第3話 4

 渋谷区内、とある総合病院――


 自動ドアが開くと、スーツの女が部下とともに受付嬢に怒鳴り込んだ。


「娘は、シェリはどこ! どこなの!」


「あの、落ち着いてくださいッ!」


「名前は鳥海シェリ! いいから、教えてッ!」


「お母さん! こっち!」


 母親を呼んだのは、娘だった。母は廊下の娘に駆け寄って抱きしめた。


 力いっぱいに娘を抱いた。娘は呆気に取られた。


「よかった、よかった! 無事で、本当に……」


「おかあ、さん……?」


 力強い愛情と、ラベンダーの香水は小さい頃からの思い出だ。懐かしすぎて、目頭が熱くなる。家出した自分がバカなんだと、少女なりに反省し、母を抱きしめた。


 一人の男子高校生が近づくと、丁重に頭を下げた。


「お母さん、すみませんでした。娘さんを危険な目に遭わせてしまって。ここだと、あれでしょうから、上で――」


『お母さん、友達が銃で撃たれた。だから、今は病院にいるの』


 鳥海マリアは娘の鳥海シェリからの緊急電話で、全ての仕事をキャンセルして病院へと駆け付けた。部下の島野が所属歌手の無事を事務所本社へと連絡する。


 五階、廊下には一人の女子高生がソファーで泣き崩れていた。


「私が、私が行こうって言わなければ、台田は――」


 母は娘に聞く。「何があったの?」




 それは一時間前まで遡る――


 四人は日暮里のカラオケ店から代々木公園へと移り、野外ステージのベンチで座っていた川越に住む老夫婦への夢インタビューを終えたところだった。


 夫婦は銀婚式が過ぎ、これから先の人生をのんびり生きていくことが夢だった。


 台田勇気はうらやましそうに未来の妻へと語る。プロポーズしたものの、二人は十七歳で、結婚生活はまだまだ先だ。


「あーいう夫婦っていいよね。お互いにリスペクトし合って、長短所も認め合っている感じって。憧れるよな~、玉子さん」


「そーだね。勇気さんが浮気しなければ、リスペクトし合えるね~」


「ご心配なく。オモチキに浮気する度胸はございません!」


「だったらいいんだけどね~」


 と、妻は手厳しい反応だ。結婚生活ではだいぶ尻に敷かれる未来が親友には見える。


 ふと、少女は野外ステージを凝視していた。一週間後のライブへのイメージトレーニングだろうか、小声で口ずさんでいる。そんな様子を三人は愛しそう見守る。


「人前で歌うって、どんな気持ちなんだろう?」


 英郎が若い夫婦に答えを求める。「文化祭で歌ってみれば?」


「あー、イイね! ヒデロー、ワンマンショーで」


「学校の恥さらしだわ!」本人も自覚しているが、歌は得意ではない。


「でもさ」城田が少女の気持ちを汲む。「怖いよね。すっごく」


 男二人も同意する。「僕らにできることは、どんな結果が待っているにせよ、友達のままでいることだね。終わったら旅行でも行く? あの大金でさ」


「え、旅行?」大金とは、英郎が鳥海母娘から頂戴したバイト代だ。


「そうとも! だって、僕ら夫婦だし、新婚旅行で――ツツッ!」


 新妻に思い切り足を踏まれ、その拍子にメガネが地面に落ちる。


 苦悶する友達を気遣っていたときだ。


「カクゴオオオオッッッッ!」


 討ち入りの武士か、男の絶叫とともに銃弾が放たれる。


「ユーキイッ!」そして、一発の銃弾は友達の左わき腹にのめり込んだ。


 周囲は騒然となった。英朗が助けを求める。


「救急車! 救急車を! 誰か、誰かッ!」


 倒れる台田勇気に、流れる血に城田玉子は真っ青な表情のまま、悲鳴を上げた。


 撃った男は怖気づいてしまったのか、どこかへ逃走してしまった。


 そして、四人は救急車に乗り、病院へと至る――。




「――今朝、西新井で事件が起きた。根山巡査部長の家で、根山さんと奥さんが銃で撃たれて見つかった。息子の礼司が犯人だと思われる。何か知らないか?」


 病院の会議室にて、ベテラン刑事、岩本の問いを憔悴しきった同級生に代わって、長崎英郎が答えていた。「中学の同級生です。頭がよくてみんなから好かれていました」


「じゃあ、高校は知っているか?」


「あ、はい。ロリコー、じゃなくて、グ・ローリー高校です」


「うん、合っているな。君は信用できる。他に何か情報は?」


「えっと、あまり高校でうまくいってなかったようです。撃たれた台田が湘南の海で根山君の同級生に聞いたらしくて」


「ほ~、なるほど……学業か部活のストレスか。家庭事情はわかる?」


「いや、そこまでは……」


「わかった。ありがと」と、若手刑事の佐竹にアイコンタクトを送り、花柄ワンピースの少女に尋ねた。「えっと、あのAliceで、間違いない?」


 こくり、鳥海シェリは答えた。「いや~、ファンです」ゴツ!


