第2話 6
八月十二日、月曜日――
目的地に着くと、七分丈のジャケットを羽織る台田勇気は、自慢のメガネをキラキラ光らせて、背後の三人に振り返った。
「見てよ! 夢が詰まったこの遊園地! 叫びたくなるジェットコースター、目が回りそうなコーヒーカップに園内をぐるりと回る機関車、そして遊園地のだいご味である、この大車輪の観覧車を! そう、ここがかの有名な夢の王国――」
「あらかわ遊園な!」
四人は東京都荒川区のあらかわ遊園にきていた。
「台田に任せたのが失敗だったあ! せっかくの夏休み、しかもお盆……本当の夢の国ではしゃぎたかったのにィ!」
お楽しみの場所が地元の、住宅街にポツンとある小さな遊園地なので、動き回れるボーイッシュな服装、スニーカーまで履いてきた城田玉子は不満げだ。
そもそも勇気がここを選んだ理由は、先日玉子のバイト先でお土産をも買わされた結果、今月のお小遣いが早くもピンチを迎えたから。千葉へ行くだけでもカツカツで、ワンデーパスポートまで買えば自宅まで徒歩で帰るハメになる。
片思い中の相手との遊びで帰宅困難者になるのは男としてカッコ悪く、なにより足立区並みのヤンキーに絡まれそうで怖い。
というわけで、入園料わずか二〇〇円のメルヘンランドを選んだのだ。
「シロタマ、ここは足立区民が一度は訪れる都会の楽園さ。侮辱するなんて心外だ」
「ここ、荒川区! 私、荒川区民! 我が区の遊園地を勝手にバカチ区の所有物にしないでくれますかぁ?」
「荒川区がなんだってんだ! 山手線しか誇るモノがないくせに!」
荒川区に彼らが通う都立日暮里高校と山手線の日暮里駅がある。
「ここ、あらかわ遊園があるでしょうが! 都立大学もあるし、足立区こそなにがあんのよ。まともな街は北千住だけじゃない!」
「三大厄除け大師の西新井がありますぅ~。映画館もありますぅ~。初詣は荒川区を通って、都心からいっぱい人がきてくれますぅ~」
「ギューギューの明治神宮を避けただけじゃない!」
「違う、草だんご屋のおばちゃん目当てで来るんだよ!」
「まぁまぁ、その辺で……」
英郎がヒートアップする二人をなだめる中、ゴスロリファッションではなく、花柄ワンピースの少女は入ってすぐの園内マップを童心に帰って眺めていた。
「シェリちゃん楽しそうだし――台田殿、ここは一時休戦で手を打ってあげよう」
「吾輩も提案しようと思っていた……城田殿、承知した!」
「てなことで……遊ぶぞーっ!」
と、そーっと玉子が後ろからシェリを抱きしめる。少女はびくりと驚くも、荒川区民の詳しいガイドを頼りに、最初に行くアトラクションを決めた。
「じゃあ、ジェットコースター」
ここ、あらかわ遊園は規模が小さいながらもジェットコースターがある。
出っ歯のイモ虫のイラストもそうだが、そのウリはなんといっても超遅速だ。
つまり、『日本一遅いコースター』として知られている。
とはいえ、遅くてもコースターだ。緩急自在な速度と落ちたら痛そうなリアルな高さとガタガタ、ゴトゴト――という荒々しい走行音で急カーブへ突入すれば、
「うわぁ!」と、高校生でも背筋がゾッとする。
乗り終えた英郎に、勇気がほくそ笑む。
「まさか、長崎さんが声をだすとは思わなかったよ」
「ああ、台田さんが手すりをガッツリ握るとは思わなかったよ」
痴話げんかでムキになる二人を、
「園児じゃないんだから……」女子二人は呆れたトーンで話す。
「うそだ! 二人も怖かったはず」チキンメガネが反論するも、
「ジェットコースターだもん。怖くていいじゃん」
と、シェリに正論を放たれ、あえなく撃沈する。
四人はメリーゴーランド、コーヒーカップと続けて乗ったのだった。
「あ~、気持ちわりぃ……」
