追憶と出航
暖かな光に包まれて朝を迎える少女はこれから美しく淀んだ海へ攫われる。戦も知らぬ柔らかな手は汚らしい人々によって黒に染まってしまうだろうし、きれいな物しか映してこなかった瞳には嫌な人々の亡骸を映してしまうのだろう。
どんなに君を守りたくても、君はこの船に導かれてしまう。それがどんなに悔しいことか今の君にはわからないだろう。
君が今度こそいうことを聞いてくれたなら、今度こそ何もかも忘れていてくれているなら。そう何度思ったことだろうか。数えるのももうやめてしまった。
君が俺以外の誰かを選んでくれるように、俺以外の誰かに救われるように、今回も遠くから支えて見せるから。だからどうか、どうか。
幸せになってくれ。
この世界にはハイール語、ムール語、アクア語の三つの言語が入り混じって存在している。それぞれしゃべる分には大きな違いはないが表記する際に違いがある。例えば名前であればハイール語は古代語をもとにした表記、ムール語は漢字を利用した表記、アクア語はカタカナを利用した表記となる。今となっては様々な言語を使っているためさほど使えないが、昔は言語を聞いて出身地方を把握していたこともあったらしい。
今朝少女はぼんやりしながら我々に名乗ってくれた名は美海だった。その名の通り美しい娘だったが、話を聞く限り彼女には保護者たるものはいなかった。経歴も不明、年齢も推測でしかわからない。そんな彼女は国にとっていろいろな意味で”好都合”な人物になってしまった。だからこんな船に乗せられるのだと思うと胸が痛い。とはいえ、我々にどうこうできる権利はない。ただ世界にの流れに身を任せるしかないのだから。
船長は美海を幼子をあやすようにいろいろ声をかけているが美海はまだ俯いて悲しそうな顔をしていた。そりゃそうだ、という思いもあるがあと1時間弱で我々は出航しなくてはならない。そのためにも少しでも乗船に前向きな思いを持ってもらわなくては。
そういう焦りの感情がある中で船長は「あ、そうだ」と間抜けな声を出してから海鳥船員たちを集め、全体に届くように、美海に届くように、声高らかに”約束”をしてくれた。
「この国のことはどうでもいい。むしろ一度滅びてくれた方がこの世界においていい薬になると思う。だからこそ我々第25代目海鳥らは任務を放棄してでも絶対に帰ってくるぞ。」
群衆は我々を見て悍ましいと言いながら指をさした。我々はもちろん何も悪いことをしていない。むしろこの世界では無垢な存在である。それなのにもかかわらず群衆は我々を”汚らわしい血を持つ化け物”として扱いたがる。いつからこの国の人々はこんなに悲しい生き物になってしまったのだろうか。この国の王が変わった時からだろうか、それとも我々が大人になったからそう見えるようになっただけなのだろうか。いずれにせよ我々は従順な海鳥兵にならなくてはならないのだからこの気持ちに蓋をして大きな監獄に乗り込む。船長は絶対に帰ってくると約束してくれたが僕はこんな場所に帰りたいとは思わない。未来明るい乙女を攫って十中八九死ぬ船に乗せるような国、差別を平気な顔をして行う国。腐ったリンゴは早めに取り除かなくてならないのにここまで腐りきってしまえば無事なリンゴを回収して遠くに保存しておくべきだと僕は思う。こんなこと思ってしまえば我々は従順ではないとみなされてしまうかもしれない。が、この国の中では僕らはこれから死にに行く、まるで処刑されるかのような状態なのだからもう、何を思うのも考えるのも自由だ。
9月27日 霧雨 気温18度 湿度54% 視界やや不良
重く冷たい空気をまとい第25代目海鳥は飛び立った。
とある詩人は今日をこのように歌った
海鳥に揺られる海の秘宝
我らの希望はそこにあり
いつか朝日と共に帰らん
平和の鐘を鳴らしたもう
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