三の四 共有
外の塀の上では火鼠が、小さく欠伸をしながら胡坐をかいて、空を眺めている。
少なくともそれだけの時間、話し込む必要が有ったという事だった。
「……成程。承知しました。少なくとも貴方が南前所縁の術士であるという事は間違い無さそうです」
「恐れ入ります」
「しかし其処からが分からない。何故、あの様に恐ろしい妖気を放つ妖と行動を共にしているのです」
レキが通されたのは、結界の強く張り巡らされた一室だった。
上等な畳。板の間には掛け軸に陶器。品の良し悪しはレキには判断付きかねる所であるが、何せ国一番の商人の屋敷である。まさか貧相な物を掲げている筈も無い。何処か自分に不釣り合いな場所に押し込められた様な居心地の悪さを感じながら、レキは座り、一方で弓の男は立ったまま、暫くの話し合いが行われていた。
「塀の先の結界を物ともしなかった。貴方が人である事には疑いがない」
「…………」
気付かなかった、と言えば出自を疑われそうだから、レキは黙して語らず、ただ目の前のこの青年の方が己よりも霊術に明るいのかもしれない、と胸の内で思うに留める。ひょっとすると、火鼠が外に残ると言ったのも、その結界が在っての事かもしれなかった。
「だからこそ、尚分かりません。南前の一門でありながら、そして今この国に妖共が攻め込んでいる事を知りながら、何故あの様な大妖を伴って歩いているのです」
次いで投げ掛けられたその質問で以て、漸くレキは口を開く。
「その理由を話すよりも先に、互いの知識の擦り合わせをしたいのですが」
「擦り合わせ?」
はい、と素直に頷いたのは、特段利害が食い違う相手でもない筈だと考えたからだった。
「私は併合一代目です。南前での位も高くない」
「…………」
「その上、シオウ殿の命で北片に遠征をしている最中に事が起こりました。故に此方で把握している事情と其方で把握している事情が食い違っているかもしれません。如何いった流れになるにせよ、前提を共有したい」
「……成程。しかし――」
「勿論、此方が先に話します。貴方も……失礼。御名前だけは先に伺ってもよろしいでしょうか。私はレキと申します」
「ソウジン。西原ソウジン……西原ドウランの、三男です」
恐れ入ります、と素直に名を告げられた事に礼を言い。
それからレキは、長い話を語り出す。
「まず把握しているのは、本城が今、三体の大妖に襲われているという事です」
ソウジンが迷い無く頷くから、レキもまた頷き返して、直ぐに、
「そして本城はその大妖の内の一体が行使する『棺』の結界なる物によって、援軍を拒む様に塞がれています」
「『棺』の……。あの、城を覆う物をそう呼んでいるんですね」
「はい。失礼ですが、ソウジン殿は霊術の心得が?」
「成教からの出戻りです。三男ですから一度は寺に出されて、読み書きだの何だのを修めて後、西原の家に戻って参りました」
しかしまさかこんな所に出くわすとは、と幾分砕けた調子でソウジンは頭を抱える。その仕草に一度語りを止めて、レキは、
「道理で。屋敷の結界もソウジン殿ですか」
「そうです。南前の方々から見れば粗末な物でしょうが、父と兄に留守を任されたのが僕で良かった……と言って良いか如何か」
出自を聞いて漸く、レキは様々な事に納得がいった。
屋敷から出て来たのがただの一人であった事。その一人があたかも西原の全権を持つかの様に語り、また同時に、妖や霊術に関しての見識を備えている事。
幸いと言えば幸いだったのだろう、とレキは思う。
言ってみれば、流しの僧が怪事に丁度よく居合わせてくれた様な物だ……しかもその立場から、この上無く信頼の置ける僧が。
「お陰で、此方は助かります」
「嬉しい言葉です。……話の腰を折ってしまいましたが」
どうぞ続きを、とソウジンが言うから、レキは、
「今の所、三体の大妖を花城国の術士が撃退できる見込みは有りません」