長崎さんと台田さんは、男の小さなプライドをかけた勝負、コーヒーカップを早く回してギブアップした方が負けという争いの結果、二人仲良くベンチでギブアップした。
「――僕がバカだった。シンプルに楽しめばよかった」
「いや、俺こそバカだった。――勇気、見てごらん。二人は楽しそうにモルモットと遊んでいるよ。いいなぁ~。うらやましいなぁ~」
シェリと玉子はアホな二人を置き去りに、どうぶつ広場で癒されている。
長崎家は団地住まい。もちろんペット禁止で、動物好きの英郎は歯がゆかった。
「台田家は犬とか飼わないのか?」気軽な質問だった。
でも、勇気はポツリ。「二年後には離婚するから無理さ」
「え?」と、彼の横顔を見た。振り向いてはくれなかった。
「中学三年にね、母親から言われた。『高校卒業したら、父親と離婚するから』って。だから、ペットはムリなんだ」
「そーか……」握っていた水のラベルをはがす。気を紛らわしたかった。
勇気は彼の機微にきづく。「ごめん。今日、話そうとは思っていなかった。でも、担任と進路相談して、言えなかったからさ」
「謝らなくていいって」ラベルを横脇のゴミ箱に捨てる。
この前の、『「ただいま」を言ってくれる家庭があれば』という夢の背景が見えた気がした。相方の両親が不仲なのは聞いていた。でも、彼の口から『離婚』を聞いたのは初めてだった。突然、気持ち悪さがなくなり、別の吐き気がする。それは、友達の変化に気づけなかった自分への嫌悪感かもしれない。「――そーいうの、話してくれていいからさ」
それだけで相方は十分だった。「ああ、聞いてくれただけ、ありがたいよ」
ハムスターのよう、ふとした風で飛ばされそうな気持ちを悟られないよう、
「僕らも癒されに行きましょ!」と、勇気はメガネを直し、ニコリ笑った。
「――ねぇ、恋人にするならどっち? 私、それともシェリちゃん?」
突飛な二択は、ひょんなことから始まった。四人がウサギにニンジンを与えていたときだ。
「あ~、きゃわ☆」「ペットにしたいよぉ☆」
英郎とシェリはモグモグする愛らしい顔を眺めていたのだが、また足立区民と荒川区民が不毛な議論を始めたのだ。
「シロタマはウサギとモルモットどっちがいい?」
「え~、迷うなぁ~。私はうさぎかな」
「意外だね。モルモットかと思ったけど」
「ぴょんぴょん跳ねるの可愛いじゃん。あと、ふわふわな耳とか」
「そーだね。でも、モルモットは人に懐いて、寂しいと鳴くんだって」
「飼ったことあるから、それぐらいはわかる――モルモットってトイレ覚えないんだよね。だから、ゲージの置き場所が大変なの」
「ウサギも臭いじゃん。小学校の時、いきもの係だったからわかるよ」
「私もいきもの係だったからわかるよ。比較検討した結果、ウサギです!」
城田は負けず嫌いの性格だ。勇気は小さなプライドだが。
「別に、優劣つけるために聞いたんじゃないんだけど」
「台田ってそーいう癖あるね。じゃあ、恋人にするなら私とシェリちゃん、どっち?」
「なにその、二択クイズ?!」
「さぁ、恋人にするならどっち? もち、逃げナシ!」
当然のことながら勇気は冷や汗があふれ出た。マンホールの穴から出るようだ。
ただ、困惑しているのはシェリも同じだ。許可もなく比較対象にされ、英郎の方をチラチラ見ては、どういう状況なのか説明して欲しいようだ。
しかし、英郎もよくわからないので、見守るしかなかった。
台田は考えた。上、下、右左と様々な角度から熟考した結果、
「僕はシェリさんかな。ミステリアスな感じが男にはたまらないもの」
と、逃げた。これには解説者の長崎さんは天を見上げるしかなかった。
――なんのための今日だよ! なんのために昨日電話で作戦を練ったんだよ!
