第15話
何故、誰も彼の存在に気が付かないのだろうか。
苦肉の策として求婚に転じたエルンスト様も、ネックレスを外して差し出すネイディも、命知らずにも程がある。
僕が元婚約者であるアグライアの後に控える男一人に注視をしていると、銀の仮面を付けていた男はサッと銀色の短刀を抜き放って、瓶の口先部分を跳ね飛ばすようにして斬り捨てると、二本のワインをその手に取って、エルンスト様とネイディに対して浴びせるようにしてぶちかけた。
「腐った豚はアルコールで浸しても、汚臭は消えずにいつまでも残っているのだな」
銀の仮面の男はそう言いながら、次々とワインをウェルナー伯爵とその夫人、そして夫人の後ろに立っていた僕にまでご丁寧に頭からかけ回す。
「貴様!何をする!」
怒声を上げながら立ち上がるエルンスト様は、仮面の男が誰なのかまだ気づいていないらしい。
男はサッと仮面を外すと、氷点下のように冷たく見えるアクアマリンの瞳を殿下に向けた。
「主権が王国へ返されるのを恐れて、慌ててアグライアに求婚するとはな、人を馬鹿にするにも程がある」
「オマール・ダーフィト・ブザンヴァル!」
「王国の第三王子!」
「ラテニアを滅ぼした氷の悪魔じゃないか!」
そう、王国に宣戦布告をしたラテニアをわずか二十日で陥落させた悪魔の王子、この王子の手にかかれば我が公国など三日で落ちるに違いない。
「辺境伯よ、こちらへと参るが良い」
悪魔の王子の声かけを受けて、飛ぶように現れたシュタイア辺境伯はその場に跪くと、
「見よ!我が王族の秘宝が何処にあったのかを!見よ!血族から外れた者の所有を受けた宝が泣いている姿を!」
どうしたものか、王子が持つネックレスからは、まるで涙が流れているかのように、水の雫が落ちていく。
「これはアグライアが母イレーヌと祖母アヌークの涙に違いない、辺境伯!わかるか!王族の血を引くお前なら分かる事と思うのだがな!」
今まで姪を放置し続けた辺境伯は、床に額を擦り付けながら頭を下げ続けた。
「我はオマール・ダーフィト・ブザンヴァル!ホーエンベルグ公国がどれほど我が王族を侮ったかという事はしかと理解した!我が同胞を嘲笑った者どもよ、過去を悔め!過去に懺悔せよ!我らを侮る事許さず!今すぐ公家の者どもを連れて来い!」
白銀の戦闘衣を着た男たちに引っ立てられるようにしてホーエンベルグ公とその妃、二人の王子も連行されてくると、
「約定は破られた!ブザンヴァルを侮る者は何者をも許すまじ!ホーエンベルグ公国はたった今より我が国の支配下となる。これは神の元で結ばれた約定ゆえ、何人たりとも異は唱えさせぬ!」
ブザンヴァルの兵士がどんどんどんどん舞踏会場に入ってくる、そうこうしている間に僕も後から羽交い締めにされて床に押し付けられた。
同じように拘束を受けたウェルナー一族も、エルンスト殿下すら同じように拘束されて運ばれていく。
元婚約者のアグライアは、
「ああ・・・結局、転職系の話じゃなかったの・・・」
と言いながら気絶するのを、隣国の第三王子が優しく抱き上げる姿を羽交い締めのまま見たのが最後だった。
◇◇◇
キャラ変にも程がある、程があるでしょうー!
な・・な・・何が第三王子?どこの何の第三王子だって言うのよーー!
「我はオマール・ダーフィト・ブザンヴァル!ホーエンベルグ公国がどれほど我が王族を侮ったかという事はしかと理解した!我が同胞を嘲笑った者どもよ、過去を悔め!過去に懺悔せよ!我らを侮る事許さず!今すぐ公家の者どもを連れて来い!」
小賢しいエルンスト殿下の策略で危うく結婚させられそうになったけど!力技で!力技で流れを変えたわね!
これ、ダーフィトさんがいなくて、王国の大使だけしか近くに居なかったら、小賢しい妹は許さなくちゃなんないし、家族の事まで認めなくちゃならないし、挙げ句の果てには犬畜生にも劣るエルンストクソ野郎と公国の主権のために結婚するところだったわけだけど?そんな事にならなくて有難うございますだけど?
