8 学校での彼女



 翌朝、アパートの階段下で手すりに凭れて柚佳を待っていた。



 ドアの開く音が響いた。



「行ってきます」


 そう言ってドアを閉めた柚佳に声をかけた。わざと明るく。


「柚佳、おはよう! 一緒行こーぜ」


 彼女はハッとしたような顔でオレを見た。



 学校での柚佳は家にいる時と雰囲気が違う。


 まず見た目から違う。学校外では髪を結んでいない事が多い。これは最近になってからだけど。学校ではいつもポニーテールだ。それから眼鏡を掛けている姿をよく目にする。視力が落ちて黒板の字が見えにくくなったらしい。そして、最大に違うのは性格。家でオレと遊んでいる時は勝気なのに、学校では大人しいって言うかしおらしい……。


 そんな性格のギャップを知らない男子の間で柚佳は密かに人気があった。「皆、騙されてるぞ!」と教えてやりたい時もあったが、よく考えてみると家での柚佳も生き生きしていて最高に可愛いので誰にも教えるつもりはない。オレだけで独占するのだ。



「おはよう……海里」


 柚佳は右下に視線を逸らした。

 昨日泣いたから気恥ずかしいのかもしれない。


 結局彼女が何で泣いていたのか分からなかった。でも、何か打ち明けようとしてくれていた。柚佳が話せるようになるまで取り敢えず待ってみる事にした。



 制服のスカートを揺らしてこちらへ歩んで来た彼女は、オレの横を通り過ぎて先に行ってしまう。



「柚佳……、何か怒ってる?」


 追いかけて聞くけど、こちらを見ようともしない。彼女の態度が冷たい。家ではそんな事ないのに。


 特にここ一週間くらい、学校での柚佳は様子が変だった。廊下で擦れ違った時も話しかけたのに聞こえていない素振りで目も合わせてくれなかったし、わざとオレと会わないように時間をずらして登校したり。


 オレ、何か嫌われる事しただろうか。……心当たりがあり過ぎて分からない。



「怒ってないよ?」


 柚佳は振り返らずにそう言った。


「柚佳?」


 気が付いた時には彼女の左肩を掴んで、その顔を正面から見下ろしていた。見開かれた目がオレを映している。……よかった泣いてない。


 ほっとして緊張で強張っていた力が抜ける。振り向かせる為掴んでいた肩を放した。


「ごめん。泣いてるんじゃないかと思った」


 勘違いがちょっと恥ずかしく思えて、誤魔化し笑いをしつつ右頬を掻いた。じっと見上げてくる大きな瞳から逃れるように右下へ視線を移した時。



 それはほんの短い間で……唇が離れて相手の目を見た後、理解した。


 肩に添えられていた手が静かに距離を取る。顔をくしゃっと歪ませた彼女は、何も言わないまま先に行ってしまった。


 オレは衝撃で口を押さえたまま立ち尽くした。大きめの動悸は後からやって来てしばらく続いた。



「えっ?」










 その日。オレは授業に全然身が入らなかった。教科書を見ているフリをして横目で右隣の更に右斜め前の席にいる柚佳の様子を窺っていた。彼女はいつものように学校用の落ち着いた雰囲気をまとい教科書をめくっている。


 オレだけ? 心に台風が直撃したように穏やかじゃないの、オレだけなの?


 何事もなかったかのように澄ました顔で授業を受けている柚佳に心がざわつく。


 ゴスッ。


「っ……てっ!」


 頭に痛みがあった。側に誰か立っている。患部を両手で押さえ見上げた。数学の平尾先生が教科書を揺らしている。あの角でやられたらしい。



「沼田ぁ! 花山が可愛いからってよそ見するなよな~!」



 先生はニヤッと笑い、わざとらしく大きな声で注意した。教室に小さい笑い声がいくつも起こる。右隣の席の花山さんも少し困ったように微笑んでいる。



 オレは言いたかった。「違うんだ。オレは一井さんを見ていたんだ!」って。けれどこの平尾先生は厄介で、少しでも意見しようものなら「口答えするな」とキレ出す事がよくあった。まあ、よそ見していたオレが悪いから仕方ない。


 「すみません」と謝って平尾先生をやり過ごした。


 先生の目を盗んでもう一度柚佳を見た。彼女は変わらず教科書に視線を落としていた。


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