頭を抱えた彼に、玉子が訊く。
「長崎は、私とシェリちゃん、どっち?」
こうなれば一つしかない。「そりゃあ……城田玉子さん、です」
「よし! 決まり――じゃあ、この後は豆汽車に乗りましょ♪ もちろん、台田とシェリちゃん、私 と長崎のペアで。離れて座って、ね♪」
カランカラン♪ カランカラン♪
汽車が汽笛を鳴らすたび、子供たちの和やかな声が車内を彩る。
でも、最後部に座った英郎は、たっぷり排気ガスでも吸った気分だった。
「せっかく、私とデートなのにつまらないの?」
「いやぁ……そーいうわけじゃないんです。ちょっとですね、バカとアホのメガネのキメラを発見してですね。困惑しているだけで――」
と、最前席に座って、シェリと笑い合うチキンメガネを睨む。
玉子は彼の目を見て、前席には聞こえないぐらい小声で告げた。
「わかってる。あいつが私のこと、好きだってこと」
「マジ?!」意外な事実に大きく目を見張った。「さっきのはハッタリ。勇気出して私を選ぶって思ったけど、予想通りシェリちゃんに逃げやがった」
「……チャラチキですから」
「周りには『デート』っていうけど、本当は相談しているらしくて、けっこう他の女子からあいつとの仲を聞かれるの。いくら鈍感な私でも気づく」
「……名探偵っすね」と、正解だと遠まわしに言ってしまう。
踏切を通過するとき、玉子はギャラリーに手を振りながら、
「中二で付き合った彼氏、先輩がいたけど、デートのとき、『城田って、案外つまんねーな』って言われて……なんか、自信なくなってさ。恋に憶病になったというか、そんな感じ」と笑う。
「ひどい奴だな、そいつ」相づちのよう返す。「顔はイケメンだった――よくさ、嫌われる勇気っていうけど、簡単じゃないよね。自分をさらけ出すって、やっぱ怖いじゃん。みんな、よく告白できるな~って思うよ」
自虐めいた笑いに、英郎は笑えなかった。観覧車を見上げる。
同年代のカップルが見えてしまい、
「本人に好きだと言えず、失恋するよりはマシだと思う」と告げた。
「あ~、例の先輩の件?」
英郎の失恋は勇気経由で玉子に伝わっているようだ。メガネ小僧の背中を睨む。
「……こないだ部の集まりがあって、偶然彼氏とイチャついているところを見た」
「うわっ……つらいねー、それ」
「彼氏の横で、悪気なく俺に手を振るんだよ。でも、よかった。先輩はそーいう人なんだって、わかった気がして……」
「え、どーいう意味?」
「自分でもわかんないんだけど、相手を知れて、よかったって感じ。なんか、ホッとした。先輩は自分に合わなかったって……ちょー上から目線。窓から見えたんだけど」
「なるほど……たしかに上からだね。でも、そのぐらいがちょうどいいよなぁ」
彼女は黙った。しばらくして、英郎は彼女の体験を自分の体験で知らないうちに否定したように感じた。言い訳しようにも、今さら白々しい。
「なんか……ごめん」心が詫びさせた。
彼女は微笑む。「ううん。話してくれて、ありがと!」
裏表のない、まっすぐな声だった。本心からだとすぐわかった。
「俺も、ありがと! ケーキの件、応援してますよ」
彼もまた笑った。最後のセリフは逃げたのかもしれないが。
あらかわ遊園内――アリスの広場。
ときおりキャラクターショーが行われる半円形のステージの客席には、お昼時ともあり、ピクニック気分でお弁当を食べる親子が数組いる。
ぐぅ~、お腹を鳴らすシェリと玉子は墨田川を眺めながら二人を待っていた。
「おーい、買ってきたよ!」
売店から英郎と勇気が戻ってきた。手のトレーには焼きそばとたこ焼き、フライドポテトにチキンナゲットが山盛りだ。
「サンキュー!」と、玉子が焼きそばを手に取る。もちろん、シェリはナゲット。
英郎とたこ焼きを食べる勇気が言う。
「シロタマ。売店のおばちゃんに聞いたけど、ここ、年末から改修すんだね」
「あー、忘れてた! リニューアル工事だっけ? ここ、ずいぶん老朽化が進んでいるから。一年ぐらいかけて、アトラクションも一新すんだって」
「残念だよな。久しぶりにきたけど、このしょぼさが癖になるというか」
「絶叫系もいいけどさ、たまには遊園のちっちゃい感じがいいよね。ほのぼのな下町の感じで、ほっこりするみたいな」
「おやおや、二時間前とおっしゃっていることが違いますぜ、だんなぁ」
「え? 私、なんかいったけ? たしか、『荒川区民のオアシスだ、やったぁ!』って、ガッツポーズした気がするけど?」
「言ってないよ! むしろ、めっちゃディスってた」
「ディスってはない! 千葉に心惹かれる時期って誰にでもあるじゃん!」
「認めたな! 荒川区の誇りを捨てたことを!」
