閑話――前編 部活と宿題


 あの日、鍋を囲んだ日から二週間ほど時間が経った。

 特別、外から見て変わった事は何もない。


 呪術の事なんて皆忘れてしまったとか。

 理事長が少しだけ明るい性格になったとか。

 後は、輝夜ちゃんと瑠美が俺の家に、稀に遊びに来るようになったとか。


 それくらい。


 あぁ、でも今日からイベントがある。

 8月になって夏休みが始まるのだ。


「修君」


 終業式が終わった後、教室で輝夜ちゃんから声が掛かる。

 輝夜ちゃんは、あれから学校でも名前で俺を呼んでくれるようになった。


「何?」


「部活に必要な諸々の処理が終わったの。

 これが、入部届よ」


 そう言って、彼女は俺に一枚の用紙を差し出す。

 それは彼女との約束だ。

 家族のイザコザを助けて貰った代わりに、俺は輝夜ちゃんの作る部活の部員になる。


 それに不満は何もない。


「分かった直ぐに書くよ」


 喜んで、俺はその用紙に名前を書く。

 入部届。既に部活欄は輝夜ちゃんに書き込まれている。


 ――オカルト部。


 間違いないね。

 魔術師と精霊師だし。


「でも、困った事があるの」


 俺が用紙を埋めていくのを眺めながら、輝夜ちゃんは言う。


「最低部員数3人からなのよね」


「あと一人、誰にするの?」


「正直、気は乗らないけれど……」


「輝夜ちゃん友達多いんじゃないの?」


「私の友達に、貴方と一緒の所を見られるのは少し嫌」


 恥ずかしそうにそういう輝夜ちゃん。


「カッコつけられないもんね」


 それが少し面白くて、揶揄う様な事を言ってしまった。


 そんな俺を見て、輝夜ちゃんは冷たく笑う。


「いいの? 私が貴方にキスの一つでもすれば、明日には貴方は斬殺死体で見つかるのよ?」


 脅迫方法が新手すぎるよ。

 本当に、俺の暗殺の師匠にそっくり。

 何が怖いって、説得力がある所だ。


「謝るから、許して」


 両手を振って降参をアピールすると、クスリと彼女は笑う。


「しょうがないわね」


「けど、それじゃあやっぱり後一人は瑠美?」


「でも、あの人に部活に入ってって頼むのが嫌だわ」


「ていうか、何する部活なの?」


「表向きにはオカルト研究よ」


「裏向きは?」


「あの社を調査をするのよ」


 社。そう言われて思い浮かぶのは一つしかない。

 大昔、安倍晴明が封印した天狗が封じられたとされる物だ。


 封印されているにも関わらず、ステラを顕現させて余りある程に莫大な呪いを放出している特異な存在。


「初めて地下に行って帰って来た時は、行かなきゃ良かったって言ってたのに、また行こうと思うんだ」


「馬鹿ね」


 輝夜ちゃんの指が、俺の手に触れる。


「貴方が戻って来たのだから、結果的には行っても問題無かったのよ」


 そのまま、書き終えた俺からペンを奪う。

 何もない空間を、そのペンでなぞった。


 ――すき。


 そんな恋人みたいな二文字を書いた。


 輝夜ちゃんと一緒に居る時は、俺は輝夜ちゃんの物。

 その条約に綻びは無い。

 今も、その約束は続いている。

 人権侵害一歩手前の話だが、俺も嫌とは思っていない。


 まだ、教室には生徒がチラホラ残っている。

 そこまで大きな声で話している訳じゃないから、クラスメイトに聴こえる事は無いだろう。

 でも、もしも偶々「すき」なんて言葉を聞かれたら面倒な事になるのは目に見えている。


 輝夜ちゃんは、瑠美と並んでこの学校の二大美人なんだから。

 入学して4カ月で学校の有名人なんて流石だよ。


「じゃあ、瑠美には俺から言っておくよ」


「えぇ」


 楽しそうに笑って、彼女は同意する。

 少し前は、一緒に居る時に瑠美の名前を出すと少しムッとしていたけど、慣れて来たらしい。

 余裕を感じる。


 瑠美は未だに殴って来るのに。


