第2話 1

 八月五日、月曜日の正午過ぎ――


「じゃーん! 勇気、見てくれよ。このペンタブ!」


 長崎英郎は自慢げに先週通販サイトで買ったタブレットを台田勇気に見せる。


 二人は定番の日暮里のカラオケ店におり、お互いの近況を話していた。


「ごっそうさん!」しおラーメンのスープを一滴残さず飲み込み、「あ~、あの怪しいバイトで買ったの?」と返す。


「ああ。迷ったけど、買ってよかったよ。――コレ、すっごい感度よくて、漫画、デッサン、油絵とかタッチの多機能つき! めっちゃ、便利♪」


「へー、僕にもヒデローのような絵の才があれば使いたいね」


 勇気の画力は中の下ぐらい。気になるのはタブレットよりも、バイトの話だ。


「で、鳥海さんとはどんな感じなの? いい感じなの?」


「ただのバイトと雇用主なだけ。インタビューが終われば即帰宅だよ」


「なんだ、つまらないな」紙ナプキンで口元を拭き、「僕のバイト先なんか男ばっかでさ。鳥海さんのようなゴスロリ美少女はいないんだよ」


 勇気はシェリを見たことはないが、英郎から聞いた人物像を男子高校生の想像力で補っており、黒いゴスロリ美少女の正体が闇の魔法少女と妄想している。


「こっちからしたら、夏休みに海行く仲間がいてうらやましい。こんがり焼けちゃって、《チャラチキ》らしくなったな」


 勇気は先週、アルバイト先の大学生に誘われて湘南の海へ行き、北京ダックのよう肌が日焼けした。毎日風呂に入るのが苦痛らしい。


「《チャラチキ》はやめたまえ、この《エロー》が。そっちは謎の美少女と二人っきりでイチャイチャして……甘酸っぱい青春をわけろ、コノヤロー!」


 と、最後のお楽しみを盗られてしまう。当の犯人はゲス顔だ。


「あー! 俺のイチゴちゃんッッッ!」


「リア充には童貞の裁きを、だ!」


「リア充じゃないって! つーか、何で怒ってんだよ」


「僕だって、彼女がほしい! 二人きりで夢の王国へ行きたいんだ!」


「知るか! だったら、その辺でナンパしてこい」


「その辺とは、女性をなんだと思ってやがる。僕は本気の恋しかしないんだ」


「湘南に行った奴がよく言えるな……」


「社会を生きる上での社交辞令さ。――あ!」と海を思い出す。「小学校のとき、及川空斗おいかわくうとって覚えてる?」


「ああ、こけしっぽい。テストで満点取って自慢してた奴だっけ?」


「そーそー、海で再会した。あっちも男同士で『ざまぁ!』と思ったけど、通っている高校聞いたら驚いたよ。なんと、あのグ・ローリー高校だよ!」


 グ・ローリー高校とは、全国の保護者が愛する我が子を通わせるべく都内へ転勤を会社に願うほど、帝都大合格者数が全国一の文京区にある名門都立校で、ネットでの異名は《ロリコー》という……大した意味はないと思われる。


「へー、ロリコーとはすごい! たしか根山ねやま君もそうだよね」


 勇気の顔が曇る。「言いたかったのは、その根山君のことだよ」


「及川と一緒に来てたの?」


「いや、違うけど――」


 先週土曜日――海の家で会った及川に尋ねた。


『根山君ってわかる? 中学の同級生なんだけど、ロリコー通ってるんだよ』


 彼の表情が潮風のよう辛くなった。


『根山? ああ、俺と同じクラスの奴だな』


『へー、それはすごい偶然! 彼は今どんな感じ?』


『どんな感じも、落ちこぼれ。赤点スレスレのヤベー奴』


『そんな、根山君だよ? 《足立区の名探偵》と呼ばれた未来の警視総監だよ?』


『ハハハ! なんだよ名探偵ってバカなだけだろ――中学でトップだった奴も、ロリコーでは底辺なんてザラさ。警察官の親の都合で転学するって噂だな――』


 英郎は信じられない様子で、食べ終わった皿を見つめていた。


 根山礼司ねやまれいじは、トップ成績で中学校を卒業した秀才で、警察官の父親ゆずりの運動神経に、物腰柔らかな人柄が校内の不良や横柄な体育会系にも好かれて人望もあった。


 異名の由来は、マンガやドラマなどの伏線を見抜く特技があったからで、もちろん二人も同じクラスだったこともあり、親しみを持っていた。


 それは親近感よりも、名探偵特有の英雄感だったかもしれない。


「根山君が落ちこぼれ……か」


「僕もショックだった。全国の猛者と戦えば、《足立区の名探偵》でさえもちっぽけな存在なのかと……僕らはしょせん足立クオリティなのか」


「これが現実……というやつか」


 脳裏には都立校が名門校に挑んだ夏の甲子園予選、決勝戦――


 ちょうど相方とカラオケで熱唱していたとき、都立校は敗れていた。帰宅後、ネットの速報で結果を知った彼の心はしぼんでいた。


 見ず知らずの高校球児、同じ都立生がまぶしく見えていた。だけど、結果を知ったとたんにその光は消え、やっぱりダメだったかとボヤいていた。


 そして、顔も知らない相手に身勝手な期待をする無力で虚無な自分自身に気づく――。


 


