三の一 協力
目を覚ますと、目を丸くした女が自分を覗き込んでいた。
「お、」
「――ッ」
がばり、と起き上がってからは早い。
薄布を掛けられていた――それをばっと翻す。自分とその女との間で目隠しになる様に広げて投げる。瞳は逸らさない。飛び跳ねる。床を手で探る。刀がない。ならばと術指を立てて、右腕の痛むのだって今一時ばかりは知らぬ顔を決め込んで――、
「わ、」
「そんだけ動けりゃ心配ねえな」
ばさり、と。
翻した薄布が顔に飛び込んできた。
「落ち着けよ。取って食うんだったら、もうとっくに骨だけにしてる。あんた、結構旨そうだしな」
余分な力の入っていない、落ち着いた声色だった。
撥ね除けようとした手が、布越しに掴まれている――強くはない。「やめろ」という意思だけを伝える様に……けれど、それと同時に。
それでも尚明らかな、彼我の霊妖力の差を伝えながら。
「にしても、よく動けんな。此処に担ぎ込んだ時は破れかけの襤褸切れみてえな有様だったのに。あんた、妖混じりか?」
「あ、貴方は……」
誰、と訊ねる事も、適切ではない気がした。
ずるり、と頭の辺りで留まっていた布が落ちる。落ちれば、今度は握られた手の辺りで留まる。しかしもう、視界を遮る物は無くなったから。
真っ直ぐに、見つめ合う事になる。
鼠色に赤と黒の混じった髪と、美しい顔。
「……妖は、分からない。大した家の出じゃないから、遡れないし」
答えれば、女は「は」と意外そうな顔をして。
それからゆっくりとこちらの手を放して、「そうかい。んじゃ、術が極端に下手なだけか」と言ってのける。胡坐をかいたままだらりと後ろ手を畳に突いて、殆どそっくり返る様な姿勢になるまで力を抜く。
その仕草があまりにも自然で、敵意の感じられない物だったから。
其処で漸く、レキにも周りを見回す余裕ができた。
「此処は――」
「人間の家」
誰の、と訊くよりも、思い出す方が早かった。
「村長の……」
奇妙な位に空っぽの部屋。急造の、来客用の一室。床の上に一体何人此処で死んだのかという吐血痕まであれば、もはや疑う必要もない。
戻ってきたのだ。
あの、黄泉の彼岸の様な山の奥から。
そして、それが何の恵みが有っての物かと言えば――、
「……貴方に、」
「ん」
「助けて貰ったと、思って良いの」
目の前の、分け身とはいえ風の大妖を鎧袖一触灼き尽くした、この女。
国守結界の要石――霊宝の封印を解くと共に目の前に現れた、『火鼠』と呼ばれたこの女のお陰なのではないかと、そう思うからレキは訊ねた。
「半々、ってとこだな」
彼女は、質問に身構えるでもなくそう言って、
「半々?」
「だから、半分ずつって事だよ。自分の為がまず半分。くだんねえ私怨だ。あの莫迦共とはちっと因縁があってな」
言われて、レキは思い出す。
あの時――彼女が現れてから、全てを灼き尽くすまでの僅かな時間。その間に悪風と交わされた、あの問答。詳しくは掴み取れてない。が、彼女の口にした『私怨』というのは丸きり噓ではあるまい――そう、思うから。
少なくとも、この女はこちらに対して或る程度の真実を伝えるつもりでいる。会話する意思がある。その事を感じ取って。
言葉はもっと、真摯になる。
「じゃあ、もう半分は」
「あんただろ。あたしの封印を解いたのは」
「封印……ううん」
「あ?」
「解くつもりだったのは、貴方の封印じゃない。私が聞かされてたのは……」
国守結界を司る要石が一、霊宝『火鼠の皮衣』。
それが此処にあると知らされていた事。そして風の大妖の襲撃。少しでも打撃を与える為に霊宝を解放し、その霊力と己が命を足しての大霊術を試みようとした、という事。
そういう事を一通り語れば、火鼠は。
「ふうん……。好きだな、人間は。そういうのが」
「だから、貴方が居る事を知っていて封印を解いた訳じゃない。ただ、其処にある物を勘違いしてただけで」
「いいよ別に、細かい事は」
ひらひらと、左の手を振って。
「あたしは偶々……って訳じゃねえだろうが、『皮衣』扱いされてた。あんたはそれを知らねえで封印を解いた。結果としてあたしは助かった。んで目の前にはお誂え向きの莫迦。ぶん殴ってすっきりして、半分死骸みたいになってたあんたは幸運にも一命を取り留めて、こうして雨風凌げる家でぐうすか眠れた」
誰かが何か損してるか、と彼女が訊ねれば。
誰、と名を挙げる事は、レキには出来ない。結果として、全ては上手く行った。想定したよりもずっと良い結果が出ている。
「……貴方の目的は、何」
今の所は、の話だが。
「さぞ名の有る大妖とお見受けします。危ない所を救って頂いた恩も有る。位は高からざる身ですが、花城国の一術士として、穏便に済ませて頂けるよう出来る限り努めるつもりです。……お教えください。貴方の目的を」
まるで此方を威圧する気配がない――けれど目の前にいるのは、自分が手も足も出なかったあの悪風を、ほんの一触れで灰にした妖なのだ。
状況は確実に好転した、とは言い切れない。
故に、緊張を持ってそう訊ねれば。
「……花城国、ねえ」
火鼠は。
「目的……まあ、まだ決まってねえな。何せ起きたばっかりだ。何が如何なってんだかさっぱり分からねえのさ」
ああ、と頷かざるを得ない、真っ当な答えを返してきた。
それは確かにそうなのだろう、とレキは思う。あれからどれだけ自分が寝ていたのかは分からない……けれど、まさか三日も四日も経っているとは思わない。その僅かな時間では、長らく封印されていたらしい妖の彼女には、状況の把握は難しかったに違いない。
「つう訳で、望む事の第一は説明だな。此処は何処……くらいは何となく分かっちゃいるが、今が何時で、あんたが何で……まあ、そういう事を一通り」
「分かりました。出来る限り正確に答えられるよう、努めます」
「おう、頼むわ。『風』の野郎も何かぶつくさ言ってたが、何処まで真実なんだか分かったもんじゃねえし――」
それに、と
「場合によっちゃあ、協力出来るかもしれねえしな」
「協力?」
「ああ」
一体何の、と頭を探れば、記憶が蘇ってくる。
桜の樹の下。燃え盛る炎に巻かれて。『風の野郎も何かぶつくさ言ってた』事。
――――『月と鳥と組んで、オレらで国獲りを』。
「一発ぶん殴ったくらいじゃ、怒りが収まらないもんでね」
言って、火鼠は。
不敵な顔で、レキに笑い掛けた。
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