夜明けに微睡む ヴァンパイア

第十九話 吸血姫の帰還

「吸血公に仕える三騎士の末席、クラウドだ。ディガル部族国、北西領の騎士侯として取り立てられたばかりでな、まだ名乗る姓（かばね）を決めてない」

「問題ない、それよりも貴種族に於（お）ける三騎士の位置づけを知らないのだが……」

　困り顔で肩を竦（すく）めた貴族らしき将校に連隊長格だと教えてやれば、本人は兎も角として、取り巻きの側近達が少しだけ不満の色を表情に浮かべる。

　大方、旅団規模の軍勢を率いる相手に釣り合わないと考えたのだろうが、当の本人は拘（こだわ）る素振りなど見せず、率直な態度で視線を絡（から）めてきた。

「最初に聞いておきたい、中核都市ヴェルデは陥落しているのか？」

「あぁ、ご推察の通りだ」

「…… ならば、以後の戦闘は双方の被害を広げる自傷行為に過ぎない」

「然（しか）りだな、衝突回避の余地は十分に残されている」

　戦場の流儀と吸血姫の “御願い” に従って、不要な流血を避けるべく、先ずは付帯条件を述べるように促（うなが）す。

　多大な被害を被り、兵卒らの士気を大幅に低下させた駐留軍ではあれども、追い詰められた者達を高慢な態度で侮（あなど）るのは避けた方が良い。

(“窮鼠猫を噛む” か、上手い表現だな)

　手短に対処方針を話し合った際、博識な吸血姫から聞いた “似て非なる異界（カダス）” の故事を肝に銘じて、リヴェルと名乗った人物の言葉を待つ。

「そうだな…… 私を含めた立場のある者が残って、無条件で捕虜となる代わり、兵士達には最低限の食料を持たせて王国へ帰らせたい」

「こう言ってはなんだが、随分と都合の良い考えでは？」

「いや、貴殿らにも利点は多いぞ、クラウド卿」

　もう自身の処遇に関して覚悟を決めている故（ゆえ）か、交渉相手は口端を吊り上げて不敵に微笑んだ。

「そもそも、領内の中心地まで奪われていた貴軍に物資の余裕なんて無いだろう？ 大量の捕虜を取り、無駄飯を食わせるのは合理的と思えない」

　つまり、少数の価値ある人質を確保して他は解放するのが得策だと、言外に自身の考えを押し付けてくるものの、ひとつ大事な観点が抜けている。

「詭弁だな、此処（ここ）で駐留軍を全滅させても構わないんだぞ」

「その場合はせめてもの嫌がらせで、貴軍の兵卒を一人でも多く道連れにさせてもらう。ただでは死なんよ、我々も」

　唐突に向けられた不退転の殺意？ を鑑（かんが）みれば、前衛隊には武器を捨てさせているが、正面から見えない後衛隊には射撃体勢を維持させているのだろう。

　あまりにも不利な条件で話が決裂した際、弓の曲射と支援魔法に合わせて得物を拾い、相打ち上等で突貫してくる死兵の姿が瞼（まぶた）に浮かんだ。

(やはり、已（や）むを得ないか……)

　元々、亡き聖女や心優しい吸血姫の想いを汲（く）んだ時点で、取れる選択肢は少ない。

　勿論、皆殺しなどもっての外であり、指摘されたように過分な捕虜を維持することもできないため、大半を見逃すのが無難な落とし処になる。

「概（おおむ）ね了承した。ただし、鉄槍や弓矢などの主兵装と軍馬は置き捨ててもらう」

「難しいな、除装後に襲われない保証は？」

「補助兵装と防具を奪わないことに誠意を感じて欲しい。それに首都イグニッツの住民を押さえられている以上、騙し討ちみたいな報復を呼ぶ行為はしないさ」

　こちらも軽く肩を竦（すく）め、少々砕けた雰囲気で応じると、逡巡したリヴェルは深い溜息を吐き出した。

「戦場での約束だからな、最後は貴殿らを信用するのみか……」

　これ見よがしに呟いて護衛役の準騎士を下げ、歩み寄ってきた相手と固い握手を済ませて、互いの同意に基づきながら細部を詰める。

　先に難色を示していた駐留軍の武装解除と解放は部隊単位で行うこと 、中核都市に蓄積された軍需物資は残置すること、などが取り決められた。

　なお、食料に関しては略奪に走られても困るため、ベルクス王国の勢力圏にある最寄りの村まで必要な最低量を計算して、主（おも）だった兵装と交換する形で北西領軍の小荷駄（こにだ）から分け与えていく。

「ん～、お城（うち）に色々と貯め込んでるのは確認したから、別に良いけどさ……」

「軽々（けいけい）に開門して、混乱するよりマシだろう」

　不服そうな声に空を仰（あお）げば、瀟洒（しょうしゃ）な戦闘用ドレスの裾を押さえて、音も無く靄（もや）状の翼を羽搏（はばた）かせたアリエルがふわりと舞い降りた。

　位置関係上、黒い長靴下（サイハイソックス）で包まれた肉感的な太腿に留まらず、赤いレース仕立ての下着も見えてしまったので、同輩（どうはい）の騎士令嬢と視線を合わせずらくなってしまう。

「うふふっ、何なら閨（ねや）で披露してあげてもいいよ♪ 一戦交えて生き残ると、無性に人肌が恋しくなるものでしょう？」

「…… 機会があったらな」

「え゛、そこで誘いに乗っちゃうんですか、クラウド様」

　徐（おもむろ）に突っ込んできたリアナの誤解を説（と）いたり、面白がって四肢を絡めてくるアリエルの抱擁から逃れたりしつつも、帰国の途に就く駐留軍の将兵らを監視する。

　やがて夕暮れを迎えた時、残っているのは貴族の子弟など、何かしらの影響力があると思しき捕虜達のみになった。

　所在無さげな彼らの身柄を改めて拘束した後、防壁上の吸血飛兵らに設置された機械で板金格子を上げてもらい、開かれた北門より中核都市ヴェルデに帰投する。

　組み直した隊列で大通りを進むにつれ、城郭（じょうかく）までの道を譲った住民達が陣容に気づき、俄（にわ）かに騒々しさを増した。

「おい、見ろ！ クライベル家の紋章旗だぞ！！」

「領軍が帰還したってことは占領が解除されたのか？」

「でも、吸血公と御子息は討ち死にしたって…… エルザ様！？」

　徐々に喧噪が伝播（でんぱ）する市街地で、手綱を引かれた軍馬に跨る金髪紅瞳の吸血姫へ群衆の視線が集まり、何処（どこ）からともなく歓声が沸き立つ。

　他方、暫定的な統治者であった駐留軍の将校らは落胆し、腹に溜めた息を大きく吐き出した。

「結構、善良な統治を心掛けていたつもりだったが……」

「魔族… いえ、亜人にとって我らは征服者です。致し方ありません」

　愚痴を零したリヴェルと老騎士が交わす言葉に触発されて、自身の記憶に残る占領直後の荒れた市街地を思い出しながら、馬上より幾分か整えられた街並みを見流す。

(それにしても以前はベルクス王国側の傭兵で、今度は吸血騎士としての入城か)

　若干の情動に囚われたまま軍馬を緩（ゆる）りと歩かせ、北西領の軍勢に紛（まぎ）れて古城の門を潜り抜けると、漸（ようや）くディガル部族国に与（くみ）しての初戦を終えることができた。