第14話

 ホーエンベルグ公国を出奔してからまだ一年は経っていないというのに、気持ち的には五十年くらい経過しているような気分です。

 ブザンヴァル王国の大使の方々は、すでに公国入りしているらしいんですけど、私たちはおまけみたいなものなので、歓迎のための舞踏会に顔を出せば良いのだそうです。


 船で移動した私とダーフィト様は、大使の方々とは完全なる別行動であり、ダーフィト様所有の公都のタウンハウスで着替えを済ませた後は、馬車で宮殿へと移動する事になります。


 ブザンヴァル王家とも深い繋がりがある商会の会頭ではありますが、非公式での参加という事になるため、ダーフィトさんは銀色の目元を隠す仮面をつけての参加となるそうです。漆黒のコート、ウェストコート、ブリーチズ全てに鮮やかな銀糸の刺繍が施されており、めちゃくちゃ粋です。


 私の方は水宝玉のような鮮やかな青のベリルのような生地に、海水の波間を月光が差し込むような銀糸の刺繍が施されており、見るからに高そうなドレスです。

 さすがマリア様というか、凄腕の娼館の主人はセンスも抜群という事になるのでしょう。


「我々は表から会場に入らずに、裏から入る事になります。アグちゃんには嫌な思いをさせてしまうかもしれないけれど大丈夫かな?」

 ホーエンベルグ公家がきちんとブザンヴァル王国に対して敬意を払っているかどうかの首実験に使われるため、最悪な結果となる場合も十分にありえるわけです。

「お金のために頑張ります!」

 私には養っていかなければならない子供たちがすでに三十人近く居るのです。

 保護者って本当に、辛いですねー〜―

「それじゃあ、お金の為に頑張って!」

 ダーフィトさんは髪の毛が崩れないように気をつけながら、ちょこっと私の頭を撫でてくれました。

 マリア様やモア様ノア様、ヘッドスパを愛するおじ様軍団も、何かあればすぐにブザンヴァルに帰ってきなさいと言ってくれているので、きっと何とかなるでしょう。


 公家が出入りする奥の扉の前まで来ると、ダーフィトさんが物慣れた様子で私に肘を差し出してきました。エスコートしてくれるってことですね。

「ダーフィトさん、ここからは私一人で大丈夫です。無茶苦茶な事を言われたら、走ってブザンヴァルの大使の方へと逃げるつもりですから」


 貴族籍を持っているのかどうかも知らないけれど、ダーフィトさんは商人をやっているくらいだから次男とか三男とか四男とか、後を継ぐとか関係のない自由な身分の人なのだろう。

 私の為にこんな所まで来てもらったけれど、本来は私がブザンヴァル王家と話をしなくちゃならないような事も、間に入って進めてもらっちゃってすみません。


「お助けキャラとして十分にフォローしてもらっていますし、ここから一人でいきますから大丈夫です」

「なんだかその・・お助けキャラって気に食わないんだよなぁー〜―」

 ダーフィトさんは私の手を無理やり取ると、自分の肘の上に置きながら、その上に重ねるようにして自分の手を置いた。

 そうしてまっすぐと前を見ると、私をエスコートする形で、金の衣装を身に纏った侍従が開ける扉の先へと、颯爽と歩き出したのだった。



      ◇◇◇



 お姉様を見つけ出すことが出来ないまま、ブザンヴァル王国の大使を迎えての歓迎の舞踏会が催される事になり、真っ青な顔をしたセオドア様が小刻みに震えながら私をエスコートする。

「ねえ、セオドア様、この手を離してはくれないでしょうか?」

「嫌だ・・離したくない・・・」

 まるで命綱を掴んでいるような様子で私の手を握るセオドア様に苛立ちが募っていく。

 まだ正式に婚約者として認められず、今日の舞踏会で新しいドレスをプレゼントしてくれるわけでもなく、ただ縋り付くようにして私の隣に立つセオドア様にイライラする。


 同じ歳くらいの令嬢がこちらを見てコソコソと話しているけれど、セオドア様が廃嫡されるっていう噂を聞いているのよ。

 ああいやだ、私まで平民身分になったみたいで気分が悪くなる。

 お父様とお母様は、先ほど辺境伯に捕まって何かを言われているみたいだけど、あちらも赤い顔をしたり青い顔をしたり、なんだかただ事じゃないって感じ。

 全てはお姉様が逃げ出したのが悪いのよ。

 お姉様が逃げ出さずに、大公の元へ嫁入りしていれば何の問題もなかったのに。

 どうして勝手な事をして私たちを困らせるのかしら。


「あ・・アグライア・・・」


 セオドア様はそう呟くと、掴んでいた私の手を振り払って、足早にブザンヴァル王国の大使が集まる方へと歩き出した。

 視線を向けて見れば、確かに、小太りの大使と笑顔で話をしているお姉さまの姿が目に入る。

 最高級と言われる青のベリル色のドレスを身に纏ったお姉様は、夜のような漆黒の黒髪と相まって夜空から海に差し込む月光の光のような、輝く存在となってその場に居た。


「あ・・アグライア・・アグライア・・・」

「お姉様!こんな所でお会いできるだなんて!」

 よろよろと進み出るセオドア様を押しのけながら、私は声高にお姉様を呼んだ。


「心配しましたのよ!一体今まで何処にいらっしゃったのですか!」


 どうやったら麗しく見えるのか、どうやったら儚げに見えるのか、こちらは研究し尽くしているのよ。

 涙を浮かべながらお姉様に取り縋るようにして前に進み出ると、後ろに控えていた仮面を付けた男が庇うようにお姉様の前へと進み出る。


 あら、背が高くって細く見えるようでいて筋肉質、鼻梁も高く、すっきりとした口元が麗しいじゃない。

「お願いです!お姉様とお話しさせてください!今まで離れ離れとなっていたのです!」

これ幸いと豊かな胸を押し付け、取りすがりながら涙目となって見上げると、アクアマリンの瞳がじっと私を見つめた事に気がついた。


 私、悲劇のヒロインになれているわよね?

 麗しい私に夢中になりそうでしょう?

 私の頬からこぼれ落ちる一粒の涙を見つめた仮面の男は冷たい瞳となって私を突き飛ばすと、前に出てきた王国の大使に一言、二言、何かを言い始めた。


「ネイディー!」

「ネイディー大丈夫?」


 尻餅をついた私に飛びつくようにして前に出てきたお父様とお母様は、私たちを見下ろすお姉様を驚いた様子で見上げると、

「アグライア!貴方がネイディを突き飛ばしたのね!」

お母様が怒りの声を上げながら立ち上がる。

 姉は扇を広げて口元を隠すと、

「これがウェルナー家の実情です」

と、隣に立つ大使に対して言葉を発した。


「なるほど、王国の血筋を随分と軽んじられたものですな」


 小太りの大使が呆れたように言うと、素早く立ち上がったお父様が焦った様子で言い出した。

「いやこれは!何かの間違いです!私たちは娘であるアグライアを愛しているし!可愛がっていました!」

「あら!伯爵令嬢である私を物置に押し込め、使用人同然で一切の給料も与えずに酷使し、新しいドレスの一枚すら買い与えず、唯一残された母の形見さえ、私が盗んだ物だと主張する、それが貴方たちの愛なのですね」


 お姉様の言葉に体をビクリと動かして、お父様はご自分の言葉を飲み込んだ。

 何をしているの?もっと言ってやればいいじゃない!