「今日部活に入らせたって事は、夏休み中も活動するの?」


 明日から夏休みだ。

 活動しないのなら、夏休みが終わってからでも良かった筈。

 そうじゃ無いのは、休みの期間も活動する予定だからなのだろう。


「そうよ。何か予定があるのかしら?」


「無いよ、君より優先する予定なんて」


「嘘、土御門さんに誘われても?」


「瑠美も一緒に行けばいいんじゃない?」


「……つまらない答えね」


 輝夜ちゃんの最近の趣味は、俺を試す事らしい。

 俺に答え辛い質問をして、嫌そうにするのを見て笑う。

 悪魔的な趣味に目覚めた様だ。


「それじゃあまた明日」


 入部届を回収し、輝夜ちゃんは教室から出て行った。

 それを見て、俺も荷物を纏めて教室から出た。


「くそぉ、天羽の奴! 見せつけやがってぇええええ!」


「いつの間に委員長とあんなに仲良くなってやがんだ!」


「あいつ許せぇねぇよ!」


 なんて、声が教室から聞こえてる。

 輝夜ちゃんって本当人気だよね。



 ◆



「修、夏休みの宿題見せなさいよ。

 約束でしょ」


 夏休み初日。

 瑠美が俺の家にやって来た。

 まだ初日なんだけど。

 宿題全部終わってる訳ないよね。


「取り合えず、上がる?」


「お邪魔します」


 リビングに案内して麦茶を出す。


「誰も居ないの?」


「母さんはデート。

 楓華は仕事。

 春渡はまだ寝てるよ」


「そう」


 リビングの机には高校の宿題が並んでいる。

 流石に終わってはいないが、丁度やっている途中だった。


「え、夏休み初日に宿題なんてしてるの?」


 君、自分が何しに来たって言ったか覚えてる?


「そうだよ。一緒にやる?」


 そう聞くと瑠美は、げって感じの難色を示す。


「写してるだけじゃ、学力向上しないと思うよ?」


 学力が瑠美の人生にどれほど必要なのか。

 それは、今でも疑問の残る所だ。


「勉強ってやっぱり好きじゃ無いのよね」


「俺が教えてる時間も嫌って事?」


「そ、そんな事言って無いじゃない……」


 少し早口になって修正する瑠美を、俺は見つめる。


「ありがとう」


 俺がそう言うと、揶揄われた事に気が付いた瑠美が拳を握りしめる。


 しかし、俺は英雄すら破った男。

 今までは瑠美の沸点が理解できずに後手に回っていたが、既に瑠美がどのような場面でキレるのかインプットはできている。


 そして、瑠美に何度も殴られた事によって俺は既に、瑠美のパンチのクセを見切っている。


 今日こそは――躱す。


 そう決心し、瑠美の拳に意識を向ける。


 その瞬間だった。


 見事と言わざるを得ない『蹴り』が俺の鳩尾に撃ち込まれた。


「ばーか」


 この暴力女、マジで……!


 悶絶する俺に、瑠美は勝ち誇った笑みを向ける。

 君さ、陰陽師やめて格闘家になれば。

 なんなの、その接近戦闘の才能。


 でも、収穫はあった。


「それと瑠美ってさ、結構前衛的な性格だよね」


「どういう意味?」


 瑠美が首を少しだけ横に倒して、疑問符を浮かべる。

 因みに瑠美は制服だ。

 昨日、メッセージアプリで部活の事を話している。

 俺の家から、そのまま学校に向かうつもりなのだろう。


「いやぁ、そんな色のパンツ履いてるとは思わなかったなって」


「なっ!!」


 俺がそう言った瞬間、自分のスカートをガバッと押さえる。


 はい、手が塞がった。

 もう足も出せないよね。


「あんた……!」


「大丈夫だよ、誰にも言わないから。

 ほんとほんと、近況ノートに書いたりしないって」


「近況ノートって何よ」


「日記みたいなもんだよ」


「意味わかんない」


「ちゃんと勉強しよっか?」


「わ、分かったわよ……」


 涙目でそう言う瑠美と、三時間程宿題をした。


「それじゃあそろそろ部活に行ってみよっか」


「もうそんな時間?

