耳の蛇

 つばをのみこむたびに耳の奥のあたり、鼓膜のつけ根のようなところ、そこがきゅんと痛むようになった。

 気になりはしたもののつばをのまなければ痛みはなく、またのんだところでたいした痛みではないのでほっといていた。

 ところが今日の朝めざめたところなんとなく今度はそのことばかりでわすれることができなくなってしまった。

 別段そこに明確な理由というものはなく、なんとなくだからこそ始末が負えない、理屈が通じない。

 むりやりに論理をこじつけてやろうとすれば、それは血圧がどうのこうのホルモンがあれこれということだったのかもしれなかった。

 とりあえずそんなことはやはりどうでもいい。

 たいせつなのはなんらかによって痛みが生じるということで、どうしてもそれを無視することができなくなったということだ。

 そしてさらにいえば一度そいつを意識してしまったならば最後わたしはそいつとかかわらずにはいられない、そういう性分だった。

 えいやとばかりに耳かきをつっこんでやれば、一発でなんらかやわらかな感触があって、なんなくひきずりだせたようだった。

 小さな蛇が一匹、木のへらにからみついていた。

 綺麗な緑色の皮膚をしていて、針の先でついたような真っ赤な瞳も爛々と輝く、それはたしかに生きていた。

「いったいお前はどういうつもりでわたしの耳の中にいたのですか?」

 独り言はわたしの癖である。

 であるからしてわたしはわけのわからない動物に話しかける精神構造の持ち主だとは誤解しないでいただきたい。

 そういうわけでつづく展開に対して一番おどろいたのはだれだったかというとまさにその当事者たるわたしだった。

「てめえこそ何様のつもりだよ。せっかくこっちがぐっすり休んでるところを、ねぐらからひっぱりだしやがって」

 わたしたちが普段どういう仕組みでもってその言葉をはなったのは誰だか判断しているのかわたしはよく知らない。

 たぶんはふたつ耳がついている、それによってどこから声がやってくるかおおよその見当をつけているのだと思う。

 それと視覚的な情報、口が動いているとかいないとか、あとは声の質感なんかも関係してくるのかもしれない。

 そのような操作は日常的に意識して行われるものではなしに無意識に知らずのうちに行われているものである。

 ゆえにどういうわけだか説明することはできないけれども、わたしにはその言葉を吐いたのが目の前の小さな蛇だとわかった。

 正確にはわかったというような意志的な動作ではなく、考える間もなくそう自然と思ってしまったというのが正しい。

 とにかく小さな蛇はちろちろと細長い舌をくねらせながら甲高いささやきを真紅の披裂からこぼしていた。

 けれどもわたしにはその言葉がすぐに理解できなくなってしまった。

 なぜならばわたしの考えの上では蛇はしゃべりはしないものだから。

 だとしたらたとえその存在がまったく丁寧なイントネーションで語りだしたとしても、わたしの脳には言葉として受信されない。

 小枝にからみついた蛇、のようなもの、は、きーきーとむやみやたらに、思慮のない動物らしく、なきわめく。

 指先でわたしはそのミニマムな爬虫類をつまみあげると、なぜそうしたのかはよくわからないけれど、力をこめた。

 ぐちゅりというような音も立てずにそのいきものはつぶれてしまう。

 その途端にわたしはやけにねむたくなってきて、まるで手足を動かすこともできないほどで、机につっぷしていった……。

 目覚めてからわたしはこれを書いているということになってくるのだけれども、寝ているうちに蛇の死体はなくなっていた。

 体液も匂いすらも、まったく消えうせていて、それが現実としてあったのだという証拠はなにひとつとしてない。

 耳の奥の痛みももうない。

 そうしてまったく不明なことにわたしはなにか大切なものをなくしたみたいな気持ちがしてたまらない不安に今、襲われている。

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