 二人の気まずい沈黙を裂くよう、液晶モニターが場を盛り上げる。


「そこの、選曲でお悩みのあなた! 先週のカラオケランキングで、みんなが何を歌っているかチェック、チェックしちゃお♪」


 画面にはランキング形式で《TOP20》が表示されていく。その中に英郎の好きな歌手が入っていた。「そーいえば、根山君も《Alice》好きだったよね?」


 勇気の問いに、英郎は体の酸素を入れ替えるよう深呼吸する。


「新曲が配信されるとよく話していたな」


「なら、Aliceみたく根山君も人生休止中かな。同窓会にはきてほしいね」


「俺は根山君よりも、Aliceの復帰が待ち遠しい」


 ルームに響く、前足を失った子猫をなでるよう優しい歌声に、残酷な世界で生きる者は救われ、泣いている赤子が泣き止むよう、英郎はタブレットで曲を探す。


 《Alice》――二人が中学二年生の夏に、外資系動画配信サイトで人気アニメの主題歌をリリースしてから世界中でファンが増殖した、顔を出さない覆面アニメシンガーだ。


 彼女の歌声は高音域だが、時の流れに任せるバイオリンの音色のよう、雲が青空をゆったり泳ぐよう心を和やかにさせる一方で、ロックバンドのゲストボーカルとしても曲をリリースする。チャレンジ精神があり、事務所やファンの期待にも応えるアーティストで、イラストの清楚な美少女効果もあり、総再生数は五億万回を超える大人気ぶりだ。


 しかしながら、昨年末から声の不調から休止を発表して以来、一切の情報が世間にリリースされず、ネットではあらゆる憶測と考察が巡っている。


 たとえば台田説では、「正体はだるっだるのおばちゃん、じゃないの?」


 ギロリ、ヘビのよう睨んだ。「お前、いつからアンチに寝返ったんだよ!」


「別に寝返ってないさ。ロボの主題歌はよかったもん。ただ、Aliceの面白さを追求すると、夫にばれちゃってやめたんだよ。おばちゃんだって信者にバレる前に撤収した。あの美少女すぎる絵がまずかったんだよ。大きなお友達が正体に発狂して、事件起こしちゃうもん」


「Aliceに面白さはいらん! だるっだるのおばちゃんでもない! きっと、正体は中学生のアイドル声優で、高校受験で休止中なんだよ」


「中学生じゃなくてアイドル声優じゃない? 休止中に男遊びに夢中でさ、新曲出すのをサボっているとか? 同僚声優に寝取られて、体調不良で休んでいるんだよ、きっと」


「そ、そんなわけねーじゃん! Aliceに限って……そんな……」


 昨今の移り変わりが激しい女性歌手および声優業界を鑑みれば、アンチの意見を否定するほどの材料は持っていない。むしろ相方がからかい半分に見せてくる、《これが「Alice」の正体だ!》という、ネット掲示板で有力な説、五〇代のおばちゃんがカラオケコンテストで優勝し、美しい歌声を武器に覆面でデビューしたという、アンチの手描きイラスト、身勝手なイメージが真実に思えてくる。


 すっかり青ざめた親友に、勇気は口直しに甘いアイスティーで喉を鳴らす。


「ところで、ノベルノベルで応募したやつ、どうだった?」


「あー、ダメだったわ」


 ノベルノベルとは小説投稿サイトで、英郎はコンテストに応募していた。


「そっかぁ……現実は甘くないね」


「だなぁ……やっぱ絵が好きだわ、俺」


 ペンタブで気の向くままにペンを走らせる。


「鳥海さん書いて」相方はリクエストをしつつ、「やっぱり、マンガ家目指せば?」


「中学時代を思い出す」


「二次創作か……中学生に法律は難しいね」


 中学時代、英朗はSNSでマンガを投稿したことがあった。好きなマンガキャラクターの二次創作だった。一部ファンには好評だったが、熱狂的なファンには不評だった。


 それでも非営利で趣味の範囲で他のファン同様に描いていたが、ある日、作者から直々にアカウントを閉鎖するよう依頼があった。その理由は、『今後のストーリー展開に影響するため』と。ストーリーの伏線に触れた内容を描いたためだ。そして、その作品は二次創作を全面的に禁止した経緯があり、英郎はアカウントを閉鎖したが、スクリーンショットで保存した一部の過激ユーザーがネットで広め、作者へ誹謗中傷を繰り返す輩も出現したのだ。