 分かったわ」


 家から学校までは徒歩で2,30分程だ。


「でも、修が部活に入るなら放課後とかは一緒に居られなくなるのよね」


 寂しそうな声でぽつりと瑠美はそう零した。


「そんな訳ないでしょ」


「え?」


「瑠美も入るんだから」


「でも、南沢は私に来ないでって思ってるわよ」


 そういうの、気に掛けられる様になったんだ。

 でも、それを聞いて瑠美が来ないって聞いたら輝夜ちゃんは怒りそう。

 見下される筋合いは無いとか、そんな風に。


「そうだとしても、俺は瑠美に会いたいよ」


 友達ができて、思った事がある。

 友達が居なかった頃には戻りたくない。

 一度、二人の記憶を消してステラだけが俺の傍に居た。

 その時ふと、考えた。

 これで、ステラまで居なくなったら俺はどうするんだろうって。


 結局、凄く寂しがるんだろうな。

 なんて、他人事みたいな解答しか見つけられなかった。

 でも、実際それが答えなんだと思う。

 だからこそ、俺は瑠美や輝夜ちゃんを失わない様に頑張るのだ。


 他の誰でもない、俺の為に。


「もし、瑠美が部活に顔を出さないなら、その時は俺が瑠美に会いに行くよ。

 朝でも夜でも。君の家でも、魔物の巣窟の中でも」


 俺がそう言うと、瑠美は俺の肩を殴った。

 いつもよりかなり弱い威力。

 彼女の方を見ると、彼女は俯いて赤面していた。


「かっこつけんな」


 そう言って恥ずかしそうにする瑠美と、俺は学校へ向かった。


 誰かと話しながら歩くと着くのが速く感じるよね。

 研究者の端くれとしては名前を付けたい現象だ。


 そんな事を考えていると、学校へ到着した。

 それと殆ど同時に、輝夜ちゃんから生徒会室に来るようにメッセージが入り、そこへ向かった。


「おはよう」


 生徒会室に入ると既に輝夜ちゃんが待っていて、そう挨拶をしてくれた。


「おはよ」


「女連れとはいいご身分ね。修君」


「はあ? あんたが部員足りないって言ってきたんでしょ」


「あら、誘って上げた私の優しさが分からないのかしら?」


 顔を合わせるなり喧嘩し始める二人。

 でも、これは結構いつもの事だ。

 俺はもう慣れたし、止めるのは無理。


 女同士のイザコザに男は関わらない方が良いって、ネットにも書いてたし。


 二人を後目に、神棚に近づく。

 ここの仕掛けは既に分かって居る。

 神棚に取り付けられた重量センサーを起動させればいいのだ。

 神棚の脇に置かれている餅を一つ、小さな社の前に置く。

 そうすれば、地下室への階段が出現する。


 因みに、閉じるときは餅を退ければいい。

 よくこんな仕掛け作ったよねパピィ。


「行くよ、二人とも」


 声をかけると二人は形相で俺を睨んで来た。


「ねぇ! 修は犬の方が好きよね!?」


「いいえ、修君は猫の方が好きな筈よ! そうでしょ?」


 なんの喧嘩してるの君たち。



 ◆



 それから、小一時間程犬猫論争が繰り広げられた。

 犬とも猫とも言えず、兎と答えると二人の怒りは鎮圧された。

 俺は兎派という事になった。

 まぁ、嫌いじゃ無いけどね。


 三人で地下室に降りていく。


「学校の地下にこんな場所があったのね」


 父さんと土御門宮子がアジトとして使っていた地下講堂。

 しかし、今は使っている人は誰もいない。


 その講堂の中央。

 演説用に少し高くなった台座の上に、社は置かれている。

