ど地の底と区別が付かない。蛙も虫も寝静まり、月明りだけが水路に細長く、ちらちらと揺れながら明かりを落としていた。
レキの目の前に居たのは、妙に髪の長い女だった。並みの長さではない。影に隠れて見えない所も多分に有るが、しかし足首の辺りまで至るのではないかと思われた。その癖、柳の様に捉え所の無い顔付きをしていて、高貴な姫とも見えない。髪の、暗闇の中でも艶やかに輝いているのを見れば不思議な迫力もあるが、しかし羽織った着物も随分使い古しの印象があり、総じて奇妙な印象の、三十絡みの女である。
「東流の一門、御当主が叔母上、東流セッカ殿ですね」
それだけ特徴の有る女だから、一目で分かった。直接会った事は無い。だが、南前シオウの独り言から聞こえていた人物像と、ぴったり一致する。
「私は南前の一門の使い走りで、此度の……あの、」
「凄い匂い。何処で付けて来たの、これ」
くんくん、と嗅ぎ回る様に女――東流セッカはレキの首元に鼻を寄せて来た。長いのは髪だけではなく上背もで、半ば背を丸める様にして、瞳を閉じて。流石にレキは戸惑って、諸手を肩の辺りまで挙げる。しかし押し遣るにも気が引けてそのまま居れば、
「火と灰に混じって……人、は本人、で、獣……ああ、」
そういう事、と。
何でも無かった様に彼女はひょいと身を起こして、左右に首を振り仰いだ。
「火鼠は? 逸れたの?」
まだ一言も、此方の事情を説明する前の事である。
驚くとか、そういう当たり前の反応よりも先に、納得が先に来た。
「いえ。少し離れた所で待って貰っています。西原の屋敷を訪ねた時は、それで驚かせてしまったので」
「西原。留守番はソウジンの坊ちゃんか」
「はい」
「あの子、寺で修行したって言っても精々が豆狸と仲良くなった程度でしょ。そりゃびっくりして矢の一本や二本は放つよ。殺されるのをむざむざ待つ事は無い」
いえ、とレキは言おうとした。
火鼠は其処まで危険な妖ではない。寧ろ今、この国にはそれより遥かに危うい三体の大妖が襲来していて、その退治の為に彼女の力を借りているのだ、と。しかし、それを言う前に、
「立ち話も何だから、取り敢えず入りなよ」
前段にも拘わらず、さらり、とセッカは言ってのけた。
「火鼠も連れて来て貰えると話は早いかな。夜通し走って来たの?」
「はい。昨日の夜に西原を出てからは、それ程休む事はなく」
そう、と気負うでもなく言うセッカは、背と首を大きく伸ばして、きっぱりとその方向を見詰めている。火鼠が妖気を潜めて、佇んでいる筈の場所。レキが教えた訳でも何でも無いというのに。
「じゃあ、食べ物も有った方が良いね。火鼠を連れて来たら、入って右の間で待ってて。何か持って来てあげる」
期待はしない方が良いと思うけど、と彼女は踵を返し、玄関の奥へと戻って行く。
不思議な人だ、と思いながらレキは一度その戸を閉め、火鼠の居る方へと早足で歩いて行く。しかし何処かで、納得する気持ちも有った。
東流セッカ。
彼女こそ、国の退魔師を取り纏める南前シオウをして「己と同格か、それ以上」と認めた国内唯一の術士であるのだから。
しかし取り敢えずの所、最初の接触は上手くいった。後は事の次第を説明し、助力を乞うだけ。最も困難な点は乗り越えた。これで事は滑らかに運んで行く筈だ。レキは、そう思っていた。
全てを聞いた東流セッカが「断る」と一言、口にするまでは。
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