「なにが異世界で前職活かして転職よ!イケメン拾ってハッピー生活!じゃなくって!悪役令嬢系物語のテンプレ展開じゃないのよーー―!」
私がベッドから起き上がって叫び声を上げると、慌てた様子でウルスラさんが飛び込んできた。
「アグちゃん!大丈夫?どうしたの?誰かやってきた?毒でも仕込まれた?」
「ど・・毒?いやいや、違います!違いますけども!」
ウルスラさんの涙ボクロが色っぽい、マッサージの効果もあってツヤツヤとなった顔を見上げた私は、自分の頭を抱え込むと、
「王子様とか聞いてないーーー〜ー〜―――!」
と、叫び声を上げた。
「だって!最初っから自分の事は商人だって言っていたじゃない!都合よく現れた人が助けてくれると言うのなら!そこからの展開はその人の職業で決まってくるじゃない!商人だって聞いたからめちゃくちゃ頑張って自分の前職についてプレゼンをして!イケメンを拾うために一生懸命稼いで自分の店舗を獲得して!私は頑張って!そりゃあ頑張ってきたっていうのに!」
私は涙をドバッと溢れさせながら、
「王子だなんて聞いてないーー!しかも第三王子!超テンプレ展開じゃないのよーーー!」
と、叫ぶと、ウルスラさんは大きなため息を吐き出した。
「アグちゃん、アグちゃんが言っている言葉の内容は半分くらいしかわからないけれど、私はいつでも絶対にアグちゃんの味方よ?」
優しく抱きしめてくれたウルスラさんからは、とっても良い匂いがしてきます。ウルスラさんは最近、ローズヒップオイルを使ったシャンプー石鹸を愛用しているのですね。
「アグちゃんはどうしたいの?」
「私・・ここから帰りたいーー〜――!」
このままでいったら、第三王子(ダーフィトさん)と結婚させられて、ホーエンベルグ公国を新たに治める王と王妃になったりなんかしちゃって、私に嫌味と嫌悪と侮蔑と嘲笑しか浮かべてこなかった貴族連中を服従させて、新たなる統治に邁進する事になるんでしょう?
いやよ!そんなの!無茶苦茶面倒臭いじゃない!
「私は私の事を虐げてきた人たちの事なんて知らないし、関わりたくもない!もうホーエンベルグから逃げ出したい!」
わーーーーーーっ!と泣き出す私をぎゅっと抱きしめたウルスラさんは、
「じゃあ逃げ出しちゃいましょうよ」
と、言い出した。
「ちょうど、今日の夜に商会の船がブザンヴァル王国に向けて出港する予定だから、それに乗ってさっさと帰りましょう」
そう言うなり、ウルスラさんは早速シンプルな外出着を持って戻ってくると、早く着替えるように私を促した。
「え・・・でも・・帰っちゃってもいいんですか?」
私の母は辺境伯の娘だし、祖母は王国の姫君なんだそうで、王国の血を引く私の存在は、ホーエンベルグとしては貴重な存在でしょうに。
「別に帰っても問題ないですよ。マリア様もモア様ノア様も、アグちゃんが早く帰って来ないかと手ぐすね引いて待っているんですからね!」
親とか親族とか、これから色々と取り調べを受ける事になると思うんですけどぉ・・・それに私が必要かどうかって言ったら、別に必要ないわよねぇ。
そもそも、ダーフィトさんがホーエンベルグを統治するのなら、別に私じゃなくたってホーエンベルグの有力貴族の令嬢を娶ればよいだけの話だもの。
ダーフィトさんが結婚って考えると胸がギューーーッと痛くなるんだけど、第三王子が結婚って考えれば、実にどうでも良くなるのだから不思議だわ。
「アグちゃんはお店の周りに落ちているはずのイケメンを拾うのが夢なのでしょう?」
ウルスラさんが励ますように言ってくれた言葉が胸に沁みました。
そうですよね、展開的に、前職活かして転職してハッピー生活!から完全に逸脱しちゃったかと思ったのですが、そんな事は自分次第で決められますよね?
「ウルスラさん、私、自分のお店に帰りたいです」
「それじゃあ帰りましょうよ」
私はウルスラさんの手を取って立ち上がる事にした。
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