 一見、本当に木製の普通の社だ。

 しかし、見る者が視れば吐き気を催す程に莫大な呪力が溢れている事が見て取れる。


「何か分かる?」


 輝夜ちゃんにそう聞かれ、俺は社を調べ始める。

 魔力探知だと、力の大小くらいしか分からない。

 この社の重要性は恐らく中身だ。


 これだけの呪力を溢れさせるという事は、その入れ物自体もかなり巨大な物が必要な筈だ。

 しかし、社のサイズは俺の身体と同じくらい。

 この中に、これだけの呪力が漏れる程に莫大な呪力が蓄えられているとはどうしても思えない。


 だから、天狗の呪力を拡散させる封印。

 そんな所だろうと思っていた。


「これ、凄いな……」


 でも、そうじゃない。

 今、詳細に調べてみて分かった。

 魔力密度の低いこっちの世界にも、これが存在するのか。


「この社、異空ダンジョン化してる」


「「ダンジョン?」」


 二人の声が重なる。

 しかし、そう表現するしかない概念だ。


「呪力で空間を作ってるみたいだね。

 天狗の呪力を異空結界の術式に転用してるのかな?」


 つまり、天狗から魔力を抜いて天狗を閉じ込める牢獄を作っているという事だ。


 それを二人に説明する。

 輝夜ちゃんは何となく噛み砕いて理解したみたい。


「それ以上の事は中に入らないと分からないって事?」


「うん、どうして呪力が溢れてるのかは中の様子次第かな」


 瑠美は……


「ゲームの話じゃないわよね」


 ちょっと早かったか。


「中へ入る事は可能なの?」


「うん、閉じ込める結界だから入るのは簡単」


「それって入ったら出られないって事?」


「いや、出入り不能の対象は天狗のみだね。

 対象を増やす程強度が落ちるから、完全に結界を特化させてるんだと思うよ」


 以上の情報から、子供でも思いつく簡単な対応策が浮上する。

 それに輝夜ちゃんも気が付いたのだろう。


「中に入って天狗を倒せばいい訳ね」


 大概脳筋だよね、輝夜ちゃんも。

 いや、好奇心旺盛というべきか。


 でも、俺もその意見には賛成だ。

 どうせ、中へ入らない事には呪力が溢れる原因も対応策も浮かばない。

 そして、この三人なら大抵の敵には負けないだろう。


「良く分からないけど、妖怪退治は得意よ」


 才能が無いなんて言っていた瑠美はもう見る影もない。

 術式アプリを使いこなし、ステラという切り札を手に入れた瑠美は、忖度抜きで俺たちの中で最強の術師だろう。


 そして、輝夜ちゃんにももう俺一人で行くなんて言えない。

 精霊武装が可能な精霊師が弱い訳もないのだから。


「行こうか」


「そうね」


「いいわよ」


 俺たちの意見は纏まった。

 向こうの世界に居た頃もダンジョン攻略は何度か経験がある。

 流石に、魔王城クラスのダンジョンである可能性は低いだろう。


 そう、たかを括っていた。






「2人を何処へやったのかな?」


 俺はそいつに問いかける。

 赤い顔に長い鼻。

 カラスの様な黒い四枚羽を背に持つ人型の妖怪。


 烏天狗は俺の問いに答える。


「それは違うな。

 神隠しにあったのはお前の方じゃ。

 さぁ、見物しようぞ小僧。

 儂は、若い女が大好物なんじゃ」


 そう言って、天狗は愉快に笑う。

 残虐極まる表情で。

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