硝海
ガラスの砂漠を歩く。きしきしと音をたてる。
久居から論泥に陸路で向かうなら砂漠を横切るルートが最適だ。
ただしたったひとつ絶対に守らなければならないことがあって、それは必ず昼間ではなく夜中に横断しなければならないということである。
日中に硝海に足を踏み入れるのは自殺者だけだ。彼らはまず光によって目を焼かれる。それから熱によって全身が炭へと変わる。
じっくりと長い時間をかけて。
つまり自殺するにもあまりお勧めの場所とは言えない。長く苦しむ。何か事情があって自分を徹底的に痛めつけたいのなら最適かもしれない。
夜の間に通りすぎる場合、装備をきちんと整えてさえいれば、他の道を歩くよりかえって安全だ。
現時点では硝海を住処とするような生物の存在は確認されていない。
世界にはずいぶんと奇怪な生き物がいるものだが、さすがにその場所には適応できなかった。あまりにも過酷すぎたのだ。
もちろん目に見えない微小なやからが暮らしている可能性は残っている。けれどもそれは尋常の旅人の気にするところではない。
あのどこにでも現れるやつら、野犬たち、あいつらの心配をしなくていいのはどれほど心休まることか!
人間は酔狂な生き物だ。そんな一切の生者を排除された世界へ自ら入っていく。
竜胆竜正は東冷厳岬に奇襲を仕掛けるべく、およそ300の手勢を引き連れ硝海横断を計画する。
正確な記録は残っていないがずっと昔からガラスの砂漠を通行する人間はいたらしい。あくまでそれは非公式なもので安全なルートは決して確立してはいなかった。
だからこそ奇襲になりえる。事実その時、東冷厳側は戦力を比見口に集中させており、硝海への注意を払っていなかった。
成功すれば東冷厳に対して痛烈な一撃を与えられるという点について異論を差し挟むものはいなかったろう。けれどもあまりに危険すぎると反対の声があがった。
中でも竜胆の七剣が筆頭、常渡貞による抵抗はすさまじいものであったという。竜正は貞を説得しきれず、最終的にその首を会議の場で引きちぎって決着とした。
計画は実行に移された。
竜正は硝海横断に成功した。が、その兵の9割以上を損失し、奇襲は失敗に終わった。すぐれた個人には達成できたとしても、集団がぶっつけ本番で渡りきれるものではなかったのだ。
この敗戦が竜胆衰退の一因となり、美鹿倉地方のパワーバランスを大きく変化させていくことになる。
現在では竜胆も東冷厳も残っていない。しかし硝海周辺地域において竜正の名は無謀な挑戦者の代名詞として今もなお語り継がれている。
竜正は真に無謀だったのだろうか。
確かに成功率の低い作戦であった。けれども現代的な視点から見れば同じようにハイリスクな戦いに挑んだ武将たちは数多くいる。
天才とそうでないものを分けるのは分の悪い賭けに運よく勝ったか負けたかそれだけだ。
あるいは我々には感知できていない情報を天才というやつらは獲得しているとも考えられる。その正体はあまりに些細で無視されてきたものなのかもしれないし、運気のようなオカルトなものなのかもしれない。
巨人たちが暴れまわったせいで天界は砕けて落ちた。
『旧世録』の真ん中あたりに載っている有名な話だ。その落下地点が硝海であるという説がある。
辛うじて生き残った跳兎たちはその場所から3日の間さまよい歩いて寄与種川に出くわす。その川筋を遡って織山を越え、開けた土地をさらに歩くこと10日、安住の地を見つけた。
その安住の地が廃都であると仮定した場合、落下した場所が硝海であるというのはおおよそつじつまがあっている。今も残るガラスは砕け散った天界の欠片というわけだ。
そもそもそれは神話であって真剣に検討するようなことじゃない、と言われればその通りではある。
けれどもその話のもととなった何らかの事件があった可能性はあって、それがどのようなものであったのかは非常に興味深い。手がかりは硝海の奥底に眠っている。
掘り返してみれば考古学的発見があるかもしれないが、あと2つか3つ技術跳躍が発生しなければそれは不可能だろう。遠い未来に期待する。
硝海が天界の落ちた場所ならそこに冥界への門があるのは必然の帰結だ。
力を失った神々は眠り沈んで地の底にたどり着き死者たちの世界を形作った。
いくつかの宗教団体は冥界の門が硝海に存在すると公式に認めている。その中でもっとも積極的に活動を行っているのは光輝く七色の会だ。
七色会は門探索のため年に1回、硝海へと調査隊を送り込んでいる。強度の電磁信号を受信した、未知物質の断片を取得したとの発表はあるが、誰もそれらを検証していない。
調査隊は基本的に全滅する。それに対する批判の声はあるが、七色会は彼らは自ら志願したのであり何の問題もないと、探索を継続している。
稀に無事帰還するものがあって彼らは教団内にて非常に高い地位を得ることになる。現在の最高責任者である耀玄道剣式氏も過去に10日間に及ぶ硝海探索から帰ってきた、とされている。
耀玄道氏は盲目でありまたその右腕は黒く変色する。教団見解では硝海長期滞在が原因とのこと。また可視光のかわりに彼方の光線を知覚できると言っているがそれがなんであるかは不明。
踏みしめる大地にはたくさんの人と神が眠る。きしきしと音をたてる。
掌編小説集 緑窓六角祭 @checkup
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
近況ノート
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます