第51話 薫陶⑯
渋谷ストリームの稲荷橋広場は、平日の昼下がりでもほどほどの人出で賑わっていた。
烏丸はひとり広場に臨むカフェのテラス席で、和綴じの小さな手帳に何やら書き付けていた。
包帯の巻かれた左手に握られた黒の万年筆は、カリカリと紙面を引っ掻いて、小気味の良い音を立てている。
今日の東京は春の日差しを感じられるような暖かさで、寒がりな彼でも外で凍えることなく過ごせているようだった。
そうは言っても、相も変わらず黒のダウンコートの下にはブルゾンを重ね、首元にはしっかりとマフラーを巻いた冬の装いではあったが。
カフェのすぐ前には、渋谷川がするすると走っている。
川を挟んで整備された、コンクリート造りの護岸には、
壁面の吐水口から絶え間なく噴き出される水は川へと流れ込み、辺りに爽やかな水音を立てている。
烏丸は書き終えたのか、おもむろに万年筆をテーブルに置くと、ちいさく欠伸をした。
ぐっと背中をそらして伸びをした後、置かれた珈琲のマグカップに手を掛けようとした時だった。
テーブルの下、白いスニーカーが彼の視界に飛び込んできた。
「烏丸隊長」
見上げて見れば、短髪の男が烏丸の前に立っていた。
身体にぴたりと沿うような、黒のライダースジャケットが男の体格の良さを際立たせている。
下は同じく黒色のゆったりとしたスラックスを合わせて着崩したその姿は、武骨ながらも抜け感を漂わせていた。
「……
は、と短く返事をして、青嵐は烏丸の向かいに座った。
「諸々の報告は済んだ。美墨は正式に弐に移る」
烏丸は手帳をぱたんと閉じると、ブルゾンのポケットに仕舞った。
「よろしく、頼む」
烏丸の言葉に、青嵐が深々と頭を下げる。
「あいつ、『犬』と呼ばれるのだけは嫌だと言っていた」
顔を上げた青嵐は不思議そうに首をひねった。
「
それが、嫌なんだろうと烏丸は右の眉を上げて青嵐を見やった。
「……その眉を上げる仕草。美墨もよくやりますよね」
烏丸はふと口許を緩めて、思い出すように遠くを眺めた。
「あいつも、ずっと一緒にいたからなあ。いつの間にかうつったんだろう」
青嵐はそんな烏丸をしばらく見守っていたが、意を決したように口を開いて、その名を呼んだ。
「烏丸、さん」
うん? と烏丸は青嵐に目を戻す。
「『桃』の。
絞り出すようにして口火を切った青嵐の眉間には、深い皴が刻まれていた。
「……源の持ち場は確か、ここだったな」
「はい。去年の立秋から」
立秋、と烏丸は口の中で繰り返す。
「相方は確か、『
青嵐はうなずいた。
「烏丸さんもご存知かと思いますが。
ここ数年、熱で浮されたかのような盛り上がりを見せる異国の祭は、様々な者を呼び寄せています。
「……開いた門扉は、閉じないとな」
烏丸がぼそりと呟いた。
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