62 観覧車


 まさか……今の話、聞こえてた?


 思わず立ち上がって柚佳の方へ歩もうとしたけど彼女が表情を歪めたのを見て足を止めた。

 ……まずい。柚佳に知らせず秘密にしていたから嫌な気持ちにさせてしまったかもしれない。


「えっと、柚佳」


「あっ! 雨降ってきちゃったね! まだ来たばっかりなのに!」


 話始めたオレの声は柚佳の出した不自然に大きめな声に遮られた。


「そ、そうね。でもまだ小降りだし、あと一つくらい何かに乗れるんじゃない?」


 花山さんが口の端をヒクヒクさせながら無理やり作ったような笑顔で提案した。

 その時、今いる広場の中央を走って来る人影があった。篤と篤妹だ。


「すみません。トイレ結構人が並んでて。遅くなりました」


 膝に手を置いて息を整えている篤妹。その斜め後ろに立つ篤は空を見上げた後オレたちに微笑した。


「雨降ってきたね。妹がメリーゴーランドに乗りたいらしいんだよね。帰る前に行ってきてもいい?」


「ちょっ……! お兄ちゃん!」


「あー、うん。分かったわ。じゃあ終わったら正門の横にあるお土産屋さんで落ち合いましょ」


「分かった」


 花山さんにニッコリ返事をした篤はこちらに背を向けて歩き出した。


「行こう美緒」


「待ってお兄ちゃん! メリーゴーランドはこっちだよ!」


 篤は篤妹に引っ張られ九十度右方向へ連れて行かれた。妹と手を繋げて嬉しかったのか反対の手で口を隠し目をギラつかせている。

 そんな篤に思う。幸せな奴め。残ったメンバーはまだ微妙な雰囲気だ。


「あっ! すぐそこに観覧車があるわね! あれに乗りましょ? せっかく来たんだし。桜場君と妹ちゃんもあと二十分はかかるわよ」


 花山さんが沈黙していたオレたちに助け舟を出してくれた。




 観覧車へ向かう途中、隣を歩く柚佳の顔を窺った。こっそり横目に見ていたけど気付かれてしまった。


「ん? ……何? 海里」


「さっきの事だけど……話、聞こえてた?」


 思い切って尋ねた。


「さっきの事? もしかして海里とマキちゃんが話してた内容? ……ううん。何も聞こえてないよ」


 それまで微笑んでいた柚佳は少し顔を曇らせ俯いた。聞こえてないと言いながら元気がない様子の彼女に焦る。


「本当に?」


 もう一度、確認する。

 ……顔を上げた柚佳は笑っていた。


「うん。本当だよ? 私に聞かれちゃまずい話だった?」


 笑うのをやめた彼女に綺麗な大きい瞳で見つめられる。言葉に詰まった。

 そんなオレに柔らかく微笑みを浮かべ先に観覧車へと進んで行く幼馴染の背を追った。



 係員の指示でゴンドラに乗り込む。直前で花山さんが言った。


「あ! ごめんね私、さっき飲み物買った所で忘れ物したみたい。取りに行くから柚佳ちゃんと沼田君は観覧車、楽しんできてね。マキちゃん行くわよ!」


 花山さんがマキの腕を引っ張って階段を下りていく。その間も観覧車は動いていて、下の方で手を振っている二人が見えた。


 ゴンドラ内、オレと柚佳は右のシートに並んで座っていた。奥側に座る柚佳を盗み見る。

 彼女は右を向いていた。外を眺めているようだけど、オレに怒っているから顔も合わせたくないのではと勘繰ってしまう。すぐ隣にいる筈なのに、今日ここへ来る前より距離ができてしまったように感じる。


 行きのバスの中ではこんな展開になるとは思ってなくて随分浮かれていた。無邪気に笑う柚佳が可愛くて『触りたいキスしたい抱きしめたい。ここが外じゃなければよかったのに』と欲深い事を考えていた。


 今まで色々あったオレたちだけど、これじゃまるで柚佳の気持ちが分からなくて悩んでた頃に戻ったみたいだ。やっと想いが通じ合えたと思っていたのに。


 彼女は気付いているか、もしくは疑っているようだった。柚佳には秘密にするんじゃなかった。後悔するけど今更遅い。謝るなら早い方がいい。拗れるのはもうゴメンだ。


「柚佳。あのさ、さっきの事なんだけど。黙っててごめん。気付いてるかもしれないけど『マキ』はさ……」


 そこまで言った瞬間、柚佳が勢いよく振り向いた。怯えたように目を見開いて下唇を噛む仕草をした彼女に思い至る。


 えっ、オレ何か失言した?


 自らの言動を振り返ろうとした。ゴンドラは大分高い位置まで上昇していた。


 ギイと揺れる。


「……えっと」


 状況が正しく理解できなくて、取り敢えず何か言おうとした。オレの胸に縋るように抱き付いてきた柚佳の頭部が目前にある。


「柚佳?」


「ダメ。絶対許さない」


 柚佳が顔を上げた。その表情を知る間もないまま唇に柔らかいものが触れるのを感じた。


 ……?


 一旦離れた彼女の唇が再び押し当てられる。オレの首の後ろに細い腕がまわされ上半身が密着している。


「えっと、その……、待って」


 断りを入れ、柚佳の肩を掴んで体を離した。困惑している心の隅で思考する。


 あれっ? ……常々邪な事を夢想していたのは認める。バスの中でも彼女の可愛さに負けて伸びそうな手を引っ込めるのに苦労していた。


 これは夢? オレに都合のいい夢?


 オレに両肩を掴まれている柚佳は今にも泣き出しそうに顔を歪めているのに、その口角を上げた。彼女の異変に焦燥感が湧く。居ても立っても居られなくなって気が付いたら問い詰めていた。


「今日のお前、おかしいよ。どうしたんだ? バスに乗ってた時もいきなり手を繋いできたし、ほかの奴が近くにいるのにオレにくっついてくるし……。いつものお前なら恥ずかしがってしないだろ?」


「わざとだよ」


「そうか、わざとだったのか……って、え?」


 柚佳の返答に耳を疑った。戸惑っているオレへ彼女が告げる。冷たくも思える感情の読めない目をして。


「わざとそうしたの」

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