第2話 5

 八月九日、木曜日――


「あれ、いない?」


 白から一転、黒い少女が駅に降り立つと、先にいるはずの少年がいなかった。


 しょうがなくコンビニ前の、冷気が利いた日陰で待つことにする。


 その数分後、彼が改札から出てきた。だが、隣には茶髪の、チャラついたメガネ男子がおり、英郎は近寄るとすぐに謝った。


「ごめん。鳥海さん、実は――」


 オレンジ色のメガネの男子が前に出る。「鳥海さん、はじめまして! 僕は台田勇気と言います! ヒデローがいつもお世話になってます!」


「どーいう、こと?」目を細めて口をカクカク、ロボット顔でバイトを見る。


「実はかくかくじかじかで……」


 英郎は申し訳なさそうに説明する。昨夜、勇気から電話があって今日のことを話したら日暮里駅まで待ち伏せされたと。


「いやぁ、夢インタビューの件を聞いたら興味が湧いてね。鳥海さんがカワイイって聞いたもんだから、ぜひ会ってみたくもなったんだよ」


「チャラい人、嫌い。急に『イエーイ』いうから」


「いや、言わないでしょ」普段どんな人と関わっているのか興味が沸きつつ、「僕はこんな見た目だけど、根はマジメさ。一年の頃から片思いしている女子を、未だに遊びにも誘えない、チキン野郎だし」


「そーなの?」英郎を見る。彼は深~く頷いた。「ふ~ん……」と、表情が緩む。


「で、頼みだけど、僕も混ぜてくれない? 人生の先輩たちの恋を聞くのも、若い僕らにとって財産になると思うんだよね」


 しばし、考え、「……いいよ」と許した。


「え、いいの?」英郎は驚く。シェリのことだから、他人の肩をすぐ叩くようなタイプは苦手で、すぐに追い返すと思った。


「うひょー、やったね! 話と違って、優しい子で助かったよ!」


「話って、何を話したの?」


「それはね――」慌てて勇気の口をふさぐ。「何もないよ。何も、な!」


「んー、んー、んー」


 本当は、シェリが気難しくて他人にキツイ言葉を吐く、見た目はゴスロリ、中身は姑と話していた。「別に、シェリさんが魔法少女のコスプレが似合うって話さ。今日は、闇の魔法使いを意識しているの?」


 キラリ、乙女な一面が顔を出す。


「そーなの! それ、魔法使いだったの?」


「長崎君、魔法少女にうとくて……」


「ダメな奴だなー。気づいてあげなきゃさー」


「魔法少女系はグロくて無理なんだよ」


 英郎はアニメを見るものの、昨今の魔法少女系は日曜朝には放送できない内容だ。


「人知れず戦う少女たちをバカにするなんて、バカ!」


 と、シェリは捨てシェリフを吐き、二人を置いてきぼりに公園と向かう。


「あれ、フィクションじゃん!」


「おいおい、アニメ業界目指しているやつが言うな」


 ただ、少女の高速移動は初見の相方にも衝撃のようで、「まるで忍者だ! ゴスロリ忍者とは新しいね。そんなアニメ作ってよ」


「そんな忍者いません」


「だって、フィクションだもん」


 公園の入り口前、サンドイッチ屋のそばでシェリが二人を待っていた。


 ふくれっ面で、二人をにらむ。「遅い」


「ごめんごめん! ちょっと野生の三輪車にひかれてね。――で、どーする? いきなり話しかけていくの?」


 少女は肩に提げるトートバックを見せる。「この中にスケッチブックと筆記用具が入っているの。いつもは長崎君がスカウトするけど、今日はチャラチキが」


「いきなりそんな大役を任されるとは……。やってやろうじゃん!」


 男、台田勇気、この後に会う女子のためにもアドレナリンが溢れる。


 しかし、一時間後――


「僕は……僕はこの世界で嫌われてるんだあ――あっつ!」


 池のそばのベンチを抱きしめるも、ひどく熱かった。


 一時間も声をかければ一人ぐらいは成功する。けれども、今回はこんがり気味のチャラチキともあり、その見た目から本物のスカウトマンと思われてしまい、若い奥様や女子は逃げ、おじさんたちからも煙たがられたあげく叱られたのだ。


