三の五 取り合い
「詰まるところ、これからあたしたちがやるのは霊宝の取り合いって訳だ」
北片の村で、まだ床を離れられずにいた頃。
まだ旅立つ前。怯えた村長が遠巻きに供してくれた粥に匙を入れて、傷を癒していた時。或いは火鼠の望みに応えてレキが話し終える限りを話し終え、また火鼠からも幾らか必要な説明が成された後。布団の横にどっかりと胡坐をかいた火鼠は、そう言って語った。
「向こうが霊宝を取る前に、此方で確保しようという考えですか」
「それも有る」
「も?」
も、と火鼠は頷いて、
「理由は二つ。一つはあんたが今言った通り。霊宝を奪われたら向こうの力が強くなる。少なくともどいつも結界の要に使える事は間違い無いからな。『棺』の結界がこれ以上強くなると、まあ、面倒臭え」
「強襲は?」
肺の辺りを気にしながら、少しばかり手指を動かしながら、レキは訊ねた。痛みは残る……が、動けない事は無い。丈夫だ丈夫だと思っていたが、いい加減己の身体に呆れる程度には、力が戻って来ていた。
「『棺』を固められるよりも先に、城に行くのは駄目なのですか。単純な道のりで言えば、どの霊宝の元に行くよりも其方の方が早いと思いますが」
「それが二つ目の理由。今のあたしじゃ、直ぐには『棺』を壊せねえ。守ると攻めるじゃ守るが有利。術が下手でもそれ位は分かるだろ」
はい、と素直にレキは答えた。その事は何より火鼠と出会ったあの夜、曲がりなりにも自分如きが『風』の大妖を抑え込めていた事から、経験で理解出来ている。
「辺り一帯焼いて回れば二日で焼き殺せる……が、それも『月』の野郎だけを相手にした場合の話だ。その間に『風』と『鳥』が飛び回って霊宝を拾って来れば、それだけ『棺』の力も強くなる」
という事は、と未だ霞がかった様な頭で、レキは考える。
霊宝を確保する事で『棺』の結界の強化をさせない様に、いや違う、これだけでは一つ目の理由と同じだから、と、
「……此方も霊宝の力を使って、『棺』の結界を一気に破壊する」
「そういうこった。国守結界とかいうのに使われてるのは残り三つだったな」
「二つを確保すれば、過半が取れる」
我が意を得たりという様に火鼠は胡坐に肘を立てて、上体を前に傾ける様にして、
「で、如何だ。あんた、他の霊宝の在処に心当たりはあるか」
訊ねられれば、レキは。
シオウの口にした言葉を、思い出している。
――――要と不要を己で判断し、好きに動け。
「心当たりなら、有りますが」
「が?」
が、と頷いて、レキは己の身を起こす。
布団の上に、痛む身体を無理矢理動かして、畏まって座ろうとしたのを律して、勝手に動こうとした口もまた、心もまた、押し殺して。
「貴方一人では行かせない。行くなら、私も一緒に行く」
真っ直ぐに火鼠の目を見つめて、そう言った。
❀
ひょい、と塀の上に戻っても、火鼠は屈み込んだまま何処か別の所に目を遣って、さらにはひらひらと手を振ってもいた。
何だろう、と覗き込んで視線を合わせれば、其処に見えた。童子。屋敷のずっと奥の方で、一人の童が柱の陰から頭を出している。
ああ、とレキは頷いた。
「近くに住んでる人を匿ってるって。元々そんなに多く住んでる場所でもなかったし、御葬儀で結構出払ってたから、何とか収まったって」
「はあん。それ、あたしに教えて良かったのか」
「見えてる物は、もう隠せないから」
手を出さないでね、と釘まで刺せば機嫌を損ねるだろうか。
悩んでいる内に童は大人の手に捕らえられて、奥へと引っ込んでいく。ぴしゃん、と強く戸を閉める音が、此処まで響いた。
で、とそれを見送って火鼠は、此方を見上げて言う。
「どうだった。あの細っこい坊やとの交渉は。譲ってくれるって?」
「取り敢えず、方針は理解して貰えた」
へえ、と驚いた様に、大きく火鼠は声を上げた。
「なんだなんだ。もっと揉めるかと思ったが、あんた口まで立つのか。拾いもんだったな」
「や。私がどうって言うよりも、南前……派閥の名前が信頼されたんだと思う」
思い出すのは、南前シオウの言った事――『要と不要を己で判断し、好きに動け』の言葉。
まさか此処までの事態をあの時点で想定していたとは……とも、レキは言い切れないところがある。現れた三妖、それに火鼠。自分の様な末端の術士では、シオウが何処までを、そして何を把握していたのか、窺い知る事は出来ないからだ。
しかし取り敢えず、その言葉を指針にして進む事は出来る。要と不要を己で判断し、好きに動く。国守結界の破棄という急進的な手段を取る事についても、だから躊躇いの多くを排して、実行へ移す事が出来ている。
「でも、条件」
「お?」
「国守結界を破棄した後は、事が収まるまで貴方に結界を張って欲しいって。さっきの方……西原ソウジンっていう、えっと。何だろう。この屋敷の御曹司?は其処まで強い結界は張れないらしいから」
「いいぜ」
あまりにも軽く返事が来たので、拍子抜けしてしまった。
「北片と同じ規模でお願いする事になるけど、大丈夫?」
「別に百年も二百年も張れって訳じゃねえんだろ」
「まあ、うん」
「なら別に、構いやしねえよ。霊宝が無くたってそのくらいのこたあ出来る」
ひょい、と火鼠は立ち上がる。
「こっちが一方的にお願いされるって訳でもねえしな。多少は融通するよ」
真っ青な空に、灰色の髪を雲の様に、或いは煙の様に棚引かせて、軽く伸びをする様に背を反らして、
「それに、あんたには封印を解いて貰ったのもある。ついでに立身出世の功績くらいは持たせてやるよ。術士は辞めて、救国の将軍様にでもなったら如何だ?」
はは、と笑う。
はは、と笑い返したのは、その言葉が嬉しかったからというより、寧ろ、
「どうも。これ以上私、出世できないんだけどね」
「あ?」
「レキ殿!」
火鼠が訊き返した直後に、塀下から再び若い男の声がした。
西原ソウジン。痩せた姿で、今は先程と違って多少なり具足に身を包んで、弓を背に、刀を腰に。
「案内します、参りましょう!」
ほら、とそれを契機にして、レキは火鼠に誘い掛けた。
「霊宝の在処まで案内してくれるって。三妖が来ない内に、早く行こう」
火鼠の返事を待たない内に、レキは塀上からソウジンに語り掛ける。何方に向かえばいいですか。ああ、ええと、そうですねそれじゃあ外に降りて下さい僕も今から其方に、とソウジンがガチャガチャ音を立てながら忙しなく動き出して、
「此方だって」
言って火鼠の顔を見る事もなく、レキは塀から飛び降りた。
それではお前は何の為に戦っているのだ、と訊かれたら、答えられる気がしなかったから。
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