空のこと
たぶんかれは飛びたかったんだと思う。
蓮見空はその名前どおりにいつも空をみつめていた。
かれがなにを考えていたのかだれも知らなかった。
かれがなにを考えていたのかだれも知ろうとはしなかった。
もちろんわたしもふくめて。
かれはなにかを得ることをきらっていた。
そうしておいてかれはなにかをすてることをこのんでいた。
それらふたつをくりかえしていけば、かれの持ち物はしぜんすくなくなってゆく。
事実かれはその周囲にいるひとびとにくらべて、極端にものというものを持ってはいなかった。
物質的にしろ、非物質的にしろ。
できるかぎりからだを軽くしておきたかったのだろう。
あのまったくなにもない空へゆくために、邪魔なものはすてさってしまわなければならないから。
その後、かれの父親と母親が学校に対していじめの事実を問いただしたというような話を聞いた。
それはつまりかれについて両親さえも理解してはいなかったということだった。
わたしもかれを十分にとらえれているとは言えないだろう、ただそんな気になっているだけの話にすぎない。
遺書はなかったらしい。
あたりまえだ、空を飛ぶために言葉というのはあまりに重すぎる。
そいつにかかわっていては身にまとわりついてきて動けなくなってしまう。
両足そろえて、屋上には、一足の靴が置いてあった。
まるでかざりけのないスニーカーだった。
何人かの人間が、ガラスごしに、落ちてゆくかれのすがたをながめている。
たしかに当然の物理法則にしたがえば自然落下するのが道理というものだった。
ここのコンクリートのところにくぼみがあるだろう、へこんでるだろう、ここにぶつかったって話だぜ。
そんなことをいう輩もいる。見てきたように語っている。
わたしにとって、かれはまったくとうとつにいなくなってしまった。
その最後といわれる姿をわたしは目にすることはできなかった。
わらっていたのだろうか、それともその顔はくるしみにゆがんでいたのか。
誰もが口をそろえてそんなことは知らないと答える。
それからなにかいやそうな顔をする。
蓮見空は人間にしてその肉体のまま飛びだすことに成功した。
おそらく、きっと、たぶん。
かれのことをわすれてしまうまで、わたしはそう思いこむことにすることにした。
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