「バカ野郎! 公私混同すんな!」岩本のげんこつが飛んだ。激痛のあまり、佐竹の目には涙が浮かんでいる。「す、すみません……」


 メモ帳より、根山の情報で気になる点があった。隣の鳥海マリアに訊く。


「実は、根山礼司の部屋から、Aliceのグッズが多数見つかっていまして、過去にイベントなど接点がなかったか、調べたいのですが、よろしいですか?」


 岩本よりも丁寧な対応で、マネージャーも腹を据えて事務所の担当部署に繋ぐ。


「あ、そうです」少年が思い出す。「根山君はAliceのファンで、何回か話しました」


「本当か?」


「あ、はい。ファンクラブに入っていたような気が」


 英郎の記憶通り、会員だった。


「ファンクラブの会員とその歌手が同じ現場にいたと……」


 長年の勘か、岩本は犯行の動機と疑問をつぶやく。「えっと、なぜ根山は代々木公園にいたのか が、謎だな。犯行動機は、お嬢ちゃんを殺すためか?」


 母親が反射的に抗議する。「刑事さん、言葉を選んでください! 娘が何をしたというのですか! ただ、歌を歌っていただけですよ!」


「あー、失敬失敬! 佐竹、頼む」と、若手刑事に母親への対応を任せた。


「なんで殺すんですか?」少年は素朴な疑問をぶつけた。「それがわかれば、警察は苦労しませんよ。しかし……なぜ、お嬢ちゃんが代々木公園にいるとわかったんだ? 覆面歌手って、顔出さないよね? なんでわかったんだ?」


 会議室に沈黙が流れる。「あ!」と、城田が閃く。


「あれじゃない? 長崎の小説。なんだっけ、あのゴスロリ少女の」


「え、アレ?」と、前のめりの刑事に説明した。小説投稿サイトで執筆していた『ゴスロリ少女と一期一絵』だ。しかし、十数ページで更新が止まっている。


「この情報だけで、どうやって見つけたんだ。名前も顔もわからんのに」


 英郎は検索していたとき、大手掲示板サイトの不人気なスレッドを見つけた。小説の情報から代々木公園で見つけたゴスロリ少女の写真が掲載されていた。そのコメントの一つに、『あー、俺、夢インタビューされたことあるよ』とあり、その投稿主に詳しく尋ねるIDを見つけた。


「怪しいな……佐竹! おい、佐竹! すぐ調べろ!」


 人使いの荒い刑事だ、少年少女は部下に同情する。


「えっと……根山はAliceのファンクラブ会員で、学校生活に不満があった。両親と不仲でなんかの拍子で殺した。好きな歌手も殺して自分も死のうとした、とか?」


「そんな、理不尽な――」


「世の中、理不尽なことだらけだが、犯罪者なんざ、その最たる者だぞ。あいつらの思考回路は我々と違って異常だからな。理解なんざ、すんな」


 ベテラン刑事の正義か不正義かの明確な線引きに、少年はただ受け止めるしかできないが、無条件に断罪していいものかと疑問も抱く。ただ、この刑事に意見しようと思わないが。


「警部!」と、佐竹が廊下から戻ってくる。何か新情報があったようだ。


「掲示板で、『俺は根山だ。代々木公園で撃った犯人だ。今日中にAliceが代々木公園でゲリラライブをやらなければ、政治家を射殺する。以上』と書かれていました」


「本当か? 愉快犯じゃないのか?」岩本が立ち上がって問い詰める。


「今、サイバー課が調べています。でも、ゲリラライブをやらなきゃ、政治家を射殺ってあまりに危険というか――」


「テロリストだな。破滅型思考は厄介だ。だが、このゲリラライブってなんだ?」


「あー、Aliceって、休止中なんです。復帰として、ゲリラライブをやる情報がネットで出回っていまして……本当にやるんですか?」


 Aliceこと、鳥海シェリはハッキリ告げた。「やります、今日」


「え!」と、会議室にいる全員が驚愕した。


「危険すぎるよ! 絶対にやめるべきだよ」と、隣の少年が止める。


「でも、私のせいで……私のせいで、こんなことが起きたなら、捜査に協力しないといけないんじゃないかって――」


「シェリ、絶対にやめなさい!」と、母親が飛び込んできた。「あなたは私のエンジェルなのよ! あなたが死んだら、私、どうしたらいいの……何を生きがいに、日本で生きていくの……私には、シェリしかいない……一人にしないで、私を捨てないで、あの人みたく……お願いだから、お願い……シェリ……」