「……言い切られますか」
「全体像を正確に把握している訳ではありませんが、恐らくは。花神様の御葬儀には有力な術士の殆どが出席しています。そして何より、シオウ殿も。彼等が現状城に囚われたままであるのなら、私の様な偶然難事を逃れた術士如きでは、束になっても妖を討つ事は出来ません」
ソウジンは、眉根を強く寄せている。
不機嫌、と呼ぶには力強さがない。ただ困り果てた、追い詰められた、という顔。
「それが、南前の術士である貴方が妖と共にいる理由という訳ですか。しかしあの妖、どういう素性の者なんです」
「国守結界の内の一、霊宝『火鼠の皮衣』。御存知ですか」
「勿論。西原も国守霊宝を司る家の一つ……『火鼠』?」
ええ、とレキは頷いた。
「国守結界の要石として封印されていました。『皮衣』ではなく、正真正銘の『火鼠』のようです」
其処からは、起こった事をありのままに、レキは語った。
南前シオウの命で霊宝の具合を視察に行った事。その折、大妖が一『風』の襲撃を受けた事。命からがら、一矢報いんとして霊宝の力を解放しようとしたその時、封じられていた『火鼠』が目覚めた事――。
「一先ず、彼女の協力によって『風』を撃退しています。聞けば、彼女は三体の大妖どもに浅からぬ因縁がある様子。よって勝手ながら、協力関係を結びました」
「浅からぬ因縁……都合が良すぎやしませんか」
「国守結界に封じられていた妖ですから。花神様の御逝去とともに現れた妖と面識があるのも、そう不自然な話とは思いません」
私は、とレキは言い添えれば、ソウジンはさらに意気を失くして、
「信用は、出来るんですか。大妖の一味が貴方を騙そうとしているのでは」
誤魔化す事を、レキは良しとはしなかった。
「大いに有り得ます」
「…………」
「しかし端的に申し上げれば、他に選ぶ余地は有りません。先程も申し上げた通り、火鼠の力を借りない事には城を奪還する事は叶いませんし――」
「――火鼠が裏切るようであれば、それで詰み、という事ですか」
はい、と頷く他なかった。
「安心の種になるかは分かりませんが、彼女は友好的です。『風』の撃退後に私を村まで運んでくれたのもそうですが、封印を解かれた事で欠けた国守結界の代替として、術を組んでくれました」
「結界を?」
「『火焔結界』と。かなり攻撃的な術で、長く使うと北片の地に悪影響が出るそうですが、ただでさえ国守結界は綻んで三妖の侵入を許していますから。あれ程の力を持つ妖の結界、間に合わせとしては遥かに頑強かと」
「……成程」
「それから、こう言うと却って不興を買ってしまうかもしれませんが、この屋敷に入る時も彼女は、正門を焼いて通る事を選ばず、あえて私の手を借りて塀を上る事を選びました。力を振り翳さず、ある程度こちらの流儀に合わせる意思がある……少なくとも、目的達成の協働者程度には捉えてくれているようです」
「…………うん、うん」
成程、ともう一度言い。
ソウジンは袖に手を突っ込む様にして腕を組むと、天井を仰いで、その若い見た目に似合わぬ長い、長い溜息を吐いた。
「……人ならざる者の力を借りて、人ならざる者を討つ。古今東西、聞く話ですね」
それから彼は、しかし腰を下ろさないままレキに視線を戻して、
「退魔は本領ではありませんから。……南前の術士である貴方の判断を、信頼する事にします」
それで、と。
これが正念場、とばかりに身を乗り出して、
「本題に入りましょう。何を望んで、貴方達はこの西原の屋敷に来たのですか」
はい、と。
頷いて、対照的にレキは、まるで気負いもしないままで言う。
「西原の一門が管理されている霊宝――『燕の子安貝』をお借りしたく存じます。『棺』の結界を、破壊する為に」
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