「みんな、『見た目で人を判断するな』って教わらなかったのかよ……」


「そんな泣くなよ。周りの目も痛くなる」


「親友への慰めがソレ? 僕らの友情がそんなちっぽけとは……」


「大げさすぎる。たかだか五人に断られたぐらいで泣くなよ」


「ヒデローは慣れているから、そう思えるんだよ。でも、僕は初心者だ。まるで誰にも受け取ってもらえなかったポケットティッシュだよ」


「情けない」シェリがぽつり。「うわああああああああんっ!」


 可愛い女の子の手前ともあり、勇気のMPは危険水準だ。


 しくしく泣いている彼の二つ隣、汚らしいジャージと野球帽の老人が座る。


 シェリが鼻をつまむ。離れていても酸っぱい異臭が漂い、三人が静かに去る。


 勇気ほどではないけれど、日焼けしたその老人は大きな声で言った。


「なんだ、お前も見た目で判断すんじゃねーか!」


「どーいうことです?」メガネをかちゃり。「言葉通りだよ、メガネのガキ」


 英郎があるパターンを思い出す。


「まさか、おじいさんは大企業の会長さんですか?」


「えぇ?!」勇気とシェリが目を見張る。


 老人は答えた。「俺か? ただのホームレスだよ」


「見たまんまじゃねーか!」と、勇気が吼える。「そこのガキみたく、俺をどっかの会長と思うか、ホームレスと思うかはテメェの自由って話だ」


「そーですか、はいはい。――英郎もシェリさんも行くよ」


 と、勇気は噴水側へ連れようとするが、二人は動じなかった。


 クエスチョンマークが浮かぶ勇気をよそに、シェリは英郎に頼んだ。


「長崎君。聞いて」


「あの、もしよかったら、お話しを聞かせてくれませんか?」


「俺のかい?」老人は欠けた前歯を見せ、「話つっても、こんな社会の底辺の人間から何を聞くんだよ」珍獣を見るよう彼に微笑む。


「そーだよ。ヒデロー、別の人に聞こうよ」


 相方の助言はスルーし、彼は隣に座る。「実は、夢を聞いていて。たとえば、ピエロやストリートミュージシャン、親子とかに……。おじいさんのお名前は?」


「俺か……よっちゃんだ。この辺りの連中にそう呼ばれている」


 本名は言いたくないらしい。英郎は気遣い、その名を呼ぶ。


「よっちゃんは夢とかありますか?」


「夢か? そんなこと聞く奴は珍しいな。でも、あるぞ。俺ぁ、この公園を平和にしたいんだな」


「平和?」抽象的だけども、やけに芯を感じる。


「ガキに話すのもアレだが、ここも外国人が増えたろ? あいつら勝手にここで商売すんだ。昔もあったが、そーいうのを取り締まるんだ。警察は見て見ぬフリすっからよ」


「無許可の大道芸人とかですか?」


「そうそう、あとはドラッグとかカルトだ。平日の公園はメンタルやった奴がくっから、奴らはカモなんだ。そのメガネのガキみたく、フツーの顔をして勧誘すんだ」


 さっきのは注意じゃなくて、忠告ってことか。三人はよっちゃんを察した。


「もしかして……僕らが怪しかった感じですか?」


「バレたか。ま、お前とそのじょーちゃんは仲間からちーっと聞いたから、夢なんちゃらも知ってたが、メガネのガキは売人ぽいからマークしたんだよ」


「やっぱり、怪しいんだね」シェリも自覚はあるようだ。


「でも、心外だな。あなたこそ、外見で判断しているじゃないですか」


「ガハハハハ! ちげーねぇな。悪かったな、メガネ小僧」


「謝ってくれるなら」メガネをかちゃり。「ところで、よっちゃんさんはどんな仕事をしていたんです? 年の割には腕も太くて、ガッチリしている」


 勇気に言われ、英郎はハッとした。体つきが悪役プロレスラーのようだった。


「俺か? ……PMCって知ってか?」


「PMC!」メガネがきらめく。「民間軍事会社ですよね! まさか、よっちゃんさんはその元傭兵とか?」


「カメレオンみて―な奴だな。――おおよ、アメリカのPMCだ」


「おい、勇気。PMCって?」


「ファイター・ロボでも出たじゃないか。紛争地の警備を任される会社だよ。中には戦争地にも傭兵を派遣する、軍事関連の会社だよ」


「詳しいな。だが、三十年前の話よ。日本に帰って、ITバブルの波に乗って起業したが、失敗しちゃったのさ。今は、ホームレスに転落している社会のクズさ」


「日本人で、傭兵がいたなんて……感動します!」


「アホか! 傭兵に感動なんてすんな!」


 一喝した老人は眉間にしわを寄せ、首を何度もさすった。


「すみません……」英郎が謝る。「いーや、怒鳴って悪い。――ゲームでそーいう知識があんだろうが、現場を見ればそんな楽しくもねぇよ。未だにガキの爆竹が銃声に聞こえちまって、夜中でも起きちまう」


