三の二 仲間



 それは、広大と呼んでも差し支えのない部屋だった。

 目の大して良くない者が端に座すれば、もう片端に立つ者の顔を見分けるのは難しいだろう……それ程の大きさの場所に、あるのは畳と柱ばかり。整然と並べられたそれは殆ど装飾を持たないが、『揃っている』というただ一点のみで、一種の美しさを放っている。

 その部屋に、幾人もが集っていた。

 主だった者は、恐らく二十人程度。その護衛だのまで数え足せば百人は下らず、誰もが畳や柱と同じ様に、揃って同じ色の着物に身を包んでいる。黒――喪服。

 花城国が中央の城。天守閣。その最上階。

 喪服の殆どは、今はただ、怯えていた。

「ふふ……頑張るね、色男に色女。ちょっとくらい隙を見せないと、それじゃ誰も仲良くしちゃあくれないよ」

「ひ――、」

「黙れ、妖……!」

「あはは、嫌われちゃった」

 それでも装いや振る舞いの違う者が、数名居た。

 一人は今、最も口数の多い女。茶金の縞模様の入った華やかな着物に身を包んだ、金色の髪の――『妖』と呼ばれた女。

 彼女は裸足のまま、その広間を歩いて行く。

 喪服の者どもの間を掻き分ける様に、深く、深く入り込んでゆく……そして、辿り着くのは最奥の行き止まり。

 在るのは、花に囲まれた空の棺と。

 その傍に侍る、三人の身なりの良い者たち。

 中央に居るのは、まだ幼さの残る娘だった。歳は十五に至るか至らないか。長い黒髪。手指には傷もくたびれもなく、高貴な身分である事は容易く想像が付く。

 そして右に控えるのが、『妖』の女に牙を剥く……これもまた、女。髪は襟元の辺りでばっさりと切られ、しかし口調の威勢とは裏腹に、畳に根を張ってしまったかの様に、その場から一歩も動けずにいる。

 最後に、左に控えているのが長髪の男。

 南前シオウ。

 何を言う事も無く、ただ長い髪を無造作に垂らして、だつ、だつ、と畳に汗を落としていた。

「でも、そろそろ心を許してくれても――っと、」

 ばちりと音がして、『妖』の伸ばした指は、三人に触れる前に弾かれた。

『妖』は焼け焦げた己が指先を、目を眇めて見つめる。それからつまらなそうに、ふっ、と息を吹きかけて、

「……調子に乗るなよ。結界が解けたら、八つ裂きにしてやるからな」

「やっ、て、みろ……!」

 ぎぎぎ、と髪の短い女は無理矢理に上体を傾けて、挑発する様に歯を見せる。

 その時、不意に。

「その辺りにしておきなよ、『鳥』」

 奇妙に響く、声がした。

 びくり、と髪の短い女の肩が跳ねる……それより大きく、中央の娘は「ひっ」と声を上げる。南前シオウの指先すらも、死体の呻きの様にびく、と動いた。

「でもさあ、もう二日目だよ? 『月』」

「まだ二日目さ」

 白銀の髪の、線の細い男だった。

 肩の辺りまである髪に、真っ赤な瞳。外套の様な黒い布を羽織って、部屋の外、開け放たれた戸の向こうで高欄に腰掛けている。

「花精に放り出されてから、三百年も待ったんだ。今更数日位は何でも無い」

 背には夜空。

 金色の、巨きな月が出ていた。

「それに霊宝の力頼りとはいえ、僕達三人の妖力を弾く結界が張れるなんて、人間にしてはなかなかやる。少し位寿命を延ばしてやっても良いのではないかな」

「『御石の鉢』……」

 これさえ無ければ、と『鳥』は睨み付ける。

 短い髪の女と南前シオウの二人が、それぞれの指で共に掴んでいる物――霊宝。宵の暗中にさえ光り輝く、石造りの鉢を。

「花精の奴、余計な物ばかり……」

「何、それも暫くすれば僕達の物になる。この豊穣の地と合わせて、贈り物と思う事にしようじゃないか。それより君、そんなに気が逸っているなら――」

「――おい!」

 叫ぶ声と共に、びゅう、と突風が吹き渡った。

 バキバキ、と城の軋む音さえ聞こえてくる。「おいおい」と『月』は呆れた様な声を出して、しかし一方で『鳥』は先程までの不機嫌を忘れたかの様に、着物の袖で口元を隠してほくそ笑む。