「お母さん……」母娘は抱きしめ合った。


 二人三脚で苦労をともしてきた二人はやはり、親子なのだ。


 刑事二人は泣き止むまで、言葉を継がなかった。それは少年も同じだ。


 それでも、娘の決意はブレなかった。


「ライブ、やらなきゃダメなんだよ。神様の、試練なんだよ」


「そんな神様、いらないから。あなたは私のエンジェルだから」


 うん、娘は強く強く母を抱きしめた。「信じて、お願い。お母さん」


 母はそれ以上、否定できなかった。




 午後六時――代々木公園には真夏の蒸し暑さを押し返す群衆が大挙していた。


 その理由は、三時間前にキャロルレコードの事務所公式サイトにて、


『本日、午後七時、代々木公園野外ステージにて、休止中でした弊社所属アーティスト、Aliceによる復帰ライブを行います。来場されるファンの皆様は周囲へのマナーを忘れず、お楽しみいただければ幸いです』


 と、発表があったのだ。覆面歌手として活動していたAlice、しかも休止からの復帰ライブは事前のゲリラライブ情報もあってか、あっという間に各種SNSのトレンドをニュースジャックした。


 全国紙および全国テレビ放送局では、早朝に起きた警察官殺害事件と関連するネット掲示板の書き込み情報もあったため、報道フロアはテレビカメラ等の機材を大急ぎで報道車へと詰め込み、夕方ニュース番組を延長して生中継を決めた。


 そして、視聴率獲得競争で堂々最下位に君臨し続ける青海テレビは、このチャンスを逃してなるものかと、超一流ホテルの会議室にて、事務所社長の生出演交渉に成功した。


「――社長、なぜ、Aliceさんのゲリラライブ開催を決めたのでしょうか」


 音楽業界で名を馳せた小太りの男は沈痛な面持ちで説明する。


「もともと、ネットでゲリラライブを望む声が多数あり、我が社もいつAliceを復帰させようか考えておりました。その矢先に今朝方の警察官射殺事件が起き、ネット掲示板での犯行声明が見つかり、Aliceはひどく心を痛めております」


 女性キャスターがベテラン女優ばりの表情で、視聴者の同情を誘う。


「それはそれは……心苦しいお気持ちを察します。しかし、視聴者のみなさんも気になっていると思いますが、なぜ、あえて、顔を出してライブを開催するのでしょうか? 犯人は銃を持って逃走している状況です。ライブで発砲事件が起きたら――」


「Aliceは誰一人として、傷つけたくないからですよ!」


 社長は両手の拳を強く握り、怒声をぶつけた。「今の時代、人は何か起きればすぐに人を傷つけます! なぜなら、知らない間に誰かによって傷ついているのです! それを癒したいだけですよ! みんな、救われたいのですよ! Aliceは犯人に語り掛け、自首するよう訴えたいのです! そして、信者、ではなく、応援していただいているファンのみなさんに、勇気をもって顔を――」


 社長のテレビ出演を事務所本社で拝見する幹部社員は手を叩いて笑っていた。


「アハハハ! 社長、『信者』つったぞ。――ったく、頭の中はカネ儲けしかねーな」


 女性営業部長はノートパソコンでSNSの反応を確認する。


「はっきり、言いましたね。アンチは食いついています。ファンたちは社長のインタビューに共感していますね。テレビ出演は成功です。Aliceのグッズ、かなり増産しないとまずいなぁ~」


