第29話 汚泥の怪物


「汚らしいわね。

 それが、貴方の本性という事かしら?」


 精霊武装によって、重力の結界から脱出した俺を見て、輝夜ちゃんは澄ました顔でそう言った。


 もう少し、女の子っぽく驚いてくれる所を期待したんだけどね。


 精霊武装。

 それは、精霊を使った魔術の極意。

 最終到達点の一つ。


 武装とは言っても、その本質は精霊との融合である。

 それによって人の肉体は再構築され、超人的な能力を得る。


 輝夜ちゃんの姿も、彼女の意思が具現化した物であり、生物学的に言ってしまえば彼女の姿は裸である。


 では、そんな神々しい全裸に変身した輝夜ちゃんと比べて見て、俺の姿を紹介しよう。


 泥。である。


 浅黒い粘液体。

 それが、俺の姿だ。

 スライムの亜種系とでも言えば分かりやすいか。


 ゲームとかに出て来るデフォルメされた奴じゃ無く、気持ち悪いタイプのグネグネぐちょぐちょと動く身体。

 そこに、人だった形跡は全くない。


 そりゃ、彼女の感想も最もな物だろう。


「これが本性、ってのも間違いでは無いんだろうけどね」


 この姿は能力に対する最適化と、俺の心象の具象化だ。

 であれば、俺の真の姿という例えに間違っている部分は無い。


「この姿を見せるのは、君が初めてだよ」


「それってセクハラ?

 卑猥な物を見せつける露出魔的な発想?」


「なんでやねん」


「え、違うの?」


 普通に驚くの止めて貰っていいですかね。


「まぁ、そっちも俺も本気になった訳だし。

 多分、次の攻防で決着がつくと俺は予想するんだけど」


「えぇ、私が勝つわ」


 自信満々な表情。

 それが常人には成し得ない努力量の果ての物だと、俺には分かる。

 そんな努力ができる時点で、天才なのだという事も。


 俺とは違う君に、俺の姿が罵られるのは当然だ。


 でも、それは勝敗に関係無いよ。


「決着がつく前に、改めて君の目的を聞かせてくれないか?

 どうして俺と戦って……何をしたいの?」


「私は気に入らないのよ。

 貴方に記憶を奪われた事も、フルルに聞いたその間の出来事も。

 貴方は魔術師で、特別な力があって、私の問題を解決してくれた。

 それはいいの。事実として受け入れられる。記憶を取り戻せば感謝も取り戻すと思う。

 でも、だからって惚れるなんてあり得ない。

 振られるなんてあり得ない。

 私を否定するなんて、あり得ない」


 俺が記憶を消した理由。

 そんな物は幾つも有る。


 輝夜ちゃんを、父さんの起こす事件に巻き込まれない様にする。

 輝夜ちゃんに、俺が前世の記憶を持つ事を隠す。


 あぁ違うか。これは言い訳だ。


 俺は、ステラの為に彼女の記憶を消した。

 ステラの傍に居るという俺の目的の為に、余人の人間関係の全てを断ち切る意味で記憶を消した。

 表舞台の何処にも、俺の居場所は無くていい。


 全部、自分の都合じゃ無いか。


「私は記憶を取り戻して証明するの。

 そんな物は、ただの錯覚だったって」


 俺もそう思うよ。

 君は魔術を知らなかった。

 だから、俺を特別に感じただけだ。


 今、精霊の力を使いこなす君にとって、俺はただの凡人。

 そんな俺に好意を抱く事なんてある訳がない。


「それと、貴方に私を振った事を後悔させるの」


 扇子をたたみ、先を俺に向けて、輝夜ちゃんは宣言した。

 勇ましい表情で、自信に溢れた態度で。


 それでこそだよ、南沢輝夜。

 きっと、ステラが居なければ俺は君と付き合っていたのだろう。

 君の生き様は、俺が憧れた英雄の様だから。


「そうか、分かった。

 意思の話はもう分かったよ。

 だから、実力の話をしよう。

 君は俺に勝てない。

 それで話は終わりだ」


「貴方のその余裕の態度、凄く腹立たしいわ」


 彼女が扇子を開き、俺に向ける。

 扇子の中央に『闇』という漢字が写り、それに対応した術式が空中に描かれる。


「その姿で、避けられる?