 左腕にかすかに残る擦り傷が刃物の痕だと、三人はようやく気づく。


「あの、差し支えなければでいいんですが……」


 親友が口を挟む。「よっちゃんさん、恋愛について教えてください!」


「はあ? オレのか?」


「勇気、何聞いてんだよ」


「知りたくないか? 元傭兵の恋愛話を!」


 たしかに……なかなか聞こうにも聞けない話だ。


 よっちゃんは照れた様子で鼻をほじる。「……カミさんっても、元だな。起業に失敗したときに別れたんだ。借金あって自己破産した。子供に迷惑かけたくなかった」


「その前の話です! 僕、好きな子がいるんです! その子に告白したくても、できないんです。勇気をください!」 


 名前が勇気なのに勇気がない、そんな矛盾にシェリが笑みをこぼす。


「そら、当たって砕けろ! なに、戦場と違う。死なねーんだから、当たれよ」


「そんな、アドバイス……」たしかに、戦場とは違う。命までは取られない。


 隣の親友は頷き続ける。何かを決めたようだ。


「ま、恋愛事で人が救われるなら、平和っちゃ平和だな……」


 白髪の無精ひげが、真っ白な灰のように見えた。よっちゃんは虚ろな目で噴水のそばで遊ぶ子供たちを見つめる。それ以上、老人は唇を強く噛みしめて、何も話さなくなった。


 昔を思い返しているのか、脳内に銃声が鳴っているのかはわからない。


 でも、当時の映像がカラフルで、彼を苦しめているのがその顔つきから垣間見えた。


「あ、あの――」英郎は一枚の絵を渡した。


 その絵には、ベンチで座るよっちゃんが園内を楽しむ人々を眺めていた。


 ベンチの足元にはハトが数羽遊んでおり、そして、噴水の水が小さな虹を架かる。


「――こりゃあ、巧い! 部屋に飾るわ。なんかあったら、呼べよ」


 よっちゃんは何度も手を振って、森林奥のブルーシート街へと戻っていく。


 丸の内のビル街とは違うも、そこにも各々の人生があると三人の高校生は学んだ。




 三人は噴水のベンチでぐったり座っていた。セミの鳴き声と、子供のはしゃぐ声が左から右へ、右から左へ耳を通っていく。英郎がぽつり。


「なんか、すごい人に会っちゃったな」


「だね。ホームレスが元傭兵とは思わなかった」


うん、とシェリも頷く。こんな様子で十分が経つ。勇気が訊く。


「このあとは、どーする?」


「チャラチキは夢ある?」唐突にシェリが訊く。


 自分に指を差しながら、「夢ねぇ……」とつぶやく。


 英郎も気になり、「そーいえば、勇気とそーいう話しないよな」


「そりゃ、小学校からの知り合いだし、照れるじゃん」


「あるのか? やりたいこととか?」


「ないよ」とシェリのような即答。少しがっかり。


 そんな親友の顔を見て、悔いるよう空を見上げた。


「ない、というか、平凡でいいんだよね。このまま卒業して、無名の大学からブラックと言われる会社に就職しても、大好きな子供と奥さんが家にいて、『ただいま』を言ってくれる家庭……それが夢か。できれば春日部で、家族四人で暮らしたいかも」