「これで音楽特番は安泰だな。うちのアイドルもドラマに出せるっしょ。また圧力掛けてきたら、うちも我が社長を出せばいいし」


「あー、それで社長は顔出しで出演したの?」


「レコード会社どこも不況だし、売り出せるならテレビドラマにも出さなきゃね。うちのアイドルをバラエティーやドラマで使うために絶対交渉してっから、この人」


「イエス! これでライブ成功して犯人逮捕すれば、Aliceはレジェンド、ゴッド、代々木でロボット、ラストはみんなでシャブシャブ! イエーイ!」


「……ま、Aliceがこれで犠牲になっても、悲劇の女神として信者どもに祀れば、永遠にグッズが売れまくるから、みんなでシャブシャブだな。予約しとこ♪」


 現場へ出向いた取締役から連絡が入る。


「こっちの準備は整いました。七時に開始します」


 長年レコード会社で働く社員はテレビに映る社長と女性キャスター、その背後で蠢くお金が大好きな大人たちにつくづく嫌気がするものの、不謹慎ながらも、これから起きる未知な現実に胸が高鳴っていた。「やっぱ、エンタメって最高だな」と――。




「了解だ。全員配置についたんだな。あとは、お嬢ちゃん待ちだな」


 ベテラン刑事の岩本は野外ステージの目と鼻の先、公共放送局の駐車場にいた。


 すでに警視庁の捜査官は野外ステージ周辺、レコード会社スタッフに紛れて、会議室で記憶した根山の写真と群衆一人一人の顔を確認していた。


 もちろん、全捜査官が銃を携帯している。犯人、根山礼司は警察官だった父親からリボルバータイプの拳銃を所持しており、残弾はおそらく二発だと考えられる。


 若手刑事の佐竹はいつ犯人が現れるかわからない恐怖感と緊張感で脇汗がびっしょりだが、野外ステージで音の確認をするエンジニアたちをちらり確認すると、群衆と同じく、Aliceの歌声を楽しみに待つ、ファンの一人へとなってしまう。


 そのAliceこと、鳥海シェリは放送局メイク室で準備をしていた。顔は出すものの、事務所としては、小出しで披露したほうがビジネスになると判断し、黒いゴスロリ衣装に合うであろう、目元だけをアゲハ蝶の仮面で隠すことにした。


「――えー、すっごい可愛い!」と、城田玉子が瞳から星を輝かせる。


「そ、そうかな? 長崎くんはどう思う?」


 少年は、幻想的な少女の美しさに見惚れていた。熟練スタイリストによって、幼い顔たちの天使感を小悪魔的な雰囲気が包んでおり、甘い青リンゴをパイ生地で包み込んで焼いた禁断さが、酸味という大人な味が彼の心を魅了している。


「大好きだ!」ごつっ!


「どさくさに紛れて告白すんな!」


 そんなつもりはなかったが、Aliceに課金してきた信者は酔いしれてしまった。男子高校生には刺激が強かった。母親であり、マネージャーの鳥海マリアが諫める。


「絶対に認めない! せめて、売れっ子マンガ家になって言って」


「お母さん、手厳しいな……」と、女友達が同情する。


「あの、そろそろ、声をチェックするから」


 別のマネージャーが高校生二人を廊下へ払おうとするも、Aliceは時間が欲しいと言い、母親と友達以外を廊下に出す。「――大事な二人だから、聞いてほしいことがあるの。私とお母さんの秘密なんだけど」