 透明化も転移ももう見切ってるわよ?」


 あぁ、光学魔法で闇を司る君の感知を掻い潜る事はできないだろう。


 さっきのは偶然。

 君が全ての集中を攻撃に割いているタイミングだっただけ。


 転移に関しても、さっきの結界を自分を守る盾の様に展開する事で対策できる。


 考えられている。

 戦術のアップデートが、尋常じゃなく早い。


 でもね、所詮はその程度。

 君が10は居ないと、俺には勝てない。 


 君と俺の間にあるのは、圧倒的な知識の開きだ。


 精霊武装・泥塗英雄ヒロイズム

 身体強化どころか、身体は流動的にしか動かず、骨格が存在しないから移動速度は鈍足の極みだ。


 魔力が増えた訳でもなく、特別な術式を展開できるようになった訳でもない。


 俺と人工精霊の融合体。


 それにできる事は……


「少し手ほどきしてあげようか。

 これが、魔術師戦闘に置ける、完封だ」


 ――パリン。


 ビードロが割れるような音が響く。


 パリン。パリン。パリン。


 幾つも響く。


 それは、輝夜ちゃんの発動した術式が壊れていく音色。


 俺の精霊武装の力は、ただ一つ。

 ミルと俺の知性の完全共有。

 圧倒的な演算能力持つミルの、全演算領域を俺が使える状態。


 有り体に言えば、知能強化だ。


「術式解析及び、術式分解。

 魔術師同士の戦闘に置いて、双方の実力差が圧倒的な時にのみ発動させる事ができる手段。

 相手の術式の主導権を奪い、制御する術理。

 まぁ、魔力が足りない俺は主導権なんて要らないから即時キャンセルするけどね」


 俺の説明を聞いて、彼女は震えながら口を開いた。


「意味が分からない」


 唖然とした表情で、そう言って割れていく己が術式を見つめる。

 右往左往と首を振り、理解が及ばないという表情で己の術が無に帰す様を目に焼き付けていく。


「分かるでしょ。君は頭が良いんだから。

 つまり、君の術理は全部俺の物になった。

 君は今後一切、俺の前で自由に術式を行使できない。

 魔術師と一般人の力の差くらい、分かるよね?」


 安倍晴明の時にやった術式簒奪の拡張版。

 ミルの演算能力は人の脳では処理できない。


 故に、この泥の様な単細胞形状にならなければ、これだけの演算領域は確保できなかった。


「千でも二千でも好きに術を使いなよ。

 その悉くを、俺が砕いてあげるから」


「固有術式……」


「あるの、君に?」


 もしも、たかが一月でその領域に至ったのならば、それは天才なんていう言葉で片付けられない偉業だ。

 化物、怪物、超越者。そんな存在だ。


「無いわ。

 でも、貴方にそれを使わせる事もできなかったなんてね……」


「そうだね」


「本当に滑稽な女だわ。

 私は弱かった?」


「いいや、凄く強かったよ」


「あぁ、これなのね……

 私が失った記憶はこれなのね。

 私は貴方に、――負けたのね」


 それが、どんな意味で出て来た言葉なのか、俺には検討も付かない。


 でも、輝夜ちゃんの表情が少しだけ楽しそうな物になっていたから、俺も一緒に笑う事にした。


「楽しんでくれたかい?」


「えぇ。納得したわ。

 私が貴方を好きになったのは、貴方に助けて貰ったからじゃ無くて、貴方に負けたからだったのでしょうね」


 輝夜ちゃんの心の中なんて俺には分からない。

 彼女の言葉の真意も分からない。


 でも、まあいっか。

 戦いは終わりだ。


「貴方には価値がある。

 私を完膚なきまでに叩きのめした貴方には。

 貴方が好きよ。きっと記憶を取り戻したら、記憶を失う前よりも貴方の事が好きになるのだと思うわ」


「そんな事は無いよ」


 俺がそう言うと、少し怒った顔をして、そのすぐ後に寂しそうな顔して。

 輝夜ちゃんは俺に言ってくれた。


「私の気持ちが貴方に分かるの?

 それとも、小説とか漫画みたいに、共感性の高い分かり易くて納得できる動きで表して上げないと駄目?

 私の気持ちが分かる様に、そこらの馬鹿な女みたいに……

 顔が良いとか、

 お金を沢山持ってるとか、

 身長が高いとか、

 助けて貰ったとか、

 寂しい時に話を聞いてくれたからとか、

 一緒に楽しい体験をしてくれたからとか。

 そんな、分かり易くて共感できて納得できる様に、貴方にアピールしないといけない?」


 そう言って、彼女は少し恥ずかしそうに、分かりやすく今の気持ちを解説してくれた。


 君の負けは俺の強さの証明だ。

 顔がいい、金を持っている、身長が高い。

 それらは全て、遺伝子的な強さを見切る為の要素だ。


 君は負ける事で、勝者の孤独から解放される。

 君は負ける事で、寂しさを排除できる。

 君は負ける事を、楽しいと感じてくれた。


 教えてくれて、ありがとう。

 心の中で俺は感謝する。


 そんな恥ずかしい事を言わせちゃってごめんね。

 男失格だね。


「君の気持ちは、きっと君と結婚して100年くらい一緒に居ても完璧には分からないんだと思う。

 それが分かってるからいいよ」


 人間にできる対応なんて、結局は2択しかない。


 信じるか、疑うか。


 魔術師の戦いと同じだ。

 どちらかを100になんてせずに、6対4くらいで考えるのが丁度いい。

 そして、どちらに比重を寄せても良いのなら、俺は輝夜ちゃんを信じる方を6にしたい。


「好きになってくれてありがとう。

 ちょっと、仕事を片してくるよ」


「えぇ、いってらっしゃい」


 悔しさの涙と、笑顔を両立して、彼女はそう言ってくれた。


 なんていうか、頑張ろうって思ったよね。

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