第45話 幼馴染への断罪を敢行

 カレンが大声で俺と昼休みに大事な話しをすると言ったため、クラス中を巻き込んでしまう。

 たぶん瑠理が連絡したと思うが、俺のクラスに菜乃まで弁当を持ってやってきた。

 そしてカレンは、いつもの調子でみんなを扇動して、男子も女子も味方につけると、席を立って俺に言ったのだ。


「金輪際、このふたりに声をかけないで。学校でも、外でも! 断ったら、誰かが破滅することになるけどねー」

「お、お前!」


 カレンは立ったままでつぶやいた。


「もう……私の希望を叶えるしかないと思うけど?」


 その声は、今まで聞いたことがないほど低かった。


 カレンの言う破滅。

 それが何を指すかはすぐに理解した。

 Vtuber聖天使ナノンの正体が、姫川菜乃であると、それをバラすぞと脅しているのだ。


 バラされればこのSNSの時代だ。

 すぐに全国へ広まるだろう。

 ナノンのお気に入り登録はすでに20万人に迫ろうとしている。


 そんな彼女の正体が現役女子高生だと知られたら、それもこんな超可愛い女性だと知られたら、絶対大騒ぎになると思う。

 素顔がアップされれば美人だとばれるだろうし、家だって特定されかねない。

 綺麗な容姿に惹かれた奴らから、変な郵便や手紙が届かないとも限らない。


 そうなればこの高校へ通うのだって難しくなる。

 普通の生活を取り戻すなら、Vtuberを辞めなければならない。

 もしVtuberを続けるなら、高校を辞めてどこか遠いところへ引っ越して、姿を隠し続けることになるだろう。


 そんなことはダメだ!

 大好きな俺の彼女にそんな苦労はさせられない。

 カレンに秘密をバラされるくらいなら、彼女たちと距離を置くべきだ。

 俺に迷いなど無かった。


「分かったよ、カレン。彼女たちに話しかけない」


 言葉を濁さずにハッキリと彼女に伝えた。

 カレンは俺の答えに少し不満を見せる。


「彼女たちから話しかけてきても無視するのよ?」

「……ああ、話さないよ」


 なぜか、カレンがチッと舌打ちした。

 なんだ?

 何が気に入らないんだ?


「ねぇー。なんでそんなに素直なのよー。普通なら言い過ぎだとか不満言うでしょ? 抵抗するでしょ? ……あ、分かった! あんた何か企んでるのね?」

「まさか。ただ破滅を避けたいだけだ」


「ふーん。でもそれってさー、それだけこいつが大切ってことだよね?」

「そうだな」


 カレンが俺の返事に表情をゆがめた。

 立ったまま、自分の机の脚をガンと蹴る。

 静まり返った教室に、ガガッと机が動く大きな音が響いて、彼女の机が斜めになった。


「私は大切じゃないの!? 幼馴染みだよ!」

「幼馴染みとして大切だ」


「私が一番大切だと言え!」

「……一番じゃない」


「こいつらか! こいつらがいるから私が一番じゃないんだ!」

「カレン……そんなの……関係ないんだ」


「ウソよ! こいつらがいるからだわ!」

「……」


 カレンは自分が先に彼氏を作ったの、忘れたのか?

 それで自分はモテるんだと自慢して、彼氏と一緒に帰るから俺とは帰れないと言ったんだぞ!

 俺とは距離を置きたいと、おまえの方から言ってきたんだぞ!

 それでどの口が「一番大切だと言え!」などと……。

 本当に……本当に自分本位なんだな。


 事情を知らないクラスメイトたちが騒ぎ立てる。


「普通、まず幼馴染みだろ?」

「なんで一緒にいてやらないんだよ!」

「ハーレムはアニメの中だけにすべきでござる」

「単なる浮気野郎だわ!」

「ガッカリ。中村君ちょっといいって思ってたのに」

「何で一番だって言えないの?」


 いつからカレンはこんな風になってしまったのか。

 もしかしたら俺か?

 俺が彼女を甘やかしたからか?

