もじMOJI文字МОДЗИして来ました

小余綾香

第1話 文字愛ホラー

「何したい?」

「マヤ文字解読」

「欲しい物ある?」

「パピルス」


 時は昭和。年齢一桁ひとけたの女児コミュニティで、こんな受け答えをする子が浮かないはずがない。

 亜美あみは人よりちょっと文字が好きだ。しかし、それが他人にはかなり問題だった。時に人を凍らせ、時に奇声を上げさせて来た亜美の文字愛。


 それを最初に発見したのは祖母の房子ふさこと思われる。

 彼女にとって、それはホラーだった。亜美が小学生の時、聞いた房子の証言によると、まだほとんど歩けない一歳の出来事らしい。


「あなたはすみると、どこからともなく寄って来て変な声を出す子で」


 まるで油をめに来る化け猫のような言われ方である。


「触らせないように抱っこしても、ずっと何か言い続けるのよ。音痴な歌かと思ったら『ぶ・ちゃ』を何度も何度もり返してて『ふさ』と言おうとしてる、と気付いた時は震え上がったわ。私の名前を言ってるの」


 突然、孫にファーストネームで呼び捨てされようとしている祖母。

 昭和ニッポンに馴染まない光景なのは確かだ。


 昭和の既婚者は滅多に名を呼ばれない。女性ならば奥様、お母さん、お祖母ちゃま等の属性で事足りる。

 だから、同居していない一歳児が名を聞き覚えるとは房子には思えず、何かが孫をしゃべらせている、と感じたに違いない。


「紙を欲しがるから書き損じを何枚かあげると、じゃれながら『ぶちゃ』『ぶちゃ』って。次第に仮名を拾って読んでいる、と気付きましたけれども、それでも怖かったわ」


 実は、房子には女性名に漢字を使わず「子」を省略する癖があった。だから、署名は「ふさ」と書かれており、亜美はそれを読んでいたのである。漢字を飛ばした結果、頻出ひんしゅつする祖母の名前がり返された、という単純なカラクリだ。判れば如何どうということはない。

 しかし、いきなり直面した房子にとって仮名を拾い読む一歳児は気味が悪かった。今と違い、情報の少ない時代。房子周辺に前例はなかったのだろう。

 オカルトな孫で申し訳ありません、としか言いようがないが、亜美にそんな社交性はなかった為、その話を唯、黙って聞いていた。そして、房子に深い深い溜息ためいきをつかせる。


「おはらいしてもらうように、あなたのお母さんに言いましたよ。あの子はちゃんとしたのかしら」


 お祓いの遂行すいこう懸念けねんしていることから、この時、まだ房子は孫を怪しげに感じていたのだ、と亜美は後に気付く。ホラー小説ならば、りついたものが房子をおそって排除しそうな流れだが、幸い唯の文字好きなので何も起きなかった。

 尚、房子の娘、千秋ちあきはお祓いをしていない、と亜美は思っている。

 祖母から話を聞いた後、亜美は千秋にいつ字を教えたかたずねたのだが、


「私は誰にも文字なんて教えたことはありません。だって、小学校で習うのですもの。教える必要があるなんて思ってもみないわ。兄弟の下に生まれると得だわよね。幼稚園の間に上の子を見て覚えて」


 と返って来た。一歳で通う幼稚園はない。

 第一子の兄が小学校に上がったのは房子の語ったエピソードより数年後。兄の家庭訪問時、担任教師は「初めての読み書きだそうで、お家でも練習してください」とおっしゃった為、それ以前に千秋が教えた可能性は低い。千秋は年単位で娘が文字を読めることに気付かず過ごしたことになる。

 恐らく房子の意図は千秋に伝わらなかった。当然、お祓いはしなかっただろう。良かったのやら、悪かったのやら。

 房子は懸念を誰にも理解されず、苦労したのだろう。彼女はこんなこともこぼしている。


「おじいさんに、あなたにはお話を聞かせる必要ない、この子は自分で読むから他の子だけで良いんだっていくら言っても、こんな小さな子が読める訳ない、見てるだけだって聞かないのよ、あの人は」


 亜美の祖父は失明しており、孫が何をしているか自分の目で確認できなかった。

 娘にも夫にも伝わらず、房子は一人で亜美の奇妙さと向き合ったようである。亜美に当たりが強めだったのは、その為かもしれない。毎年、祖父母と三人で過ごす休暇中、房子が一度は千秋にこっそり電話し、


「あの子は大丈夫なのかしら」


 と問い掛けていたのを亜美は知っている。歌の上手い声の通る人だったから。彼女はいつも亜美から違和を感じ、他の人は無関心だった。

 房子は鋭く事実を感じ取っていたのだと大人になった亜美は思う。振り返れば、房子は有難い人だった。

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