番号喪失
仕事に出かけようと玄関を出たところで僕は郵便受けにはがきが1枚入っていることに気づいた。珍しいこともあるものだと取り出してみるとそこにはたった一文だけ明朝体でくっきりと印刷されていた。
あなたの番号は無効になりました。
どこかのだれかのイタズラだろうかと裏返してみるとそこには市役所の文字があって、しかしそれだけで信用するわけにもいかず、一度問い合わせてみようと端末を取り出した。
あなたの番号は無効になりました。
電源を入れたところで画面に浮かび上がったのは先とまったく同じ文言で、どうしてそうなったのか原因はわからないが自分の番号が喪失したのは確かな事実らしかった。
これは早急にどうにかしなくちゃいけないな、ひとまず会社に連絡を入れておこうと、端末に触ったところで――
あなたの番号は無効になりました。
チェッとひとつ舌打ちしてからポケットの奥底に乱暴にしまい込む。それから深く息を吐きだすと僕は歩き出すことにした。
といってもどこに行けばいいものやら行先ははっきりしない。会社に行くか、それより先に番号を元に戻す方が先だ。無断欠勤になるが仕方がない、緊急事態というやつだ。
番号を再び有効にするにはどうするのか? 無効になったと言ってきたのが市役所なのだから市役所に行けばいいだろう。市役所に行くには電車に乗るのが手っ取り早い。
くるりと足を駅に向けたところで僕は立ち止まった。しかし端末が使えないなら電車に乗ることもできないじゃないか!
歩いてあそこまでいけというのか、考えただけでうんざりしてきた。現代人は歩いてどこかに移動するのに向いてないのである。
目的のはっきりしないまま駅に向かって歩きながら僕は考えた。
だいたい市役所にたどり着いたところでなんとかなるのかわからない。持ってきたハガキを見返すも番号復帰手続きとかそんなことは何も書いてないのだ。
市役所に入れてもらえるのかどうか、僕には番号がないのに。例えばこんなハガキ1枚が何の証明になるんだろう? きっと門前払いをくらうのがオチだ。
だんだん足取りが重くなっていく。街には自分と同じように歩いている人がたくさんいる。けれども彼らはみんな自分とは違う。
ちゃんと有効な番号を持っていて、目的があって行く先が決まっている。番号もないし、目的も見つからない、どこに行けばいいのかわからない自分とは違うのだ。
いやもしかするとこのたくさんの人の中には自分と同じ人もいるのかもしれない。番号を持ってるふりをして何かやるべきことがあるような面をしてるやつ。
前を歩いているスーツをきっちり着込んだ中年男性なんてどうだろう。足取りは軽いが彼は別段どこに向かっているわけでもないのだ。ただ歩いているだけ、背景といっしょ。
そうだ、公園に行こう!
動いていれば人間、何かしら思いつく。公園だ、公園に行けば何とかなるはずだ。
公園とはつまり――なんなんだろう? 自由空間とでも言えばいいのか、番号の使い道が特にない場所で、番号を持つものも持たないものも雑多に混じり合う場所だ。
さいわいなことに5分も歩かずすむところに大きめの公園があって、そこにはいつもどおりにだだっ広い空間にぽつんぽつんと暇そうにしてる人たちがいた。そしてまた僕も公園に入ってそのうちの1人になった。
ベンチに座って空を流れる雲を眺めている老人がいる。その白い髭は整えられておらず伸び放題で、まるで仙人みたいだ。何かがぴんと来たので僕はその隣に座った。
挨拶をすると仙人はもにょもにょと低い声でつぶやく。僕は単刀直入に切り出すことにした。
「番号が無効になったのですがどうすればいいですか」
「公園で暮らせ」
「そうではなくて番号が無効になったのは何かの手違いなので元に戻したいのです」
「せっかくなくしたのに酔狂なやつだな。市役所に行って手続きしろ」
「市役所に行くにも入るにも番号がないといけません」
「それなら偽造するしかない」
「どこで偽造できますか」
声をひそめて仙人に尋ねる。その時になってはじめて仙人は僕の顔を見た。そうしてゆっくりと頭のてっぺんから足の先まで不躾にみわたすと、一人で勝手におおきくうなずいた。
「お前、犬と猫、どちらが好きだ」
「……犬ですけど」
「川の上流から何か流れてきた、いったいなんだ」
「えっと、桃?」
「血液型は」
「A型です。いったい何の質問なんですか、これ」
「気にするな、もう終わった」
仙人はベンチ横に置いていた紙袋を引っ張ってくる。その中身をじゃらじゃらとかき回すと、1枚のカードをとり出し僕に手渡した。
小さなカードには16桁の数字の羅列が刻印されていた。仙人の方はと言えば話は終わったとばかりに、僕を見るのをやめてまた空に視線を移している。
もしかしてこれが偽造番号なのだろうか。いやしかしこんな簡単に手に入れられるものじゃないような気がする。もっと複雑な手順を踏んで場合によってはなんらかの代償を支払わなければならないような。
けれども仙人に何かを聞いたところでこれ以上何も教えてはくれないこともわかっていた。多分すでに僕と彼とは完全に無関係な間柄になっている。
端末をとり出して番号を入力してみた。有効な番号が確認されました、そんな文字が浮かび上がってあっさりと端末は起動する。これでいいのだがなんだかひどく拍子抜けだった。
電車に乗れば市役所にはすぐ到着する。市役所に入るにはやはり番号が必要だったが問題なく通過できた。けれども入ったところで番号有効化の手続きをどこでやればいいのかわからなかった。
しょうがないので受付の人に尋ねたところそんな手続きはないと言われた。あなたはもう有効な番号を持ってるのだからそんなものは必要ないじゃありませんか。
端末にメッセージが届く。なんだかうまく状況を飲み込めないまま、また電車に乗って今度は会社に向かった。知らない会社。知らない同僚が僕にやあ今日は遅かったじゃないかと言ってくる。
デスクについて僕は仕事を始める。何をすればいいのかはだいたいわかったから。
仕事をしながら仕事が終わった後のことを考えた。僕はきっと知らない家に帰るのだろう。そこには知らない家族が待っているかもしれない。
あるいはもう僕は僕のこともよく知らない。
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