第7話

 今は鳳凰風といって、南方から東に向けて強い風が吹く季節という事もあり、船は滑るように海を進み、ホーエンベルグ公国からブザンヴァル王国への移動には、最低でも七日の航海が必要なところを、僅か三日の航海で移動する事が出来る。


 ホーエンベルグ公国というのは、百年ほど前にブザンヴァル王国から独立した国であり、百年ちょっとという程度の歴史しかない。

 先代公主はそれなりにやり手ではあったのだが、現公主は凡庸そのものといったところ。大舞踏会の場で友人の為とはいえ、貴族令嬢を冤罪で陥れる次期公主も性質が悪いのは目に見えている。


 どう上に報告するべきかと頭を捻りながら僕は自分の船室に篭っていたのだが、令嬢を任せていた部下のウルスラがやってきて、

「早急に対応いただきたい事がございます」

彼女にしては珍しいことを言い出した。


 ウルスラは元は暗部の人間で、感情というものを表に出さないように幼少の頃から訓練を受けている。その彼女の顔には『うっとりとするような歓喜』を必死に抑えつけようとしても抑え付けられない、激しい情動の動きがあった。


「何?いったいどうしたの?」

「実は・・それが・・あの・・・」


 動揺を隠せない様子のウルスラは、困り果てた様子で視線を左右に揺らすと、

「お忙しいところ申し訳ありません!どうしても早急にお話ししたい事がありますの!」

と、後ろから顔を覗かせたアグライア嬢が必死な様子で言い出した。


「船が到着する前に、どうしても!どうしてもお伝えしなければならない事があるのですわ!」

 この令嬢は、唾を吐き捨てるわ、舌打ちするわ、貧乏ゆすりをするわ、とにかく昨夜は令嬢らしからぬ様子が多く見られていたのだが、今日はそれほど・・・いや、やっぱり酷いな。


 ウルスラを押しのけるようにして許可を出していないのにも関わらず部屋の中へと入ってくると、ひと払いを願い出て、

「あの・・信じられないかもしれないですけれど・・・私・・・前世の記憶があるのです!」

と、意味不明なことを言い出したのだった。


 この商船は僕の持ち物なので、高級家具を取り揃えた僕専用の船室があり、航海中には客の接待に使う事も多い為、四段ベッドでぎゅうぎゅう詰めにされながら寝ている船員たちが使う船室と比べれば、5倍の広さを確保している。


 意味不明な令嬢ではあるが、素性だけはしっかりとしているのを知っているので、ソファに座らせて、僕自ら紅茶を淹れて置いてあげると、紅茶には目を向けもしないで令嬢は持ってきた羊皮紙をテーブルの上に広げて見せた。


「君は・・・人殺しか何かなのか?」


 僕が人体の皮という皮を引き剥がした、グロテスクな絵図が記された羊皮紙を手に取ってうめく様に言うと、

「それを言われると思いましたので、あえて、前世持ちだという事を告白させて頂いたのです」

アグライア嬢はピンと背中を張って、僕の方へ菫色の瞳を向けた。


「貴方様が商人だという事をお聞きしているので、私、自分のことをプレゼン致しまして、貴方様をスポンサーとしてゲットしたいと考えておりますの」

「はあ・・・」

「それで、まずは私の自己紹介から始めさせていただきます。私はウェルナー伯爵家が長女、アグライア・ウェルナーと申します。昨夜、王家主催の舞踏会で衆人環視の前で、婚約者に婚約破棄を宣言され、頭からワインをかけ回された時に、前世の記憶を思い出したのです」


 令嬢は咳払いを一つ、コホンとした。


「よくある物語ですと、妹を虐待した罪で婚約破棄された悪役令嬢、つまりは私という事になりますが、隣国の王子や帝国の皇子にその後、求婚されて、婚約破棄をした野郎どもをギャフン!と言わせる事になるのですが、残念ながら私の前に都合よく現れた貴方様は商人だという事。つまりは『ざまあ系』の展開ではなく別の展開、考えるに、前世の記憶を使ってチート発揮!異世界でも前職活かして楽しく生活しちゃうぜ!ハッピー!的な展開になるのだと思うのです」