「チャラチキなくせに、ちゃんとしている」


「失礼な! 僕は、シェリさんが思っているような、女の子の尻を追うマヌケな男じゃないからね!」


「『そういう男に限って、浮気する。だから、殺してやったのよ』」


 適役の声だった。英郎は少女の新たな一面に驚くも、母親の名刺がよぎる。レコード会社のマネージャー、もしかして声優なのかと脳内検索が始まる。


 一方、相方は好きなアニメの有名なセリフに反応していた。


「『そんな理由でアキラを……許さない!』」と吐き捨てた勇気は飛び上がり、シェリに向かって雄々しく拳を向けた。「『魔法戦士より命ずる、天よりの力よ、我に集え!』」


 臭いセリフに反応したシェリも靴を脱いでベンチ上に立ち、勇ましく拳を丸めた。


「『青臭いガキは嫌いなの。大人の階段、上らせてあげるわっ!』」


 と、ノリノリな様子で応えた。魔法少女ネタのようだ。


「あー、クララちゃんみたい」セリフに反応したのは近くの小学生の兄妹だ。


 キラキラな眼差しで二人に駆け寄る。


「すみません……」


 と、頭を下げる母親を英郎は気遣い、四人の魔法少女ごっこを温かく見守った。勇気が少し若いお父さんのように見えた。




『ただいま。――って、つめてーな……』


 学校から帰宅した勇気が玄関を開けると、朝から密封空間だった家のよどんだ空気が彼を出迎えた。そのたびに体中の酸素が吐しゃ物のよう、臭い息となる。


 英郎が住む団地から駅を挟んで向かい側、彼は厄除け大師付近の住宅街に両親と住んでいる。父は旅行代理店の店長、母は郵便局の事務員の共働きだ。


 月一回旅行に行けるほどの経済力は不自由のない暮らし――だった。


『ごちそうさまでした。ふぅ~、続き続き』


 近所で買った弁当を温め、大きなテレビでゲームをしながら食べ終わる。


 母親が帰宅する。『勇気、ただいま』


『おかえり。――お風呂わかしたよ。あと、母さんの好きな天丼にしたから』


『ほんと、気が利く息子で助かる! 新しい小娘なんて――』


 ゲームを中断し、リビングで母親の職場の愚痴をきいていると、スマートフォンが光った。父からだ。『今、日暮里駅。あと少しで帰る。なんかいるか?』


 母がソファーから立つ。『私、お風呂入るわね』


『OK!』と言いつつ、父へ返信だ。


『アイスが食べたい! チョコクッキー!』


 母が二階の自室へ駆け上がると、息ぴったりに父が帰宅する。


 しわが目立つスーツにビニール袋を提げながら。『勇気、ただいま』


『おかえり。――今日は父さんの好きなさば定食にしたよ』


『ありがてぇ! 昼に若い奴とステーキ食ったから胃が重くてさ』


 お土産のアイスを食べつつ、父の好きなサッカーゲームに付き合う。父は楽しそうに解説しながらプレーする。最近の日本代表はつまらないと愚痴りながら。だが、日本の代表だろうが、エースストライカーの名だろうが、息子は興味がない。


『――勇気、風呂入って寝るわ。弁当、ありがと!』


『OK! お疲れさん』


 と、勇気は両親が散らかしたテーブルを片づける。『ははは。まるでメイドだ』


 空き缶を潰す力が日に日に強まっていった。


 家庭内別居――4LDKの間取りはその未来が見えていたようだ。


 一階の和室は父、二階の三部屋は母、姉、勇気の部屋となっている。


 毎朝、父は母親が一階に下りてくるのを見計らって家を出る。朝食は店舗のそばのカフェで食べているらしい。母は息子が用意する食パンとメイクを済ませば、そそくさと出ていく。彼が高校へ登校するとき、家の空気が黒くよどむ。換気扇をつけても、帰ってくれば地縛霊めいた重たい空気が彼の肩にのしかかった。