「シェリ、それは誰にも話さないって約束でしょ!」


 母親の目へ、自分の意思を伝える。母は押し黙るしかなかった。


「私のお父さんね、犯罪者なの。刑務所にいるの」


 高校生二人は黒目を大きくしたが、すぐに友達の顔に戻り、赤子をあやすよう頬をゆるめた。


「そっか、わかった。話してくれて、ありがとう」


 傾聴……相手の心に寄り添い、ただ相手を否定せず、話すままの言葉を受け入れる。


 長崎英郎は夢インタビューでうまく相手の話を引き出せないと悩み、スクールカウンセラーにアドバイスをもらっていた。もちろん、担任の青野には内緒してもらう約束で。


 そのとき、傾聴を教わった。それは相手に期待をしないことだった。先入観を持たずに聞く立場、話す立場を尊重することだ。


 鳥海シェリの父親がどんな人であっても、彼にとっては彼女がどんな人物かは夢インタビューをきっかけに理解しているつもりだ。


 むしろ、初めて出会ったときから感じた、人との距離感の掴み方が苦手な理由が、今話してくれたことと関係していると点と点が繋がったと思う。


 だからこそ、お礼にではないけれども、彼自身も話したのかもしれない。


「実は……俺の父親は仕事で悩んで、自殺してるんだよ。母子家庭なのはそのため」


 隣の城田はそっと彼の袖を掴んでくれた。ゴスロリ衣装の少女は、ニコリ笑った。


「そっか……長崎君が人の痛みに気づける人なのは、そんな事情があったんだね」


「人の痛み……?」


「うん。インタビューを聞いてて、思ったんだよね。きっと、何か人には言えない事情があるんじゃないかなって。そうなんだね……わたし、頑張るよ!」


 小さな親指を立てた。その表情は、魔王と戦う覚悟を決めた勇者のようだった。


 いや、闇に堕ちた堕天使を救うべく、戦いに行くと決めた魔法少女かもしれない。


「そうだ、長崎君に絵を描いてほしいの」


 少女は少年に、一つの頼み事をした――。




「では、参ります!」


 七時まで二〇分前――Aliceが放送局を出たとき、野外ステージの観客は熱狂に包まれていた。その総数は一万人をゆうに超え、二万人に届く勢いだ。


 仕事を早退して来場した社会人信者も、ゲリラライブを楽しみにする学生信者も、夏休みの思い出にはしゃぎたい高校生、カネになると集まった報道陣やマスメディア、迷惑系配信者と群雄割拠の勢力図になっているのだ。


