第十話 罠を隠すなら罠の中とも言う

 徐々に事態が動き出して二十日ほど経った頃、老将ガドラス麾下きかのベルクス王国軍、約一万二千が南東領に足を踏み入れ、小麦色の肌をした森人エルフ族の本拠地目指して再侵攻を始める。


 その軍勢を支援すべく首都の駐留部隊を差し引いた三万強から、吸血鬼らと合流して最大勢力になった人狼公の南西領軍に二万が割り当てられ、蒼魔人族を統べる青銅公の北東領軍には一万ほどが抑止力として宛がわれた。


 仮に全面的な総力戦ともなれば被害が増加する事に加え、不測の事態も起こりやすい。先ずは南東領を落として、ディガル部族国の勢力を分断する方針だろう。


 ゆえに他の場所では大規模な戦闘こそ起きていないものの、残り二領地の境界線では数多あまたの偵察隊が日夜小競り合いを繰り広げていた。


「「ウオォオオンッ! (うおぉおおッ!)」」

「ッ、鬱陶うっとうしい、全然進めないじゃないか!!」


「こいつら嗅覚だけは一級品だからな、弱いけど」

「ギャウゥッ!?」


 果敢に斬り込んできたディガルの犬人兵、俗にいうコボルトの斬撃を躱して鉄拳を叩き込み、怯ませたベルクスの斥候兵が軽快なバックステップで距離を開ける。


 止めを刺すこともできたが、返り血の匂いが付くと執拗しつように追い掛けてくる上、手間取れば機動性重視の装備だと対処できない人狼猟兵まで呼ばれてしまう。


 偵察隊の主目的が交戦ではない以上、真面目に相手をする意味など、部族国の走狗に発見された時点で皆無かいむだ。


「さっさと逃げるぞ、総員撤収ッ!!」


「了解、お前ら邪魔だ!」

「「ウゥッ……」」


 近接格闘で対峙たいじする犬人達を蹴散らした直後、彼らは来た道を引き返せども…… 時すでに遅く、及び腰になっていた眷属を追い抜きながら、筋骨隆々な体格の人狼数匹が迫ってくる。


「くそがッ!!」

「グルヴォオ、グゥア (遅すぎるぞ、お前)」


 逃げきれないとさとり、振り向きざまに一閃した鉄剣の刃を強靭なあぎとと硬い牙でくわえ、半歩踏み込んだ黒狼が右手のハンティングナイフを薙ぎ払う。


「がはッ、かひゅ…ッ …うぅ」


 喉元を裂かれた王国所属の斥候兵は蒼白となり、両手で出血を止めようとしながらくずおれていく。


 それを皮切りにどさりと重い物の倒れる音が連続して、群狼ぐんろうに強襲された偵察隊は一瞬で壊滅状態に追い込まれた。


 最早、息もえな者達にできるのは、伏して呻き声を上げる事くらいだろう。


「クォオウァアン、ヴォルグガォ (ちょろいですね、ヴォルギス様)」


「ウォアァウ グォアオォ ヴルファウ、ウァオオウゥ

(その連中に数で押されて負けたんだ、油断するなよ)」


 呆れ顔で仲間の増長をいさめてから、人狼族の戦士長は追いついてきたコボルト達にたおした相手の身包みぐるみを剥がせ、装備品を邪魔にならない範囲で回収させる。


 その様子を見守っている間にも、周辺警戒の為に立てていた獣耳が人間には聞こえない、特殊な周波数の音を拾った。


「…… ヴォ ウゥオァアオン (…… また犬笛が鳴ってます)」

「クォルヴ、オゥファウアァン? (救援要請、多くないですか?)」


「ガゥ、ウォグァアオォオン (ちッ、もうひと狩り行くぞ)」


 若干の愚痴を零した同輩達に一声掛けてから、警笛を鳴らしたであろう犬人がいる場所に向け、強壮な黒狼が率先して駆け出す。


 なお、他にも小隊規模の人狼猟兵らが営巣地より数キロ手前の森林地帯へ放たれており、南西領軍の動静を探ろうとする王国斥候兵を追い返していた。



 そこから東側に数日進んだ森の中、小麦色の肌を持つエルフ達が実効支配する領地でも戦闘は行われているのだが、こちらは少し毛色が異なる。


 南東領制圧に差し向けられた老将ガドラスは遅々たる侵攻に対して、隠し切れない苛立いらだちをつのらせていた。


「部族国中央領との境界線を越えたあたりから、進軍速度が通常の半分以下か」


「このままだと攻略対象の中核都市シルウァまで、相応な日数が掛かりましょう」

「その間にも、我が軍の将兵は損耗し続けると……」


 招集した連隊長らの意見を野営地の大天幕で聞き、折り畳みの腰掛けに座した将軍が深い溜息を吐く。歴戦の老将を悩ませているのは弓矢による遊撃に加え、粗雑に仕掛けられた大量の囮罠ダミーと、それにまぎれる本命の仕掛け罠だ。


 すぐに設置できる囮罠は引っ掛かってもつまづく程度だが、本命の罠は殺しにきているといういやらしさなので、先頭の兵達は相手の思惑通りに牛歩となっている。


「死者こそ少ないですが、重傷者が今日だけ二百余名、従軍司祭らが一日に癒せる範囲の人数を越えています」


「恐らく、それが狙いでわざと死にがたいように配慮してるんだろう」


 敵将である黒曜公の思惑が遅滞ならば、ベルクス王国軍の兵卒を殺すよりも効率的に負傷させ、治療の追いつかない状態にした方が目的にかなうはずだ。


 傷付いた者達を置き去りにして行軍するなら、大幅な部隊士気の低下は避けられず、逆に肩を貸して連れ歩くと移動速度は更に遅くなる。


(もはや格好のまとでしかない、どこかで負傷者を切り捨てる判断も必要だな)


 幾ばくかの黙考を挟み、老将は強行軍も辞さない決意を固めた。苦し紛れの遅滞戦術ならまだしも、露骨に時間を稼いでいる以上、奥の手はあると見た方が良い。


「首都近郊で他の魔族と連携していた際はまとまりなかったが、個別に相手取ると厄介さが増すとは…… いや、誰かの入れ知恵なのか?」


 目的地に向けて行軍するだけで、現有戦力の一~二割近くを損耗させ兼ねない状況に面して、経験豊富な古参の老将は不愉快そうに愚痴を零した。

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