6 秘密の約束


 荒ぶる心に任せた勢いで彼女の口唇を食んだ。顔を少し右に傾けてより密着するように。


 身体の奥底にくすぶった熱のようなものがある。頭の隅にちらつく後ろめたさがそこに油を注いでいる。仄暗いそれに突き動かされて自分を制御する事ができない。


 閉じていた瞼を薄く開いて柚佳を窺う。目をぎゅっと瞑った様子の彼女は体を強張らせたように微動だにせず、頑なに口を結んだままだ。唇を少し離して彼女に乞う。



「……柚佳、口を開けて」


「嫌」



 目元を赤くした彼女が上目遣いに拒んだので、背筋がゾクゾクした。


「もしかして、オレの事煽ってるの?」


 意地悪したくなってそう聞いたら、目を見開いた彼女は必死の様相で弁明した。



「ちがっ……! 確かに教えてとは言ったけど、まだ慣れてないのにそんな……大人なやつは早いと思うの!」



 慌てた様子の彼女が可愛くて小さく笑った。


「慣れたらいいんだ? そして慣れる予定なんだ」


 オレは落ち着き払った顔で、そう彼女に微笑みかけた。


「っ……海里……。今に見てなさいよ」


 恨みの籠もった目で睨まれた。


 少し前まで彼女の気持ちが解らなくて知らない人のように見え焦っていたけど、柚佳はやっぱり柚佳だ。オレの大事な幼馴染で、誰よりも可愛い。



 ……傍にいられるんだったら何だってする。篤と彼女が付き合うようになったらきっともう「キスの練習相手」という関係も彼女には必要ない。その為にわざわざ『あと九日』だとオレに教えたのだろう。



 「篤との仲を応援する」……。この関係はそんな綺麗なもんじゃない。ただオレが……柚佳を繋ぎ止めておきたいだけの、不毛な関係。目が覚めたらそれまで見ていた夢を忘れてしまうみたいに、彼女もオレの元から去ってしまう。


 ――嫌だと、叫んでいる自分がこの身の内に存在する。


 残りの九日で彼女の気持ちを変えたいと、意識の深くで閃く思考を捉まえた。

 続け様に「篤をイチコロにするキス」の練習という建前で「柚佳をイチコロにするキス」を秘密裏に探るという下衆な計略に思い至る。



 眉根を寄せて沈黙していたオレを心配するように見上げて、柚佳が囁いた。


「海里?」


 オレは薄目で彼女を見た。柚佳がいけないのだ。

 オレがこんなに頭を悩ませなきゃならないのも、篤に後ろめたく思うのも、自分がとんでもない心の汚れた奴だと気付いてしまったのも。全部全部、柚佳が可愛いのがいけない。篤と両想いの癖にオレとキスをする、何を考えているのか分からない柚佳が悪いのだ。



 彼女の両手を自分の両手で握った。細い指先、滑らかな手の甲。思えば、手を繋ぐのもこれが初めてかもしれない。



「覚悟を決めたよ」


「覚悟?」



 伝えると、彼女はきょとんとした顔をした。そんな柚佳に笑った。



「もちろんオレたちのこの関係は篤やクラスの奴らに秘密なんだろ? バレた時きっとお前は振られるからな。オレも絶対篤に殴られるだろうな。……まぁ、バレた時は一緒に地獄に堕ちてやるよ」



 ああ、ダメだな。柚佳と篤が付き合い出して独りになっても、彼女を忘れられる気がしない。そんな予感がして苦笑した。



 目の前の柚佳は少し息を止めたような呼吸をした後、眉尻を下げて微笑んだ。



「うん。ありがとう海里」



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