 この生活は、大学進学を機に姉が千葉へ引っ越した去年春から始まった。


 二年前の冬――母は娘と息子をリビングのソファーに座らせた。


『ちょっと、何の用? 勉強したいんだけど?』


 遅めの反抗期な姉は大学受験を、勇気も高校受験を控えていた。


 しかし、母は宣告した。『お母さんね。あの人と離婚しようと思っているの』


『はあ? なにそれ? こんな大事な時期に言うこと?』


 理由はわかる。父の浮気だ。姉とともに勘づいていた。


『星来せいらの言う通りよ。勇気にも悪いと思う。だけど、お母さんはあなたたちが高校を出たら、あの人と離婚するから』


『ちょっと、勝手に決めないで! 私の学費はどーなるの?』


 姉は自分の世界で生きている。弟はうらやましかった。


『それは問題ない。勇気も安心して。だから、そーいうことよ』


 何がそーいうことなのか、娘の追及に母は言葉を濁す。


 女なら伝わるのか、姉は大きな舌打ちをして自室へ戻っていく。


 バン、怒りに任せたドアの音が弟の気持ちを代弁していた。


 母は真顔から、演技だろうが、優しく笑った。


『苦労かけるけど、ごめんなさいね』


 子は親に似るもの。姉さんと母さんは紛れもない親子だと、彼は冷笑した。


『――あ~、数学も英語もわかんねぇ……なんで、都立入試に技術も家庭科も音楽もないんだよ! 家庭科目への差別だよ!』


 放課後をともにする友の叫びに、勇気は口を開けて高笑う。


『ハハハ。音楽が試験科目だと、ヒデローは音痴だから落ちるよ』


『筆記なんで問題なし! いいよな、勇気は。高校は私立と併願だろう?』


『いーや。僕も都立一本だと思うよ』


『どうして? 親御さんがダメって?』


『姉さんが大学行くし、都立で頑張って、ゲーム実況者を目指すよ』


『そっかぁ……そういえば、Aliceの新曲が――』


 先を歩く友が気を遣って話題をそらしている。クラスの担任なら無神経に「ご両親とよく話すべきだよ」と促すかもしれない。でも、長崎英郎はそれをしないのだ。


 そんな小さな優しさに、勇気は感謝している。いいや、大切にしたかった。


 いずれ、社会に出れば一人だ。今よりも、寂しくて泣きたい夜がたくさんくるはず。


 だけど、そんな夜を酒でも飲みながら、心を温めてくれる相手が恋しかった。


 好きなメロディーの中で、叫びたい思いを歌詞に乗せて、この思いを共感してくれる相手のそばで言わなくても通じる喜びを、長崎英郎と台田勇気は宝物にしていた。




「バイ、バ~イ♪ ――おっと、ヒデロー、これは?」


 去っていく親子に手を振る相方、英郎はそっと絵を渡す。


「勇気の絵だよ。カラオケボックスで、家族と一緒に『機動戦士ファイター・ロボ!』って叫んでいる絵だよ」


「へ~……家庭科目も捨てたもんじゃないね」


「どーいう意味だ」二人とも照れているのだ。「――鳥海さん、昼前だし、今日はこの辺で終わりにする?」


 シェリが残念そうに俯く。もっと遊びたいのかもしれない。絵をボディバックにしまう勇気が言った。「もしかして……表参道でランチタイム? 足立区民が嫉妬するね!」


「あ、いや……普段はこれで解散なんだよ」


 英郎の本音は、表参道のランチは高いので節約したい。


「うそでしょ?! せっかくの原宿だよ! 表参道だよ! シェリさんもたまにはランチしてもいいでしょ?」


「う~ん……」小さな口がすぼんでいるが、「人は決断力が大事なんだ! 迷っている暇があったら動こうよ!」


「……しょーがないな」なんと折れた。英郎は仰天している。


「そーと決まれば、シェリさん。表参道にヒデローがおすすめするハンバーガーショップがあるらしいんだ。そこへ行こう!」




 表参道の路地、とあるハンバーガーショップのドアが開く。


 レジの店員はマニュアル通りのスマイルでお客様を出迎えた。


「いらっしゃ――」ただ顔を見るや否や、声が裏返る。「台田!」


「え、シロタマ! なんで?」


「なんで、ってこっちの……」店員は連れの男で察する。「長崎ぃ~。みんなには内緒だって言ったのに!」


「ごめん。勇気がどうしてもって……」


 昨夜に城田がここでバイトしていることをちらり話したのだ。


まさか、相方が駅で待ち伏せするとは思わなかったので、今回の来店は想定外で、それはつまり、台田勇気が城田玉子を本気で好きという裏返し――。


「そんなことより、シロタマ。僕はお客さんだよ?」


 一瞬ギロリと睨むも、白い歯が眩しいスマイルだ、


「お客様、ご注文をどうぞ! おススメは、ロイヤルストレートフラッシュバーガーセット、三千円(税込み)……かしこまりました! RSF一つ入りまーす!」


「ちょちょちょ、何も言ってないよ!」


「まさか、冷やかしにきたの?」


「いやいや、とんでもない! その、ぼったくりバーガーを頼みます!」


「はい! では、この番号札をどーぞ!」


 テーブル席で三人は注文の品を待つ。パーティーセットらしいので、シェリと英郎は勇気におごってもらった形だ。「まったく、ひどい。二人も千円ずつ出してよ」


「俺はここを教えてやった」


「わたしはインタビューに混ぜてあげた」


 二人曰く、絶対に払いません、と意志が固い。まさかの出費で、残りの八月の予定が大幅に狂わされてしまった。トホホな勇気の元に、男性店員が大きなトレーを持ってやってきた。