 いや、カレンは幼いころからこんな風で、こうなる前の彼女なんて記憶にないな。


 真実を知らないクラスメイトに責められながら、俺は何がいけなかったかを考えていた。

 ふいに女性ふたりから話しかけられる。


「ねえ! 中村って何で黙ってんの? 本当のこと」

「中村は優しいねぇ。でも言った方がよくね?」


 近くにいたカレンの友達ふたりだ。

 彼女たちは、カレンが先に彼氏をつくったと知っているみたいだ。


「ちょ、ちょっと!? 由紀子とメグは黙ってろ!」


 カレンが慌てて大声をだした。


 ああ、やっぱり自覚あるんだ。

 先に彼氏をつくって俺を遠ざけた自分が悪いって。

 そうだよな、カレンは頭の回転早いから、相手がどのくらい反論する奴か見極めて上手にマウントとるもんな。

 ただ、自分勝手なだけなんだよな。


 結局、俺をハッキリ言わない奴だと思ってんだ。

 俺がみんなの前で、人を追及して追い込んだりしないって分かってるから。

 だから自分が悪くても言われないって思ってんだ。


 でも、俺は菜乃の彼氏なんだ!

 菜乃を守るために、俺がカレンにハッキリ言ってやらなければ!

 言わない俺が間違っていた。

 カレンの誤りを、幼馴染みの俺が言わなくて誰が言うんだ!


 俺が言わなきゃいけないんだッ!


「カレン!」

「な、何よ!?」


「カレンが先に俺を遠ざけたよな」

「え!? ちょっと」


「1組の三浦を彼氏にしたから、一緒に帰れないって俺に言ったよな」

「え、や、やめてよ。みんながいるでしょ」


「俺と距離を置きたいって言ったよな」

「け、健太! あんた、みんなの前でそんなこと言うの!?」


「だから俺はカレンから距離を置いた。菜乃はその後に優しくしてくれたんだ」

「だ、黙ってよ! みんなが聞いてるでしょー!」


「翌日の朝は前田を連れてきて、俺とは登校できないってハッキリ言ったよな?」

「あ、あれは健太を後悔させようとして……」


 カレンが必死に周りを見ている。

 みんなは俺の言葉に半信半疑のようだが、またもやカレンの友達ふたりが割って入った。


「あたし聞いたよそれ! 結構前に彼氏ができたって、さんざん自慢されたしー」

「そうそう。私、ホントはモテるんだー、とか言ってたね。だいたいカレン、あんた何様? いつも人のことバカにするしさ。あたしらだって言うときゃ言うんだよ!」


 驚くことに仲がいいって思ってた彼女らが、カレンに不利なことを言ったのだ。

 俺の言葉だけでは反応の鈍かったクラスメイトたちが、カレンの友達の証言に大きくざわめきだした。


「ちょっと待てよ、事情が違うぞ」

「え? 美崎って中村に一途じゃないの?」

「美崎氏が先に彼氏をつくったのでござるか?」

「何それ? 自分で距離を置くって言ったの?」

「だったら中村君、全然悪くないじゃない!」

「美崎さん、それってあなたが最悪じゃない?」


 カレンは黙ってみんなの話を聞いていた。

 酷い顔をしていた。

 何かを噛み締めるように顔をゆがめていた。

 彼女を長い間見てきて、最も醜い表情だった。


「姫川たちに近づくのやめて! 彼女たちと距離を置いて!」

「……分かったよ」


 それでも菜乃を守るにはこれしかない。

 脅迫されているから。

 俺が感情を殺してうなずいたとき、不意に愛しい人の声が聞こえた。


 凛としてるのに少し甘くて艶やかに響く声。

 そこには確かな意志と強い覚悟が感じられた。

 俺が大好きな人、何にも置いて守りたい女性の声だった。


「こんなんじゃ、私は何のために頑張ってるか分からない!」


 立ち上がった菜乃は俺を真っすぐに見ていた。


「菜乃!?」

「大切な人と一緒に居られないなら、もう頑張る気力も湧かなくなっちゃう」


「だめだ菜乃!」

「もう私の秘密なんていい。健太との関係を伝えて、堂々とあなたの隣にいたい」


 彼女は俺に向かって……だけど周りに聞かせるようにゆっくりと言った。

 テンションの上がったカレンが目を見開く。


「ちょっとちょっとー?? あんた、何を勝手に話し出してんのー? 自分の立場さー、分かってんの?」


 菜乃はカレンを見ない。

 ただ、ただ俺を見ていた。


「一生に一度しかない大切な時間を、高校3年生の今を、好きな人と少しでも一緒に過ごしたいから!」


 彼女はそれから俺に向かって声を出さずに口を動かす。

 俺を見つめる美しい瞳が語っていた。

 不思議と菜乃の想いが理解できて、聞こえないはずの声が俺には聞こえた。




 だから……打ち明けたいの!

