待宵月

愚痴と望み

 全体に伝わってはいないけれども、周りの様子と今回の月の影響の大きさからたぶん次の月が覚醒月だと思った。船長たちはたぶん今日にでもみんなに伝えて明日に備えるよう準備を促すのだろう。

 あと一年くらいこのままこの海を揺蕩うと思ってた。はっきり言うと。何にもない何でもない毎日を淡々と過ごして、忘れたころに覚醒月がやってきて目的を達成して帰る、それくらいの考えだった。

 出会って1年くらいの仲間、同じような境遇を共にしてきた旧友、そして美海。みんなにくだらない情を沸かせる前にいろいろと作戦を実行できるのは救いなのかもしれない。いや、もう情はあるか。俺がちゃんと仲間の言いつけを守って美海の血を飲まないでいるんだ。それくらい、あいつらに懐いてしまっていたんだ。

 俺たちのやることは正義ではない。ましてや悪でもない。これはただの大人たちのエゴだ。俺たちはただ巻き込まれただけ。それだけの事。だけども国を裏切って帰ったところで結末は俺たちにとって不都合な物になるだけだ。それならいうことを聞いておいた方が楽なのだ。

 なんてつまらない世界だろう。なんてくだらない世界だろう。子供のころはまだこの世界にはキラキラしたものでいっぱいだと思っていたのに、今となっては汚いところしか見えない悲しい世界になってしまっていた。そんなことになっているのに大人たちはそれを普通だというのだから、俺はただ周りを見下しながら生きるしかないのだ。それもまたつまらない。つまらない。


 そもそもこの海鳥自体、調査艦として作られていたのにどうして戦争なんかに使われなくちゃいけないのか。月華人にとっての聖域を人間たちのエゴで使われていい気持ちになんてなるわけがない。

 ザハールとサイールの王と女王が勝手に始めたこの戦争。もともとは違う人が王様だったというのに、ある日気が付けば彼らは勝手に王座に座っていた。そして自分勝手な政治を始めてしまった。それでも明日を生き抜く糧はあったから国民たちは何も言わなかった。

 それなのに急に二つの国は争いはじめ、明日どころか今を生き抜く糧もなくなり、みな飢えながらも戦に出される日々が始まった。国民たちはついに動きたが、もう時すでに遅かった。彼らの中には俺たち月華人に縋りつくものもいた。だから国は氾濫を防ぐためすぐに俺たちを海へ送り出した。俺たちを殺すために。

 本当はわかっていた。この船にはいつも違う装備があることに。この船は3階構造のエンジンルームがある地下のような部分がある、とマップに記載されているが、その中で隠し扉、通路を駆使しなければ絶対にたどり着けない部屋があった。そこには俺たちも知らない、隠し兵器があった。それは衝撃を受けると爆発する爆弾だった。

 国はこの船ごと月華人を殺すつもりなのだろう。それを悟られないようにもっと大きな出来事として人質を船に置き出航させたのだ。


 この事実をどれくらいの人が知っているのかはわからない。でも知っていたところで誰も口に出さないと思う。だってみんなそれを都合がいいと思っているのだから。国のために任務を達成させる、という束縛から解放される唯一の死を達成させる兵器があることに、幸せだと、どこかで思っている。皆が言う”国”がサイールなのかザハールなのかは、わからない。それでもこの船に乗っているものにとって、平等なものは”死”だけなのだから。

「つまんないなぁ。」

天井を見上げてぼんやりつぶやくと、おいしそうな紅茶の香りがして顔を上げた。そこには珍しい来客がいた。

「美海じゃん。なにしてんの?」

そう聞くと美海はのんびりしに来たのだといった。

 なんてのんきな娘だ。いや、この子には月華のこと、もとい国のことなんて関係ない。この船で一番自由な子なのだからそれくらいでいいのか。

「ふーん。ねぇ、俺にも紅茶淹れてよ。」

そういうとえー、といった反応をしたので何となくデコピンするとしぶしぶもう一個のカップを持ってきて真っ赤な紅茶を入れてくれた。

「ありがとありがと。」

と言って口に含めばふわっと紅茶の香りが一気に広がった。もっとへたくそだと思っていたがなかなか淹れるのが上手いようだ。

「ねぇ、美海。」

気分がいいから言っておいてやろう。

「明日から、誰にも…」

そう言いかけた時にラーズのごつごつの手に口をふさがれてしまった。

「あんた、かわいい美海を何たぶらかそうとしてるんだい?変なことしたらあたしが許さないよ?」

3メートルくらい離れたら絶世の美女。口を開けばただの化け物。赤毛のオネエでおなじみのラーズ・ブルルガン。そうこの前面白半分で言ったら半殺しにされた思い出がある。

「美海もいちいちこんな奴に従わなくていいんだから。適当に話付けてさっさと逃げなさいよ?」

ラーズはこの船の生活面でとてつもなく重要な役割を持っている。それは食事係と医務官の仕事だ。もちろん船員揃って料理はできるのだが、栄養バランス、つまみ食いの取り締まりなどにおいて彼に出るものはいないしそれは治療の面でも同じである。

「それと美海、船長が呼んでたからそれ飲んだら言ってあげなね。」

そういうとラーズは俺の隣に座ってコーヒーを飲みだした。

「えー、せっかく美海と仲良くしようと思ってたのに。」

そういうと美海は苦笑いをして紅茶を一気に飲み、しゃっくりをしながら談話室を出てしまった。

「ゆっくりでよかったのにこういうところ変にあの子まじめよね。」

ラーズは美海を見送りながら一息ついている。

「で、なに?俺に何の用?」

そうラーズに聞くとラーズは少し笑いながら

「明日の夜でしょ、例のあれ。」

例のあれ、それは覚醒月のことだ。

「だろうね。はぁ、もっとゆっくりしたかったなぁ。」

「まぁね。あんたも大分この船に慣れ親しんでたみたいだし。」

そういうとラーズは立ち上がった。

「明日の夜には、あんたも誰かに殺されているかもね。」

「さあね、俺も誰か殺してるかも。」

そう答えるとラーズは少し悲しそうな顔をした後いつもと変わらない顔になって

「あんたは早く休んでおきな。明日のためにも、ね。」

そういってこの部屋を後にした。


 本当は誰も殺したくない。だけども己の中にある何かが、きっとそうさせると思う。昔々の覚醒で俺は人間の血で生きることができるようになった。それじゃあ今覚醒したら、どうなる?

 はは、俺らしくもない。

 あの子、ちゃんと俺達から逃げてくれるかな。俺達に襲われる前に、俺達の知らない部屋で月が欠けていくのを待っててくれたらそれでいい。

 どうかあの子が殺されませんように、なんて柄でもないのに祈ってしまった。俺も大分、落ちぶれたものだ。

 

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