「――お待ちどーさまでーす!」


 テーブルに置かれたトレーには、チーズたっぷりデラックスハンバーガー三つ、フライドポテトとチキンナゲットの富士山、コールスローサラダとシェイク、アップルパイもある。


 英郎がえげつない量を食べきれるか心配する一方で、シェリは初めて見るデカ盛りに感激し、スマホでパシャパシャ撮っている。意外な一面だった。


「あれ? 君はこないだも来ていたね。城田さんの彼氏でしょ?」


「あ、いや……」困惑する英郎の向かい、勇気は明るい口調で言う。


「僕ら、同じ高校なんですよ。彼と僕は城田さんの同じクラスで」


「へー……そうなんだ。ありがと、教えてくれて!」


 学生風の男子店員はにこやかにバックヤードへ戻っていく。


「おいおい、ヒデローさん。もしや、僕の恋敵になりたいの?」


 バーガーをかじる彼は細目で返す。「あの人がお前の恋敵だよ。たぶん」


「どーいうこと?」ナゲットをパクパク食べるシェリが訊く。


 そーっとレジの方を見つつ、小声で二人に話す。


「城田があの人に好かれているらしく、俺がこの前きたときに彼氏のフリをして一緒に帰ったんだよ。本人は付き合う気なくて、迷惑そうだったけど」


 その店員が城田に気があるかはわからないけれども、初対面の客に聞くあたり、上から見下ろす視線あたり、鋭利な敵意を感じたのだ。


「なんて……なんて、僕はバカなことをしたんだァ!」


 事情を知った勇気はスイカをむさぼるようバーガーを口に入れた。


 ぽろぽろレタスが落ちていく。「素晴らしい送りバントだったぞ」


「うるさい! 誰がアウトになるもんか! ホームランを打たなきゃ!」


「――遊びに誘えばいいじゃん」


 そのとき、シェリが言った。二人はその提案よりも、一人で五人前のナゲットを完食していることに驚くが。「――どうしたの?」


「そ、その手があった!」と、勇気が立ち上がる。


 英郎はポテトをシェリから死守すべく、すごい勢いでポリポリ食べ、山が崩れた。


「ヒデロー、今度の土日に遊園地へ行かないか?」


「ゆーえんち? 男二人で?」


「いいや、鳥海さんとシロタマも入れて四人だよ!」


「わたしも?」シェリがきょとん。「だって、僕とヒデローとシロタマの三人だと怪しまれるだろう? ここに鳥海さんが入れば、夏休みに遊びに誘っても、ただの思い出作りになるじゃん!」


「つまり、俺たちはこいつの恋の犠牲者ってことだよ」


「ねぇ、シェリさん。このポテトも全部食べていいから、お願いだよ」


「ほんと? 食べていいの?」


 幼心が爆発したのか、両手を使ってむさぼり始めた。


「勇気、俺がポテト好きだと知ってて――」


「カラオケで今度おごってあげるよ。――ねぇ、いいでしょう?」


 シェリは無邪気に微笑む。まるで、アイスを買ってもらった子供のよう、口周りに塩をつけながら、親指を立てて答えた。


 その後、四人は予定を合わせて来週の月曜日に遊園地へ行くことになった。




 明るい夏休みを送る高校生がいる一方で、暗い日々を過ごす者もいる。


 両親がそれぞれの部屋で寝静まった真夜中――押し入れを改造した、好きな歌手のグッズで心の拠り所こと研究室で、彼はヘッドフォンをしながらデスクトップパソコンで思うままの音楽を作っていた。


 俺の曲をAliceに歌ってもらいたい……歪んだ愛情が彼の想像力を掻き立てる。


 しばしの休憩時、スマートフォンでAliceについて調べていた。


 ゴスロリ衣装でゲリラライブするらしいよ、そんな情報が掲示板で話題になっていた。


 そして、アリスアリスという名で小説家デビューするらしい、とデマ情報も飛び交う。


 彼は気になり、調べた。すると、アリスアリスという著者の作品が出てきたのだ。


 その小説には、ゴスロリ衣装の少女が出てきた。名前は『上原アリス』だった。


 彼の錆びた頭脳の歯車がゆっくり動き始める。ゴスロリ衣装、ゲリラライブ、上原アリス……もしかして、代々木公園でライブをする暗号……Aliceは今、休止中……。


 行くしかない。彼は衝動に駆られた。恋愛という、魔力によって。

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