 もう、この時点で令嬢が何を言っているのか良くわからないんだけど。


「そうなりますと、私は生前『柔道整復師』と『カイロプラクティック」と『マッサージ師』の資格を取っていましたので、これを活用して、ハッピー生活を送らなければならないわけですね』


「はあ・・・」


「つまりは、スポンサーをつけて自分の店を持ち、その店の近辺で道端に倒れている美形の男子を助け出し、傷を直して栄養状態を改善させてから後は店で働かせ、二人の間の仄かな甘い思いが恋愛感情へと発展していくわけです。この倒れているイケメンはおそらく冒険者か何か。きっと魔物の素材なんかを私に貢いでくれる事でしょう」


 冒険者ってなに?魔物って物語の世界の生き物なんだけど。


「そんな訳で、イケメンを拾って極上ハッピーエンドとなる為には、まずは自分の店というものを持たなければなりません。一応、前世では高齢者向けのリハビリデイサービス含め、3店舗を経営していた実績がありますので、ここで、我が店舗の独自性、集客の見込み理由、今後の発展についてもご説明したく思いますので、まずは一枚目を手にお取りください」


 1枚目には、人間の体から皮という皮を剥いだ状態の詳細な図案が記されており、これは御令嬢が実際に殺して皮を剥いだとか、そういう事ではなく、前世の・・こことは違う世界では、常識的に知られている人体の構造なのだという。


 人体の構造から始まり、移動先であるブザンヴァル王国の、隣国ラテニアを併合してから問題となっている戦争で負傷した元兵士の雇用問題などについても語られた。


「早期のリハビリ治療によってその後の日常生活に問題がなくなり、就職先を見つけるハンデが小さくなるという利点も出てきます。また、今の世界ではリハビリテーションに対しての知識と技術が皆無ですので、これを普及する事によって、雇用の拡大にも繋がるかと思います」


 リハビリの前に、まずは硬直した筋肉を解すためのマッサージが有用であるという事で、ソファに寝転がらされた僕は『マッサージ』なるものを実地体験する事になったのだが、

「ダーフィトさん、以前は相当体を鍛えられていたのではないですか?」

ぐいぐいと背中を押しながら話しかけてくる言葉が半分くらいしか耳に入ってこない。


「筋肉質な方が長時間、同じ姿勢で書類仕事をされると、他人より大きい筋肉が硬直して、背中から首にかけての筋肉の凝りが酷くなり、鉄板のように硬くなるのです。うーん、これは一回、二回ではほぐしきれない凝り具合ですわね」

と、言いながらグイグイ押される力が絶妙で、

「背骨はまっすぐなのですが、以前右肩に怪我をした事がございますね?肩と首の骨の歪みがあるので整えます」

と言われて、首がグキッとなる。

「頭髪を気にされる殿方は多いと思うのですが、毛根を減らさないためには、やはり血流を良くする事が一番なのだと研究でも発表されているのです。今は頭のマッサージをしていますが、ヘッドスパなるものも有用です」

 何それ、その『頭部マッサージ』に『ヘッドスパ』貴族の男どもがよだれを垂らしながら大金を積みまくるに決まってんじゃん。


「今はソファで施行していますが、ソファでもベッドでも、下が柔らかすぎるのが欠点なのですよね。私としては、顔の部分には丸い穴が空いていて、うつ伏せとなっても息をするのが困難にならない、マッサージベッドなるものが欲しいなと考えているんですけれど」

「作ろう!マッサージベッド作ろう!」

「私の店も・・」

「作ろう!貴女の店は僕が出資する!」


 全てのマッサージとやらが終わり、僕が思わず令嬢の手を握りしめて宣言すると、部屋に飛び込んできたウルスラが、

「顔もあるんです!」

と、言い出した。


「私はアグライヤ様に『フェイシャルマッサージ』なるものをして頂いたのですが、国のトップをも唸らせる技術です!絶対にお金になります!」

ふんす〜と鼻を鳴らすウルスラの顔は、よくよく見ると、肌艶がよく、いつも顔色が良くない頬までうっすらと紅潮している。

「顔・・マッサージ・・女性の美容に・・・毛髪ケア・・・」

 金がうねる音が聞こえてくるようだ。

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