第二一話 世界は極小の生物で満ちている

「…… これが “ジャガイモ"」


「えぇ、単位面積あたりの生産性は “小麦の三倍” だと、異界カダスの列強イギリスにまう碩学せきがくアダム = スミスの『国富論』にも記されているわ」


 “多分、まだ彼の時代は科学が未熟だから、適当に言っただけでしょうけどね” などと皮肉ひにくりながらも、英国人なる種族のジャガイモ愛に言及する。


 何でも、当初は貴族が支配地域アイルランドの農民達に小麦を食べさせず、一時期は家畜の餌であったジャガイモを食べさせて、納められる分量を増やす意図があったようだ。


「何処の世界だろうと、貴族連中は性質たちが悪いな……」


「美味しいなら、問題ないんじゃない? この前、姫様にご褒美で頂いた “じゃがバター” とやら、もう一度食べたいです♪」


 どさくさ紛れと言うべきか、肯定的な言葉にひもづけて強請ねだるアリエルに吸血姫が苦笑を浮かべ、綺麗な金糸の髪を揺らして静かに頷く。


 その姿に人狼公ヴォルフラムの座所でアイスクリームを作った時、延々と金属容器を振らされた件など思い出していると、しゃがんで手頃な大きさの物を見繕っていた鹿人のメイドが立ち上がり、そっと藤籠を主に差し出した。


「これくらいで宜しいでしょうか……」


「ん~、ちょっと多いかな、マリィの分も入ってる?」

「初見の料理なので、私が毒見するのは当然です。えぇ、当然ですとも」


 堂々と御相伴ごしょうばんに預かることを宣言した鹿人や、小腹のすいた騎士令嬢に急かされて厨房へ河岸かしを変えるため、夕食の仕上げに取り掛かっている兵卒らの間を抜けていく。


 途中、スープのおたまを掲げ、料理の指揮を執る藤白髪の魔女と視線が絡んだ。


「クラウド様~、ご飯にしましょう!」


 片手を振ってきたリアナの傍で魔人達が頷き、“ガゥガゥ” と機嫌よさげに咆えた犬人コボルト達も俺を誘ってくれるが、今の流れでジャガイモ組から離脱するのは難しい。


 結束を深める観点から、“同じ釜の飯を喰らう” のはやぶさかでないため、後ろ髪を引かれたものの、やんわりとことわりを入れる。


「すまない、エルザが先約でな」

「むぅ、そうでしたか、お気になさらずに行って下さい」


 やや残念そうな魔女と短い言葉を交わして、僅かに止めていた歩みを進めようとすれば… 何故か、訝しげな吸血姫がジト目を向けていた。


「…… 領軍再編のおり、どういう基準であの娘を遊撃隊の副長に?」

「純粋な魔力の過多と素直さだ」


 我の強そうな者を抜擢すると、命令無視まではいかずとも新参者の三騎士ゆえ、軽く扱われてしまう可能性を払拭ふっしょくできない。


 独断専行は部隊運用を乱すので性格も重視した結果、偶々目に留まったのがリアナなのだが、にんまりと笑った赤毛の騎士令嬢が揶揄からかってくる。


「ふ~ん、従順な娘が好みなんだ、クラウド」

「あうぅ、さかしらな異性は趣味じゃないのね」


「そう言われても他意は無いからな、理知的なのも悪くないと思うぞ」


 冷やかな視線を投げてくる鹿人のメイドに無言でうながされ、釈明をさせられつつも古城の厨房に到着すると、先立って別れたはずの老執事と出くわす。


 の御仁は小麦粉と塩、砂糖や少量の牛乳などの混合物をパン種にすべく、その剛力で豪快に捏ねていた。


麾下きかの者からエルザ様が菜園に向かわれたと聞きまして、どんな物を調理されるにしても、主食は必要かと……」


「ありがとう、レイノルド。じゃあ、パン焼きは任せるわね」

「運良くイーストが御座いましたので、上手く焼成できる筈です」


 言葉と共に向けられた視線を追うと、メイド達が作ったという白い粘土状の塊があり、思わず意識が吸い寄せられてしまう。


「それ、生きているのよ。パンと相性の良い酵母菌だから」


 自然な動きで吸血姫がイーストを摘まみ千切り、近くに見せて熱心な説明をしてくれるものの、目視できないほど微細な生物の話など理解の範疇を越えている。


 食べて大丈夫なのかと問えば、そもそも世界は微生物に満ちており、体内にも腸内細菌などが存在するとさとされて面喰めんくらう。


「あははっ、姫様の言葉を一々気にしてたら切りが無いよ」

「アリエル、その態度は地味に傷付きます」


 少しねた彼女はなおも留まらず、パン屑を糖蜜に浸けて酵母菌を増殖させる方法や、それを遠心分離して水洗いする工程なども語っていく。


 なお、手間暇掛けたイーストをパン生地に混ぜておくと、ふんわり柔らかな格段に美味しいパンが焼き上がるとのことだ。


「さぁ、お喋りは此処ここまでにして、私達も “じゃがバター” を作りましょうか♪」


 一通りの蘊蓄うんちくを披露し終え、すっきりした表情の吸血姫が腕捲うでまくりして、調理台に乗せた木桶の水でジャガイモを洗って手渡してくる。


「そっちに包丁があるから、四等分くらいに切ってね」

「皮は付いたままで良いのか?」


「別に構わないわ、アリエルは火の準備を御願い」

「属性魔法でチャチャッと点けちゃいますね」


 かろやかな指示の下、新大陸原産の食材で未知の料理に挑戦していたら、鹿人のメイドが不服そうに溜息を吐いた。


「不覚です、声が掛かるのを待っていたら放置された模様。姫様、許すまじ……」

「その、なんだ、私を手伝ってくれんか? 玉葱のスープも用意したいのでな」


 頼れる部下の恨み言を拾った老執事の気遣きづかいにより、手持ち無沙汰となっていたマリィが調理に参加して四半刻ほど、とても良さげな匂いの料理が完成する。


 例によって主の食事中は給仕に徹したいとレイノルドらが主張し、冷めれば “じゃがバター” の美味しさが損なわれると、必死に訴えた吸血姫との攻防もあったが……


 厨房の前を通り掛かった猫人族のメイド二人に仲裁され、別室で食べるという妥協案の採用となり、給仕は他の者達が受け持つことになった。

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