 健太と付き合ってること。

 我がままでごめんなさい。

 私から秘密にしたいって言ったのに。

 打ち明けるのダメ……かな?




「分かったよ、菜乃」


 彼女の無言の問いに答えた。

 カレンが俺と菜乃を交互に見て首をかしげている。

 俺は立ち上がって、カレンに向き合った。


「ごめん、カレン。嘘をついた」

「なによー。ようやく私に従う気になったのねー」


「違う!」

「え?」


 強い口調で否定した俺の言葉にカレンが少しひるむ。


「聞いてくれ。俺と菜乃は……」


 こんな日が来るなんて。

 小さいころからずっとカレンが好きだった。

 誰よりも大切だった幼馴染みへ、別の人を好きだと伝える日が来るなんて。




「……俺は菜乃を好きだ。付き合っている!」




 教室が静寂で包まれた。


 菜乃の「よかった」というつぶやきが聞こえる。

 彼女は笑顔で俺を見て嬉しそうに、とても嬉しそうにした。

 その笑顔があまりに可愛くて、輝くようなまぶしさに見惚れていると、彼女の瞳が潤んだ……。


「健太、ありがとう」


 そして、涙があふれて頬を伝った。


 綺麗だ。

 菜乃、君は本当に綺麗な人だ。

 そして、そして誰よりいとおしい。

 俺の一言を喜んでくれて笑顔になってくれた。

 泣かせてしまったけれど、これはきっと嬉しい涙。

 ふたりが恋人になれたこと、それが何より幸せなんだ。


 俺は立ち尽くすカレンに向き直る。

 彼女は今の言葉の意味が分からないようだった。

 だから、俺はもう一度言う。


「カレン、俺は姫川さんと……菜乃と付き合ってるんだ。だから、彼女とは今後も話をするし距離も置かない!」

「そ、そんな……姫川が言い寄ってるんじゃないの!?」


「違う。俺が菜乃を好きなんだ。だから俺の意志で彼女と付き合っている!」


 ハッキリとそう言い切った。


 直後、教室に割れんばかりの歓声が響く。

 黙って見ていたクラスの連中が、一斉に大きな声をあげた。


「うぉぉおおおおーー!! 交際宣言かよ!!」

「みんなの前でカッケーー!!」

「中村氏を見直したでござる! あっぱれです!」

「いいなぁ。私もこんな彼氏欲しいー」

「悔しいけど。ちょっと応援したいかなぁ」

「素敵! すっごく青春ってカンジでいいよね!」


 みんなの声援という後押しを受けながら、カレンへ語りかける。


「だからもう、そっとしておいてくれないか?」

「け、健太ー!? 何で私にそんな態度を取ってんの?? わ、私に逆らったら、こいつ破滅するんだよ? 破滅ッ! あんたそれでいいの!?」


 やっぱり……脅しはあるよな。

 ナノンの正体が菜乃だとバラす、このカレンの脅しの根拠は何も解消されていないのだから。

 でも、一体どうすれば……。

 やはり最悪の事態は避けられないのか。


 すると、菜乃の近くに座っていた瑠理が立ち上がった。


「カレンちゃん! もういいでしょ!」

「はっ? なんで栗原が口出す訳ー?」


「ふたりの気持ちが通じてるんだよ?」

「通じてる? そんなの私は認めないしー」


 開き直ったカレンは矛先を瑠理に向ける。


「だいたい自分だって健太を好きなくせに! イイ子ぶるな!」


 勝手に瑠理の気持ちを代弁すると、勝ち誇ったように口の端を上げた。


 事務所の自販機前で頬にキスをされたときから、彼女の気持ちには気づいている。

 でもそれは瑠理の気持ちだ。

 決してカレンがクラスメイトの前で暴露していいものじゃない。

 きっと彼女だってつらいはず。

 しかし禁断の凶器を振り回すカレンに対し、瑠理は引き下がらなかった。


「私は健ちゃんを諦めてないよ?」

「じゃー、あんたもこっち側じゃないの! なら喧嘩売んな!」


「でもふたりとは友達だもん」


 瑠理が恥を覚悟で助けてくれた。


 サンキュー、瑠理。

 ならば今度は俺が持ち前の対応力でクラスメイト全員を味方にしてやる。