 その風に紛れて、とす、と一対の足音が響いた。

「なんで火鼠の野郎が生きてやがる!」

 現れたのは、長い襟巻に、茶色い癖毛の青年だった。

『月』や『鳥』に比べると、幾分か威圧感が薄い――のは、恐らく見目の幼さの問題ではなく。

「分け身が焼かれた……手前等、知ってやがったな!」

「ああ、本当に生きてたんだね。御愁傷様」

「……そうか。少しばかり、厄介になったな」

「厄介どころの話じゃねえ!」

 バッ、と大きく青年は手を振るう。

 ただそれだけで、わっ、と大嵐が吹き渡った。

 城が軋み、歪み、傾く。流石に一息に毀れこそしないが、その風に晒され続ければそう長くは保たないだろう、と知れる程度の強さで。

「――っ、南前! もっとしっかりしろ!」

「…………」

 霊宝――『御石の鉢』を媒介に結界を張る二人の術士は、さらに負荷を掛けられて、しかし、

「何を癇癪を起こしてんの。抜け駆けしようとしたのは貴方でしょう。自分で決めて、自分でしくじった。自分が悪い」

「…………ちっ」

「『鳥』。『風』。あまりいがみ合うなよ。折角もう少しで国が手に入るんだ。こんな所で仲間割れを起こしても面白くない」

「仲間ぁ?」

「誰と誰が?」

 参った、という様に肩を竦める『月』も、それを意地悪く笑う『鳥』も『風』も、まるでそれを意に介した様子はない。目の前の人間の事など取るに足らない些事とでも言う様に、眼中に入れる気配すら無く、ただ、

「それにしても、『火鼠』か」

 遠い夜空の、先を見る様に。

「三百年……彼我の差がどの程度縮まったか確かめてみるのも、悪くはないが」

「貴方一人でやりなさいな。私は御免」

「冷たいな。『風』。彼女はどんな様子だった?」

「如何って……変わんねえよ。元のおっかねえままだ」

「勝てそうかい」

 チッ、と舌を打って、

「妖力を大分削られた。正面から行くんだったら、もうちっと戻してからやりてえ」

「勝ち目も無くはない、か」

「負け惜しみでしょ。それなら分け身を出す必要も無いじゃない」

「ちげえよ。しょうもねえ術士の結界に掛かって、本体が出せなかったんだ」

「しょうもない術士の結界に掛かるあんたは、もっとしょうもない」

「あんだあ!?」

「やめろって」

 呆れた様に『月』はそっくり返って、半ば宙に身体を投げ出す様な格好で、

「……術士。術士、か」

 うち呟いて、

「『月』。何か考えが有るの?」

「『風』。その術士、火鼠の事は知ってたのかい」

 如何だか、と不機嫌そうに『風』は言って、

「国守結界の事は知ってたんじゃねえか。のこのこ其処まで案内したと思ったら、急に其処で火鼠が出てきて……思い出すだに腹が立つ!」

 轟、と再び風が吹き、やはりそれを気にも留めない様子で、

「結界の要の在処までは知っていたのか。ちなみに、それはどの程度の術士なら知っているのかと言えば……」

「…………」「…………」

 ちらり、と『御石の鉢』を操る二人に目を向けて、睨み返されて、

「答える訳はない、か」

「予め私達の襲撃を読んで、別働を出してたって事? 火鼠を解放するのも算段に入れて」

「さて。其処まで出来ていたなら、随分予見の才があると感心する所だが。……今の僕達の状況を踏まえてみれば、有り得る事かもね」

 忌々し気に『鳥』が見るのは、二人の術士。

 けれど『月』はそのまま薄く笑って、

「しかし、向こうもいきなり殴り込んで来ないところを見ると、『棺』の結界には気付いているらしい。となると、火鼠が次に向かうのは――」

「国守結界の要石。霊宝の回収って訳ね」

 言えば。

 ばさ、と『鳥』の背中に、茶金の翼が広がった。

「おや。行ってくれるかい」

「そりゃ、居場所も分からないのに貴方を行かせて、その隙にいきなり本丸突入ってんじゃ笑えないからね。お坊ちゃんも拗ねてるみたいだし」

「うるせえ」

「私が行くしかないでしょ」

「よし。では君に頼むとしよう」

 大袈裟に溜息を吐いて『鳥』は、『月』の傍まで歩いていく。そして彼の凭れ掛かる高欄に足を掛けるや、ひょい、と宙返りをして、くるり、地へと真っ逆さま。

 月明りが一筋、きらりと閃くと。

 彼女の姿は、もう何処にもない。

「……大丈夫なのかよ。相手は火鼠だぜ」

 ぽつり、呟いた『風』の声に、「さてね」と返して、

「勝ち負けも生き死にも水物だ。蓋を開けてみるまで分からない……。しかし――」

 彼女なら、と。

 夜の城。天上で、妖が微笑っている。


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