三の三 西原



「御免下さい」

 三度言ってもまだ誰の姿も見えず、流石にレキの心にも不安の影が差し始めた。

「皆殺しにされてんじゃねえのか」

「…………あのさ、」

「冗談だよ。怒んな」

「怒ってる訳じゃないけど」

「訳じゃない、けど?」

 あれから直ぐに、北片の村を出た。

 馬を走らせ一昼夜。飲まず食わず……というのでは走る馬があまりに哀れなので数度の休憩こそ取ったものの、それでも殆ど一直線に、此処まで辿り着いた。

 西原の長者屋敷。

 花城国の商人頭である西原ドウランが居を構える、その屋敷まで。

 レキも、西原ドウラン本人こそ幾度か見掛けた事が有るが、屋敷を見るのは初めてだった。とにかく広い。外壁を見つけてから入り口を探すまでの間に「馬を繋がず乗って来れば良かった」と後悔する程度の距離は歩かされたし、塀の高さもかなりの物だから、とても中の様子は窺い知れない。

「御免、下さい。…………」

 そして。

 四度呼び掛けても、誰も門まで出て来ない。

「家がでかくて声が届かねえ……なんて、間抜けは有る訳ねえよな」

 火鼠が言うのに、うん、とレキは頷く。

 外から見てもこれだけ大きな屋敷なのだ。門から屋敷までもかなりの距離が有るだろう事は想像に難くない。そうなるとそもそも門番の一人や二人が居なければおかしい……その上、

「此処に来るまでも、誰の姿も見掛けなかったでしょ。だから、引っ掛かって」

 今度は火鼠が頷く番。彼女も小さく顎を引いて、それからレキと同じ様に辺りを見回した。

 恐らく市の開かれる事の有る通りなのだと思う。道幅は広く、周囲の田畑からは少しばかり距離が有り、整ってもいる。しかし其処を行く人通りは一つも見えず、また此処に至るまでに馬上から見た限りでも、同じく誰の影も見えなかった。

 皆殺しにされてんじゃねえのか、という火鼠の指摘も。

 案外そう遠からぬ物かも知れないと、そう思い始めて。

「よっ、と」

「開く?」

「いや。蹴り飛ばすか?」

「ううん。上から行こう」

 言ってレキは、ふ、と小さく呼気を放って、大きく跳んだ。

 そして塀から張り出した庇の端を片手で掴み取って、ひょい、と。結った髪を躍らせながら軽い身のこなしで、塀の上に乗り上げる。

 ぴゅう、と火鼠が口笛を吹いた。

「あんた、術は酷いが体術は中々のもんだな。都の武者にも負けてないぜ」

「どうも。手、要る?」

「頼むわ。鼠返しは苦手でね」

 少しだけ、考える時間が必要だった。

「……ありがとう」

「何がよ」

「こっちの都合に合わせてくれて」

 手を差し伸べれば、火鼠もまた、不思議そうな顔でレキの顔とその手を一瞥してから、

「変わってんな、あんたも」

 ぱしっ、と音を鳴らして、握り返してきた。

 妖の身体の重さというのは、レキにとって何時も不思議な物だった。同じ存在であっても、重い時もあれば軽い時もある。妖力の多寡が重さに直結している……のであれば火鼠はとても自分では持ち上げられない程、歩くだけで地が沈んでも何らの不思議も無い程である筈が、

「よっこいら。……ほお。高えな」

 やはり、そう単純な問題でもないらしい。

 一息にレキは、火鼠を引き上げた。

「島のど田舎でも、これだけの屋敷を建てられる様になるもんか。時の流れってのは圧巻だね。……お。ちょうど雲が晴れてるぜ」

 見えるか、と。

 額に手を当てて日差しを遮りながら火鼠の指差す方向を、レキもまた、共に見遣った。

「『棺』の結界。確かに、目を凝らせば薄ら紫になってるね」

「あんた、本気で術才が無いんだな。普通、あれだけ妖力が漲ってりゃ嫌でも目に入るぜ」

 呆れた様に火鼠は言うけれど、悪意らしい気配は感じられず、また事実でもあったので、レキはただ「うん」と頷いて、

「よく言わ、」

 れる、と言い切る事が無かったのは、もっと見易い物を瞳の中に捉えたからだった。

 じゃっ、と履物の裏を擦る様に、レキは半身を翻す。動き切るには間に合わない。腰は回し切れない。腕だけを先に動かして、無理矢理に握力で引き留める。

 一筋の矢だ。

 それが火鼠目掛けて飛んできたのを、レキは咄嗟、彼女に突き刺さる前にその手の中にはっしと掴み取って――、

「熱つっ、」

「うおっと」

 その瞬間に、ぼう、と矢は燃え上がる。

 並大抵の燃え方ではなかった。明らかにその矢を宙で溶かし尽くそうと試みた灼熱。掴むよりも放す方をよっぽど速く済まさなければならなくて、それでも多少掌が焼けるのばかりは止めようもない。

「悪いな。平気か」

「うん。御免、かえってややこしく――」

「あ、妖ども!」

 しちゃって、という言葉は、言い切っても殆ど掻き消えてしまった。掻き消したのは、眼下に立つ人物の声。

「そ、其処から降りろ――西原の一門には、決して手出しはさせないぞ!」

 肩口まであるかという髪を雑に括っただけの、若い男だった。

 細身で、目立たぬ筋骨をしている。非力なのか、単に怯えているのか。その細面の眉に決死の気迫が宿っているのを見れば、あるいは勇気を振り絞っているが為にか、身体を震わせていて。

 震える手で、弓を構えながら。

 震える足で、しかと地面を掴み込んで、屋敷の正面に立ち塞がっている。

「あたしが……いや。かえって話がややこしいか。身内だろ?」

「花城国の重臣の一族。面識はないけど、私が話を付けるよ」

「応。んじゃ、あたしは此処で待ってるよ。……手、大丈夫か」

「平気。丈夫が取り柄だから」

 ひらひらと、分かる様に火鼠に向かって手を振って。

 それからレキは、真っ向向かいから、眼下の弓の男を見つめ返した。

「ひ、」

 もう一矢。

 今度は危うげなくレキは顔を傾けて、それから「勿体ない」と思い直して、その顔の横を過ぎ去りかけた矢を、掴み直して。

 それを片手に、ひょい、と塀から降りる。

 勿論それは、屋敷の外の通りに向かっての事ではない。弓の男の居る方。屋敷の方へ向かって。

「く、来るな」

 一歩進めば、矢を番えながら男は一歩、後ろに下がる。だからレキは足を止めて、刀の鞘に手を掛ける。怯えた男が再びその矢を放すよりも先に、見える様にそれを掲げた。

「南前の者です」

 鍔。

 其処に彫り込まれた、実を付けた一枝の家紋。

 暫し、弓の男はそれに目を凝らし。

 止めとばかりにレキが僅かに霊力を込めれば、はたり、弓を下ろして茫然と、こう呟く。

「何故、妖と共にいるのですか」

 それに対して如何言ったものか、レキは同じく暫しの間を思考に費やして。

 適切な言葉が見当たらなかったから、結局、こう言って返す事になる。

「話せば、長くなるのですが」


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