 いまの一瞬で対立構造のバランスが崩れたのを俺は見逃さなかった。

 それは菜乃のライバル瑠理が味方だと宣言してくれたことだ。

 ライバルである瑠理が菜乃の側についた、なら、敵でもないクラスメイトが菜乃に敵対する理由はもはやない。

 むしろスタンスの不安定なクラスメイトたちがこちらへ傾く理由ができたのだ。


 あとはそっと背中を押すだけでいい。


「俺は菜乃だけじゃなくみんなと仲良くやりたい。笑顔で半年後の卒業式を迎えたいんだ。もちろんカレンとも」


 意識して教室を見回してからカレンをたしなめた。

 するとクラスメイトたちが同調を始める。


「そうだよ。ふたりを邪魔してやるなって!」

「俺は脅迫に加担しないぞ」

「幼馴染みこそ、最大にして最強の理解者ですぞ」

「弱み握るとかやめてあげて」

「もう入り込む余地ないじゃん」

「いいなー。私も卒業までに彼氏欲しー」


 カレンは左右に繰り返し首を動かして、何度も周りを見回していた。

 たぶん探しているのだろう。

 誰か自分の味方がいないのかと。

 だがいくら見回しても自分の味方を発見できず、口を開けて表情を失った。

 全員が自分の敵だと気づいたらしい。


 とうとう錯乱したように俺の前へ出る。


「おかしいでしょー! 私は幼馴染みなのよ! 健太を盗られたのよ! あいつは泥棒でしょー!!」

「違うよ、カレン」


「なんでー!? なんで私が悪者になるのよー!」

「別にカレンは悪者じゃない。でも、菜乃は泥棒でもない――」


 あくまで俺の意志だと伝えなくては。


「俺が菜乃を選んだんだよ」


 ここでカレンがVtuberナノンの正体をバラせば、菜乃は絶体絶命になる。

 いくらクラスメイトたちが好意的でも、黙っていてはくれないだろう。

 あっと言う間にSNSで拡散するのが目に見える。

 さっき、俺と菜乃は付き合ってると告白した。

 バラされればVtuberとして再起不能になるに違いない。


 だけど、もうカレンの脅迫は怖くない。

 なぜならすでに菜乃をVtuberだとバラせないから。

 俺は確信していた。

 カレンは打ち明けられないと。


「バ、バラすわよ!? バラすわよ??」

「……」


「……く、くぅっっ!! 何よぉおおっ!!」

「カレン……」


 カレンが肝心のネタを伝えるこの場の相手たちは、いまや全員が俺たちの味方。

 俺と菜乃の恋人関係をクラスメイトたちが認めたばかりだ。

 このタイミングで悪意ある告白をすれば、公認の恋人を引き裂こうとする卑怯者として、クラス中から呆れられてカレンの人間関係は終るだろう。


 もうカレンにこのクラスで居場所はなくなる。

 卒業までの半年間、クラスからハブられて完全に孤立するのは間違いない。

 カーストを意識するプライドの高いカレンからすれば、それはあり得ない選択なんだ。

 幼馴染みの俺には彼女の思考が狂いなく読めていた。


「もういい! もういいッ!! くっだらない! ふざけんなよ……ふざけんなぁぁああああっっ!!!! 健太のバカ、健太のバカ、健太のバカぁぁああ!!」


 カレンはそのまま教室から駆け出て行った。

 菜乃の秘密を暴露せずに逃げ出したので、俺は内心ホッとして彼女の後ろ姿を見送っていたが……。


「健ちゃんてば! 何してんの、早く行かなきゃ!」


 後ろから声とともに背中をバンと叩かれた。


「る、瑠理! お前、その顔」

「こっち見ないでいいから! 幼馴染みなんでしょ! けじめだよっ! 早くカレンちゃん追いかけて!」


「わ、分かった」


 俺は急いでカレンの後を追った。


 カレンが出て行ったほうへ走りながらも、見るなと言った瑠理の顔が頭をよぎる。

 さっき背中を叩かれて振り返ったとき、彼女は泣いていたように見えた。


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