「バカチ区民に言われたくないわ! 草だんご食って新年迎えろ!」
「イヤだ、神宮に行く! パンケーキに心惹かれるときがあるんだ!」
「お前ら、またか……」
不毛な議論という、痴話げんかが再び勃発していると、シェリが川沿いの手すりへ下りていった。「長崎、行ってやんなよ」
勇気と玉子に促されて、英郎は歩み寄る。
「鳥海さん、どうしたの?」
シェリは彼に気づき、客席側に振り返る。
「ここ、アリスの広場っていうんだね」
「ああ。てっきり、歌手のAliceかと思ったけど、売店のおばちゃん曰く、『《荒川》の《リバーサイド》の《ステージ》広場』という由来らしいよ」
「そーなんだね……」
「ご当地あるあるだよ。鳥海さんはAlice知ってる?」
「知ってる。今、休止中らしいね」
「へー! Alice聴くの?」
「うん。でも、最近は……かな。今は、クラシックとか童謡とかいろいろ聴いているんだよね」
しょんぼりな英郎は柵にもたれ、「童謡とか全然聴かないな」
「意外と心に響く歌があるんだよ」とシェリは微笑む。
「たとえば?」
少年に言われ、少女は口ずさむ、シャボン玉の歌だ。
懐かしいメロディーにのる、切なくて優しい言の葉は、透きとおる少女の声にろ過されて、そよ風に吹かれても、少年の耳へと届いていく。
「(歌上手いんだ……)けっこう、歌詞怖くない?」
少年はありのままの気持ちをぶつけた。少女はありのままに微笑んだ。
「歌はね、今を生きる者の叫び、なんだよ」
ふわり、黒髪がなびく。二人のケンカを止めようと歩く、小さな横顔は魔法少女のよう勇ましく凛としていた。
その後、四人はフリーパス券をぶんだんに使い、あらかわ遊園を楽しんだ。
最後はもちろん、「えー! 台田と私?!」
「シロタマ。グッパーで決まったんだから文句はなし!」
「まー、これも神様のイタズラだね」
「チッ! なら、一周するまでに足立荒川論争を終わらしてやる!」
と、観覧車に乗った。もっとも、英郎がシェリと共謀して組ませたのだが。
「――さらば、あらかわ遊園! 楽しい思い出をありがとー!」
勇気が丸を作るよう両手を大きく振って遊園を後にする。そのテンションから、何かいいことがあったようだと、少年少女は微笑ましい。
しかし、路面電車の駅が見えたとき、交番前の道路で白いバンが停まっており、その運転手と思われるスーツを着た男女が交番の警官と口論していたのだ。
『いいえ、駐車じゃない!』
『いいえ、立派な駐車違反です!』
『違う! あなたは点数がほしいだけでしょッ!』
とげとげしい口調で警官とやりあう女を見て、英郎はハッとした。
相方が目の色を変えた彼に気づく。「ヒデロー、どうしたの?」
だが、その声をかき消すよう、女が叫んだ。
「シェリッ! 何をしているのッ!」警官を押しのけ、ズカズカと近づいてくる。
少女は宿敵と対峙したよう歯を噛みしめ、
「なんでお母さんがいるのッ! どうして、ここがわかったの?」
娘の剣幕に、頭に血が上っていたマリアは真相を話してしまう。。
「長崎君から聞いたの。――シェリ、事務所にいくよ」
「……わたしを、裏切ったの?」
向けられたその目は少女から魔女に変わっていた。
英郎はパニックではあるものの、
「ち、違う! 裏切ってなんかない!」と返す。
「わたしの母と知り合いじゃない! この裏切り者ッ!」
「それは、頼まれて――」マリアが遮る。「長崎君は悪くない。シェリが悪い。自分のすべきことから逃げ出して、大勢の大人に迷惑かけて、挙句の果てに友達と遊んで……お母さん、社長になんて謝ればいいの。恥ずかしすぎるよ」
「『自分のすべきこと』って、『ゲリラライブはやるけど、声優はやらない』って言ったじゃん! なのに、なんで勝手に声優話が進んだの! わたし、人前に出るだけで怖いのに! お母さん、お金で変わったよ! わたしのこと、何も見てないじゃん! 鏡に映る自分しか見てないじゃん! 恥を知って後悔すればいいんだよ、クソババアッ!」
鬼と化した少女は反対車線のタクシーを呼び、その場から消え去っていく。
「ヒデロー……どーいうこと?」
勇気が友の肩を揺するも、動揺しているのか、唇が震えている。
だが、彼は血が出るほど唇を噛みしめ、呆然と立ち尽くす母親に詰め寄った。
「説明してください。どーいうことか、説明してください!」
鬼気迫る顔は彼女を戸惑わせた。娘がどこかへと消え、その行方をどう探すべきかと考えを巡らせていたから。
「その件は車で話してあげる――チーフ、とにかく車を出しましょう」
部下の男に言われ、三人と母は車に乗り込んだ。
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