 暴徒鎮圧に定評な屈強なイベントスタッフと凶悪犯を逮捕してきた警視庁の捜査官がいても、群集心理が暴走した先はハロウィンの渋谷と化す。


「おい! 犯人いんだろ! 出てこいや、殺人者が!」


 それは、迷惑系配信者と言われる集団が騒ぎ始めたことがきっかけだった。


 スマートフォンで生配信しながら、隣の観客が犯人かどうか探し始めたのだ。


「お、俺は違う! 山田だよ!」


「私はスタッフだ! 配信やめろ、訴えるぞ!」


「うっせ、報道の自由だよ! 犯人をとっとと逮捕したほうが楽しめるだろ!」 


 たしかに、といたるところで犯人探しが始まってしまった。相手は銃を持っているかもしれないのに、熱狂の波が人間の脳へ浸食し、思考回路をショートさせてしまう。


 このパニック現象に戸惑うのが現場の刑事たちだ。


「やはり起こったか……」ベテラン刑事の岩本は頭を掻いた。


「佐竹! スタッフにマイクで止めるよういっとけ!」


 無線越しの部下から反応がなかった。暴走した群衆とのおしくらまんじゅうで無線を落としてしまい、すでに踏み壊されてしまったのだ。


 そして、ある高校生信者が見つけてしまう。


「お前……根山だろ? 俺だよ、真鍋だよ」


 帽子を深く被ったリュックを抱く、Aliceの同じシャツを着た若い男に尋ねたのだ。


「お前って……西新井に住んでたよな? たしか、親父さんって」


 バン! 銃声は犯人探しゲームを終わらせ、脱出ゲームの号砲へと変わる。


「銃声です! 今、群衆の中で銃声がありました!」 


 若手女性アナウンサーが意気揚々とカメラ越しの視聴者に伝える。だが、彼女の経験では、荒野を駆けるバファローの群れと化した人間たちを伝えることはできなかった。


 しかし、犯人は直前に来るかもしれないと推理した、会場入り口付近で見張っていた一人の高校生が真っ先に群衆から抜け出す男を見つける。


「――根山くん!」


 声を張ると、こちらを見た。そして、拳銃を向けた。とっさにかがむ。


 近くの警察官が無線で伝える間に、長崎英郎は根山礼二を追うことを決めた。


「待て!」


 根山は行きかう車など気にせず、道路をまたがって噴水広場がある公園へと走って逃走する。暗闇に乗じて逃げ切る策のようだ。英朗と警察官も、道路を横断して追う。


「――だったら、お前が探せよッ! 口だけ野郎がッ!」


 指示を出すだけの、上司の怒鳴り声に部下がやり返したのだ。


「あとで始末書ですね」心配する男子高校生に、


「うるせーだけなんだよ、あいつ。何枚でも書いてやるよ。しかし、広いなぁ」


 犯人はすっかり公園の暗闇に紛れ、英郎は若手刑事の佐竹と組んで探していた。


 もしかしたら、すでに園内にはいないかもしれない。その疑問を先輩刑事に伝えたところ、気合と根性が足りないだの、無線を手放すなだの説教が始まり、爆発した。


「やっぱ、刑事もAliceが必要だよぉ。救いの歌がさぁ」


「――いつからAliceが好きなんですか?」


「いやー、初期からだね。ちょうど刑事になって一年目で四苦八苦してた時期に、Aliceが出てきて、『なんだこの子! ちょーイイ!』ってハマった。長崎君は?」


「僕は中学二年のとき、ですね。当時、SNSでマンガ投稿していて、二次創作だったんで作家から注意されて辞めた時期に」


 すんなりと過去のトラウマを説明する自分に驚く。それ以上に佐竹の記憶に引っかかるものがあったようだ。「中二ってことは四年前……『サムライの外伝』?」


「えー、読んでたんですか?!」当時の読者だったようだ。


「え、うっそ! マジで?!」佐竹は興奮し、捜査どころではない。「えー、マジで衝撃なんだけど……てか、中二であんな絵が上手いならジャンボのマンガ家なりなよ!」


「いやー、マンガ家はトレース問題とかで大変じゃないですか」


「あー、たしかに。てか、あれ辞めた理由って、希志先生からなの?」


「そーですね。ストーリー展開上、タキチの伏線がバレちゃうからって。その伏線に気づいたのが、根山君なんですよね。犯人の」


「へー、そんなつながりが! たしか、《足立区の名探偵》ってあだ名だよね」


「そーです! 根山君、マンガの考察が好きで、よく当てたので、そんなあだ名で呼ばれていたんですよ。いやー、なんで殺人事件なんか――」


「――捨てろ、バカ野郎ッ!」


 森林の中、ブルーテント街からだ。二人はすぐに向かうと、一人の少年が銃を持ってホームレスたちを脅していた。「なんで、お前ら生きてんだよ! 地球のゴミだろ!」


 佐竹は銃を構え、「根山礼司だな、銃を捨てて、自首しろ!」と警告した。


「バカ野郎ッ! 挑発してどうすんだ、ボンクラデカ!」


 佐竹を叱り飛ばしたのは、太い二の腕と野球帽子を被る老人、よっちゃんだ。彼は元民間軍事会社の傭兵として働いていたので、こうした事案の対処は心得ていた。


「よっちゃんさん!」


 男子高校生に気づく。「メガネのダチか。こいつがあの事件の犯人か?」


「そーですけど……根山君。俺だよ! 長崎英郎、なんでこんな」


 銃口が向く。少年の足が恐怖で震え出す。「テメェらだよッ! 俺は、俺は運動も勉強も好きだった。ただ好きだったんだ……人よりできるからっておだてて、できなくなったら、ゴミのように捨てやがったんだよあの女は……うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ―――――――――――――――――」


 悪魔の断末魔か、犯行の瞬間を振り返ったのか、男子高校生は発狂して壊れた。


 よっちゃんが言う、「いいか、ガキ。くだらねぇ仮面は捨てて、やり直せ」


「ゴミに、オレの、何がわかんだッ!」


 銃口が向かれても、ビクともしない。


「俺はな、人撃って殺したことがあんだよ」


「え……?」根山の表情が膠着する。


 傭兵の時、襲撃してきた山賊を殲滅した話だ。「俺はそれでメシを食ってた。何度も何度も自分を正当化してもな、今でも記憶は蘇んだよ」


「だから、だから、なんなんだよ!」


「根山君!」銃口に震える声で問う。「なんか、やりたいことってなかったの? Alice好きだったじゃん! アルバム買ってたじゃん!」


「ソーダヨ、好きだからぶっ殺して、俺も死ぬんダヨッ!」


「好きなら、そんなこと言うなよ!」


 死を直面したからか、親友が撃たれたからか、英郎が本心をぶつける。


「Aliceはな、鳥海さんだってな、夢があんだよ! お前みたいな奴にだって、やりたいことや夢ぐらいあんだろ! 言ってみろよ! 俺はな、自分の絵でな、自分の描きたいストーリーを表現したいんだよ! こんなところで死にたくねーんだよ!」


「俺だって、死にたくねーよ! そんな風にしたのはお前らじゃねーか……お前らが俺に求めたんじゃねーか……俺はな、俺はな、Aliceに歌ってほしかったんだ。音楽を作ったんだ。そしたらそしたら……お前らは才能ねーって……俺は……Aliceに……」


 全身の力が抜けていくのか、頭を垂らし、うなだれて膝が崩れた犯人に、後ろで様子をうかがっていたベテラン刑事の岩本が叫ぶ。「確保しろッ!」


 人間の防衛本能だろう、号令が犯人を再起させた。再び銃を握りしめて、若手刑事に銃口を向けて引き金を引く。「――危ない!」


 人間は誰かを助けるとき、反射神経で動くようだ。父と母から受け継いだ、無償の愛情がそうさせたのかもしれない。

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