「そういえば、アグライア様のお母様の形見といえば、我が王家の姫であったアヌーク様のネックレスの事でしょうか?王家の秘宝とも言うべきバイオレットサファイアのネックレス、そこの令嬢が付けているのとまさしく同じように思うのですがね」

 大使の言葉に、私は思わず自分のネックレスを握りしめる。

 お父様が最後までお姉様に持たせていたネックレスは、婚約破棄の場で私が自分の物としたのだ。

 この菫色に輝く宝石は私の瞳と同じ色で、私の大好きなネックレス。


「ネイディは早くに祖母を亡くしたのでね、それを哀れに思ったアグライア嬢が妹にプレゼントをしたと聞いている」


 凛とした声が会場に響き渡ったように感じた。

 どうやら成り行きを見守っていた様子のエルンスト公太子が、爽やかな笑顔を浮かべながらこちらの方へと歩いてくる。


「こちらの令嬢は姉から貰ったプレゼントをそれは大事にしていたそうだ。だがしかし、ある日、宝石箱からプレゼントとして貰ったネックレスが無くなってしまったらしくてね。散々探した挙句に、アグライア嬢が付けているのを見て混乱したのだろうと思う」


悪戯っぽい笑みを浮かべながらエルンスト様は、まだ尻餅をついている私を助け起こすと、真っ青な顔で立ち尽くしているセオドア様などまるっきり無視をして、くるりと回れ右をすると、お姉様の前へ恭しく跪いた。


「美しくなったアグライア、私は君の事を散々探していたんだよ?あの時はほんの冗談のつもりだったのだ。セオドア卿との婚約が破棄されたのだから、今度こそ私が君に結婚を申し込もうと考えていたというのに、君は突然いなくなってしまった」


 お姉さまの手を取ったエルンスト様は瞳に涙すら浮かべている。


「君と結婚するために私も婚約を破棄して今は自由なんだ。アグライア、どうか、どうか私と結婚してこの公国を導いて欲しい」

 キョトンとしたお姉様は、呆れ返った様子で周りを一周見回していた。


 確かに、お姉様はこの舞台で婚約者であるセオドア様から婚約破棄を宣言されたはずだった。エルンスト公太子の余興として使われたのは間違いなく、頭からワインをかぶったお姉様は、皆から嘲笑を受けながら逃げ出して行ったのだ。


 それがほんの冗談のつもりだった?

 エルンスト様がお姉様を自分の伴侶にするためにわざと取った行動だった?

 あの時はお姉様を虐げているようにしか見えなかったけれど、それは歪んだ愛情の現れだったのか?


 求婚するエルンスト様を呆然と眺めていた貴族たちが、二人を祝福するために拍手を鳴らし始める。その温かい拍手を受けて、お姉さまの顔がさっと青ざめた事に気がついた。


 エルンスト様はお姉様を愛していない、それは確かな事よ。

 だけど、王国の大使が来ている今、王国の尊き血を引くお姉様を蔑ろにする訳にはいかない。


「お姉様!今までネックレスを貸してくださりありがとうございました!もう私にはネックレスはいりません!お姉様がいればそれで幸せなのですもの!」


 ネックレスを素早く外した私は、瞳に涙を浮かべながらお姉様の前へネックレスを差し出した。

「今まで色々とあったかもしれないですけれど、私はお姉様を愛しているんです!」

 一人で出遅れたお姉様の元婚約者であるセオドア様が、口をはくはくと動かしている姿が見えた。それにしても、セオドア様ってグズでノロマだわ。

 エルンスト様の頭の回転の速さったらどう?素晴らしいじゃない!

 これでお姉様はエルンスト様と結婚、私は衆人環視の中でお姉様と和解。

 後は、王国の大使さえ帰してしまえば、お姉様についてはいかようにでも出来る。


 より一層拍手が大きくなり、羨望に満ちた瞳で皆がお姉様の答えを待っている。

 お父様がこの場から逃げ出そうとしているけれど、逃げ出す必要なんかないと目で合図する。お母様の鬼のような顔は、これはもうどうにも出来ないわね。

 さあ、お姉様、イエスと言って。ネックレスを受け取って、全てを許すと言って頂戴。

 困り果てた様子で視線を彷徨わせたお姉様が、口を開こうとしたその時に、真っ赤な何かが私の顔へ浴びせられたのだった。

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