第2話
起業するのに初期投資としてお金がかかるっていうのは、あっちの世界でもこっちの世界でも同じ事なのよ。
この世界ではメジャーではない『マッサージ屋』を開業するのに、もっと安い店舗を探しても良かったんじゃないの?とも思うけど、メジャーじゃないジャンルだけに、立地条件の良い場所で開業して、認知度をまずはあげるところからスタートしなくちゃいけないところが痛かった。
これが借金まみれとなる、まずは第一歩ということになるのかも。
それとも、道ゆく孤児の多さに驚いちゃって、教会の庇護からあぶれた子供達を回収したのが借金まみれとなる第一歩だったのか。
違う違う違う、借金まみれとなる極めつけの第一歩は、ブザンヴァル王国の隣国となるホーエンベルグ公国の大舞踏会から始まったのよ。
「アグライア・ウェルナー伯爵令嬢、貴女との婚約はここに破棄する事を宣言する!」
ホーエンベルグ公国はバシウス大陸の南方に位置するペリリュー海に面した国であり、ホーエンベルグ公家が統治をして百年という、まだまだ歴史も浅い国となる。
年に3回行われる公家主催の大舞踏会で、婚約破棄を宣言したのはアルテンブルグ侯爵家の嫡男セオドアで、セオドア様に腰を抱かれるようにして隣に立つのは、私の異母妹となるネイディだった。
私の母が八歳の時に亡くなると、父は後妻としてマグダと娘のネイディを連れてきた。ネイディが私の生家であるウェルナー伯爵家の特徴ともいえる菫色の瞳を持っている事からも分かる通り、父は母が生前の頃からマグダを愛妾として囲っていたのだろう。
そのネイディが私の婚約者の隣で、嘲笑うようにして私を見ている。
「お前は妹であるネイディの大切なものを奪い続けて、迫害するように周りから人を遠ざけた!どれだけネイディが傷ついたのか、心卑しいお前には分からないだろう!」
私の目の前まで悠然と歩いてきたセオドア様は真っ赤なワインを私の頭から浴びせるようにかけながら、
「腐った豚はアルコールで浸しても、汚臭は消えずにいつまでも残っているのだな」
と言い出すと、周りの貴族がさも可笑しそうにドッと笑い出す。
セオドア様の斜め後ろでは、悠然と舞台を眺めるような様子でエルンスト公太子が座っているため、公太子公認の見せ物が始まったと皆が瞳を輝かせた。
「お姉様!お姉様がお持ちのネックレスは、私のおばあさまの形見ですのよ!今すぐに返してください!」
首元を飾るパープルサファイアのネックレスは、私の手元に残った唯一の母の形見だった。瞳の色と同じネックレスであり、祖母から代々引き継がれたものである。
時代遅れの着古したドレスの私と、最新の流行を取り入れた華やかなドレスを着る異母妹。どちらが何を奪ったか等という事は、誰が言わなくても分かる状態で、私が唯一身につける高価な宝飾品を返してくれと言い出したネイディを見て、眉を顰めてその場から離れる貴族もそれなりの数は居るように見えた。
「なんと、伝統ある大舞踏会に盗人が参加しているとは思わなかったなぁ」
エルンスト公太子が言い出したので、私はネックレスを外して、ネイディに渡すのはあまりにも癪に触るので、婚約破棄をぶちかましたセオドアの手の中にネックレスを押し込むと、そのままクルリと回れ右をして、出口に向かって走り出した。
「なんとも恥ずかしい」
「とても見ていられない」
「淑女としてありえないわ」
嘲笑まじりの言葉を背中に聞きながら、とにかく、哀れっぽく装いながら外へと向かう。
虐められる奴はより哀れな方が、すぐさま叩き潰すような手は出しづらくなる。
「アグライア!貴様!」
義理母の侮蔑と嘲笑の顔がよく見えた。
父の怒りの声なんか、気にしない、気にしない。
ワインを頭からかぶった時に、思い出したのよ。
私、この世界に生まれる前は、日本っていう国で生活していたわぁって。
だけど、今いる世界があの物語の世界でー〜―、なんて事は、全く思いつかなかった。
乙女ゲームとか小説とか、漫画とか、そういう中のストーリーの中に転生しちゃったみたい〜ー、なんてことを衝撃的に思い出したわけでもないの。
ただ、純粋に思い出したわけ。前世のことを。そうして思ったわけ。
「この展開!のんびりしていたら衛兵に捕まって!地下牢に入れられて!冤罪をきせられて良くて国外追放!悪くて死罪で首チョンパって事になりそうなやつじゃない!」
公主も公妃も外交で他国に出ているため、今行われている大舞踏会はエルンスト公太子主催のものとなる。つまりは親の居ぬ間に存分に勝手放題できるわけで、公太子の親友であるセオドア様は、祖父の代から交わされている婚約だってあっさりと破棄する事ができるのだ。
更にはネックレスを盗んだ罪人という事で私を自由に処分することだって出来る。
「お・・お嬢様!一体どうなさったんですか!」
御者が驚きの声をあげたけど、気にしている場合じゃないわ!
「とにかく!急いで出して頂戴!」
この御者はワインでずぶ濡れの私の慌て具合を察して、すぐさま馬車を出してくれた。
王宮から馬車で15分ほどの距離にある伯爵邸の裏門からこっそりと入った私はランドリー室に飛び込み、籠に突っ込んであった誰の物かもわからないメイド服に着替え、井戸に行って、頭から水をザバザバかけていると、
「お・・お・・お嬢様!一体どうなさったんですか!」
庭師のベンが、びっくりした様子で声をかけてきた。
「ああーー、ベン、丁度良い時に来てくれたわー〜―」
誰が使ったのかも良くわからないタオルで髪の毛を拭きながら、
「セオドア様に舞踏会で婚約破棄を宣言されたのよ。このままでいったら、殺されるか、庭に埋められるか、六十歳近くの好色ヒヒジジイのところに売られるかされるから、私はここから出ていく事にしたのよー〜」
と言うと、庭師のベンは顔をさっと青ざめさせた。
「だ・・だ・・旦那様は・・・」
「次のセオドア様の婚約者はネイディなのですって。お父様は私の事を『貴様!』みたいに言っていたから、次こそ本気で殺しにかかってくるかもね」
「それでは、お嬢様は辺境伯の元へ身を寄せた方がいいのでは?」
辺境伯とはお母様の実家の事なんだけど、
「私が窮状をいくら手紙で訴えても、返事の一つも来たことがないんだから、没交渉って事でしょうよ」
と言って、芝生に唾をペッと吐いた。
「まあ、そんな訳で、ベンには本当に申し訳ないんだけど、お金貸してくれない?」
私の言葉に、中肉中背で壮年を通り越した庭師のベンは、あわあわあわ、みたいな感じで何も言えなくなったんだけど、
「お金なら僕が貸しましょうか?」
いつの間にか、ベンの後ろからやってきたと思われる男が、にこやかに笑みを浮かべながら、
「利子は安めに設定してあげますよ?」
と、言い出したのだった。
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