二枚目



 車は湾岸沿いのカーブを、軽快に駆け抜けていきます。

 運転は先生、助手席は私。後部座席には野木さん。

 この一帯は岩壁が多く、海面に映る紅葉や竹林で有名です。鍾乳洞もあちこちにあって、観光船で巡るツアーが人気だとか。

 ですが、車内の誰にも、風光明媚を楽しむ余裕はありません。

 先生です。先生の運転が原因なのです。

 この車は先生の母上からお借りしています。先生には不似合いな可愛い車(ピンクのフィアットです)ですが、他に車がないので仕方ありません。

 そして、強烈な芳香剤の香りが、先生の鼻を直撃するのも致し方ないのです。

「あの……ほんとに大丈夫ですか?」  

 野木さんが言うと同時に、またしてもくしゃみが爆発しました。

 左手でティッシュを取り、はなを拭う先生。私は片手で箱ティッシュを構えながら、使用済みのティッシュを回収する係です。ばっちいですが、丸めた鼻紙で車内が埋め尽くされるよりまだマシです。

「ご心配なく。いつものことです」

 先生以上に忙しく手を動かしながら、できるだけ平然と答えました。

 本当のところ、車の走行は安定しています。

 こう見えて先生の運転技術は一流です。蛇口全開の鼻水と戦いながら、普通にドライブできてるのがその証拠です。

 とはいえ、野木さんが不安がるのもわかります。「大丈夫?」の対象が先生か運転かは微妙ですが、探偵事務所が「大丈夫?」と思われるのは個人的に避けたいところです。

「野木さん。現場に着くまでに、事件前後の説明をお願いできますか」

「あ、はい。わかりました」

 依頼人は気を取り直し、事件について語り始めました。

「あれは台風が来る、ちょうど前の日でした。

 私と秋介は幼馴染で、以前から登下校は一緒にしていて。

 あの日も秋介と帰る途中、《幽霊小道》を通りがかったんです」

「《幽霊小道》?」

「工場跡と公団住宅の間を抜ける古い道です。

 不気味な場所なので、うちの学校ではそう呼ばれてます。

 街路樹に遮られて昼でもうす暗いし、夜はほとんど真っ暗です。

 駅には近道なんですが、人気ひとけがないし女性はまず使いません。

 私も秋介と一緒でなければ、絶対に行かなかったと思います」

「その《幽霊小道》には、以前にも二人で行かれたことが?」

「いえ、あれが初めてでした」

「それは奇妙ですね。彼に何か意図のあった様子は?」

「意図と言うか……えっと……

 《幽霊小道》は、その……カップルには定番の場所で……

 だから……、そういうことかなって……」

「あっ理解しました。もう説明不要です」

 これ以上はとても聞けません!

「《幽霊小道》は夕方でもすでに暗く、真夜中みたいでした。

 伸びすぎた枝が折り重なって、ドームみたいになってるんです。

 それになんか空気が変で、私は背中がぞくぞくしました。

 秋介には悪いけど、早くここを出たい……と思いました」

「秋介さんの様子はどうでした?」  

「ずっとしゃべりっぱなしで、上機嫌でした。

 でも、何となく緊張してたような気がします。

 だから私、やっぱり、そうなのかなって……」

「そこの推察は結構です! 事件についてお願いします」

「ええと……それで、道の半ばまで来たくらいの時です。

 秋介が不意に話を切って、前へ走り出したんです。

 私は、彼が何か見つけたのかと思いましたが、暗くて見えません。

 どうしたの?と私が呼ぶと、秋介は立ち止まり、振り返りました。

 その時です。

 アイツが……秋介が、闇の中に消えてしまったんです。

 代わりに、彼のいた場所に魔法陣が浮かびました。

 青い炎で描かれた円と文字が……それもすぐに消えて、何もなくなりました」

「彼とはどれくらい距離がありました?」

「はっきりとはわかりませんが、5メートルくらいです」

「彼はどんな顔をしていました?」

「よく見えませんでしたが、驚いていたと思います」 

「彼は消える瞬間、何か言いましたか?」 

「いえ、何も」

「それでは、彼が消えた後、どうされましたか?」 

「しばらくは茫然としていました。

 やがて魔法陣の光が消えてから、彼を探し始めました。

 最初は彼の名前を呼んで、でも返事がなくて。

 スマホの光を頼りに木陰や住宅の方も探しましたが、どこにもいなくて。

 どうしていいかわからず、秋介の両親に相談にいきました。

 最初は悪戯だと笑われましたが、翌日も秋介は帰ってきませんでした」

「ご両親と、警察に捜索願を出しに行ったのは、その二日後です。

 警察では私も色々聞かれました。新聞に載ったのはその時の話です。

 あれから、秋介の手がかりは何も見つかりません。

 本当に異世界に行ったなら……向こうで、探したいんです」

 最後は力なく、話を結ばれました。

 出来たてホヤホヤの彼氏を目の前で失くした気持ち、察するに余りあります。実現性はともかく「異世界に行きたい」と思われるのも納得です。

「先生はどう思われますか?」

 鼻が小康状態になったところで尋ねてみると、

「君はどう思う? ネピアくん」

 質問を質問で返されました。

「うーん。まず、誘拐の線は薄いと思います。

 その場で抵抗したり、大声を出したりできたはずですから」

「うんうん」

「でも自作自演だとすれば、戻らない理由がわかりません。

 それに人が消えたり魔法陣が出たりも謎です。まるで手品です。

 もし手品だとしても、下校中の秋介さんに仕込めたとは思えません」

「うんうん」

「なので狂言とも考えにくい。後は現場の状況を見て判断したいです」

「うんうん。ぼくもそう思ってた」

 相変わらず適当な返事です。

 その時、背後からくつくつと声が聞こえました。

「なんだかネピアさんの方が探偵みたい」

 バックミラーの野木さんが笑いを押し殺しています。理由はどうあれ、不安が解消されたようで何よりです。

 先生の名誉のため、私はあわてて言いました。

「私はただの助手です。

 先生のために情報を集めて整理するのが仕事ですから」

 ──特にうちの先生には、この仕事が不可欠なのです。

 ただ一つ、懸念があるとすれば、事件から半月が過ぎていること。

 その間に台風が来ています。蒸発トリックがもしあっても、現場に証拠が残されているとは、とても思えません。

「先生。もし手がかりが見つからなければ、どうしましょう?」

 依頼人の前ですべき話ではないですが、つい訊いてしまいました。

「どうって……本気で探すしかなくない? 

 異世界に行く方法を」

「………………」

 この事件、迷宮入りの予感です。

 

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