第九話 多分、私の膝枕は柔らかいわ

 致し方無いので言葉を紡ごうとしたら、旺盛おうせいな好奇心と若干の警戒を含んだ双眸がこちらに向けられる。


「さっきから思ってたけどさ、誰なの?」

「先日より、吸血公の麾下きかに加わった傭兵のクラウドだ」


「ふ~ん、新入りね……」


 少々いぶかしげな様子の騎士令嬢が躊躇ちゅうちょなく身を寄せ、淡い魔力光をともらせた琥珀色の瞳で。こちらを値踏みするかのように眺めてきた。


 居心地が悪いのを我慢して付き合うこと数秒、俄かに表情をほころばせると、艶がかった声を響かせる。


「ふふっ、結構な場数を踏んでそうね。強い奴は嫌いじゃないし、今夜眠る場所が無ければ、私の天幕に泊めてあげても良いよ」


「何というか… 自由奔放だな、アリエル殿は」

「別に呼び捨てで構わない、同輩どうはいの騎士階級だからね」


 気安く掛けられた言葉で自身が擬態ぎたいしている事を思い出しつつも、初めて聞く種族的なカーストなど知るよしも無いため、どうすればと斜向はすむかいの吸血姫を窺った。


 やや不機嫌そうなエルザが言葉を紡ごうとするも、そばに控えていた老執事のレイノルドが先んじて、こちらの会話に割り込んでくる。


「この若造、しくもエルザ様の直系眷族のようですが、死滅したハインツ殿の代わりに取り立てるおつもりですか?」


「ん、そうね… 三騎士の一席が欠けていると、領軍の士気は上がらないし、クラウド殿が領兵を指揮する根拠もないから、私に剣を捧げて貰えると凄く嬉しいわ」


 わずかに不安の色を滲ませた声音で問われ、今更だと躊躇ためらいなく片膝を地に突き、腰元の剣帯ソードホルダーより鉄剣一本を鞘ごと外して捧げ持った。


「誠意宣誓なんて柄じゃないが、目指す先をたがえぬ限り、俺はエルザ・クライベルの刃金はがねとなろう」


「…… 本当、軸はぶれないのね」


 微かに苦笑した吸血姫が剣柄を握り締めて、俺が水平に把持はじしている状態の鞘より、堂に入った動きで白刃を引き抜く。それに合わせてこうべれ、左右の肩に剣腹が押し当てられるのを受け入れた。


 暫時ざんじの後、慎重に剣身を両手持ちしたエルザから、そっと差し向けられた剣柄を右掌で掴み、姫君の繊手せんしゅが離れたのを見届けて立ち上がる。


 最後に少しだけ下がって、抜き身の得物を鞘へ納めた。


「こんなもので構わないか?」

「ん、問題ないわ、吸血騎士のクラウド殿」


いて言えば “違えぬ” などと、蛇足を付けたのが気に入らん」

「まぁ、良いんじゃない、色々と事情もありそうだし」


 言動が対照的な二人のともがらに愛想笑いを向け、改めて人狼公との会談で決めた方針を伝えると、途中から赤毛の騎士令嬢が嬉しそうに頬をゆるめる。


「爺さんが考えていた南東領の遊撃戦に混ざる案より、断然面白そう!」


「業腹だが、血を流すなら我らが故郷のためで在るべきか… 兵達も余所よその土地でかばねさらしたくはないだろう。承知した、貴殿の案に賛同しよう」


 堅物ゆえに元々なのか、小難しい表情を崩さないまま老執事の騎士も抑揚に頷き、軍議の場を兼ねた大天幕に河岸かし変えして、細部のり合わせなど済ませていく。


 ただ、地図に駒を並べて延々と議論しても、実際の戦場では上空から盤面を俯瞰ふかんするような部隊指揮など望めない。


 それは黒い靄状の翼を形成して、短時間の飛翔ができる吸血鬼族も同様なので、過度に緻密な戦略を立てると自滅の憂き目に遭う。


 ほど良く意見が出揃ったところで、聞き手に廻っていたエルザが場を取り仕切る。


「これで話は纏まったようですね、宜しく頼みます」

「「すべては純血たる御身の為に……」」


 突然呟かれた御約束らしき言動に乗り遅れ、唖然としている内に起立した同輩どうはい達はきびすを返して、颯爽と吸血姫の大天幕から去った。


「その…… ごめんなさい、古い慣習なのよ」

「あぁ、でも、アリエルまで踏襲するんだな」


「ん~、いつもは言わないし、新参者への揶揄からかい混じりだと思う」


 さらりと告げられた事実に溜息を吐き、椅子の背もたれに身体を深く預ける。


 その姿に哀愁を感じたようで、天幕内の寝椅子ソファーに移動して、ゆるりと腰掛けた吸血姫が自らの太腿を叩いた。


「どう? 私の膝枕は柔らかいわよ、運動不足で駄肉が付いているから、あうぅ」

「普通に蠱惑的な身体つきだとは思うが……」


 数日前、ディガル部族国の首都イグニッツで見世物にされていた半裸姿のエルザを脳裏に浮かべてしまい、雑念は不要とばかりに追い払う。


 俺が心頭滅却をこころみている間も、エルザは困り顔で両腕を広げたまま “誘い受け” の体勢など維持しており、なお宝石ルビーのような紅い瞳を向けてくる。


「出会って以来、ずっと世話になっている御礼がしたいの、はしたないと思われるかも知れないけど……」


「いや、思わないさ、厚意に甘えさせて貰おう」


 押し問答になりそうなので、こちらが折れることにして吸血姫の隣へ座り、横臥おうがする形で身体を傾けていき、瀟洒しょうしゃなドレスで隠れた股座に頭部を預けた。


「んぅ」

「確かに柔らかいな」


 優しい手付きで髪をかれるのに構わず、張り詰めていた身体の力を抜けば、急激な眠気が襲ってくる。


「本当に疲れが溜まっていたか、体調管理もできないとは、傭兵、失格だ… な…」


「お休みなさい、クラウド。貴方が無意識に求めている聖女だれかの代わりなんて、私には務まらないけど、膝くらいなら貸せるわ。焦らずに歩んでいきましょう」


 微睡まどろんできた意識の中、前髪を払われた額に落ちる柔らかい桜唇おうしんの感触など感じつつ、俺は深い眠りへと落ちていった。

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