 大きな騒動となってしまい、英朗は作者に謝罪して作者は許したものの、その出来事からマンガ家を諦めた。それでも、ストーリーを考えることが好きなので、小説家を目指しているものの、そもそもマンガ家を目指すきっかけ、アニメの世界へ飛び込みたい気持ちが日に日に熱くなっている。


 そのきっかけが鳥海シェリだ。


「――夢インタビュー、どんな人に聞くの?」


 ゴスロリ服でクレープを食べる幸せそうな鳥海シェリの絵を眺めながら台田勇気は尋ねた。


「大道芸人とか――あ!」


 英郎は先週の木曜日に出会った一人の男を語り始めた。




 その日――長崎英郎と鳥海シェリは代々木公園で物色していた。


 誰にインタビューするかは、相も変わらず黒一色の少女の直感なので、少年が気になる人を見つけても、シェリが気に入らなければ次の人だ。


 そのセンサーは独特で、人のよさそうな老夫婦に反応すれば、よれよれのスーツを着たおじさんにも反応する。ただ、真夏の暑さに負けることはなく、バイトが帰りたい顔をしても、涼しい顔で「働け」と注意する鬼教官だ。


「今日の気温、38度だし、少しは休もうよ」


「まだ二人しかインタビューしてないじゃん」


「いや、そーいう問題じゃないんですけど」


「つべこべ言わず、歩く」


 人使いが荒い少女と、セミがうるさい猛暑の広場を歩き続けたとき、


 ピコーン! シェリが立ち止まった。「長崎君、あの人!」


 その表情は表参道の路地で心ときめく新感覚なスイーツを見つけたようだが、指差す先には大きな木の下で、男がギターを弾く。ニンニク臭いラーメンのようだ。


「お前、俺と酔っぱらおうぜええええイイっっ! 仮面何か捨ててさ――」


 荒々しく弦を弾く姿に、英郎は躊躇する。「あの人はやめよ。なんか、ヤバい」


「ヤダ。あの人がいい」


 と、聞く耳を持たないゴスロリ服は歌を聴きに行く。


 少年は気が遠くなるも、「これも人生だ」と、滝行のよう苦行を選んだ。


 その男は頭にバンダナを巻き、袖を肩までまくった白Tシャツとボロボロのダメージジーンズで、ハーモニカをぶら下げていた。目の前に客はいないが、遠目にはサークルの集まりであろう学生が怖い物見たさで眺めているようだ。それでも男はギターを弾く。


 そのいでたちから英郎は担任の青野が好きな歌手を思い浮かべた。


 隣のシェリは盛大に拍手を送っているが。


 男は照れ笑う。「ゴスロリちゃん、聴いてくれてありがとぅーッ!」


 ハーモニカを豪快に鳴らす。音階などいらない、そうロックだ。


「ねぇ、はやく!」と、少女は遠目の少年を手招く。


 マジかぁ……憂鬱な気分で彼は尋ねた。


「あ、あの……少しだけ、お時間よろしいでしょうか?」


 男は何度か瞬きし、「俺に? いいけど」とクールに承諾した。


「すみません。実は、僕ら、夢インタビューというのを――」


「なにそれ? まさか君らカルトの勧誘? 俺、歌で羊どもを救うほうだから」


 男が怪訝な顔をするので、詫びて去ろうとするも、シェリが彼を制した。


 英郎が改めて説明する。「この子がですね、お兄さんの夢を知りたくて、聞かせてもらったお礼に、その夢を絵にしてプレゼントする、だけなんですが……」


「絵をプレゼントって……君、うまいの?」


「まー、こんなもんですが……」


 お手本に描いた機動戦士の絵を見せると、男はそのギョロ目を仰天させた。幼少期のゴッコ遊びを思い出したのだ。


「ファイター・ロボじゃん! チョー、なっつ! てか、うめぇ!」


 どうやらファンらしく、すっかり心を許したのか、男は地べたに座った。


「俺は多田孝義ただたかよし、三十三歳、独身、中野区在住。夢は国会で俺の歌をバカ議員たちに聞かせてやること! よろしくっ!」


 あーヤバい人じゃん、政治に疎い英郎は汗ばんだ右手をそっと拭く。


「あの、そーいう夢というか、持ったきっかけはなんですか?」


「あんま人に聞かせる話じゃねーが、俺のダチが自殺してな。それでだよ」


 踏み込んではいけない気がした。「……すみません」


「いーよ、謝らなくて」


 多田は銀歯を覗かせ、学生たちを見つめる。「俺もあいつも、あのガキどもみたく世間知らずだったからな。君らは若いんだし、頭よく生きなよ」


「……大学時代の友達だったんですか?」


「高校から。同じ野球部でよ、神奈川のケーハマって知ってる?」


「名門校じゃないですか?! レギュラーだったんですか?」


「俺がセカンドで、あいつがショート。お互いプロ目指したけど、甲子園行けなかったから、推薦で大学行ったけどダメで、お互いサラリーマン……」


 多田は言葉を詰まらせた。十年前の記憶がつっかえる。


 スポーツ新聞社に入社した彼は新社会人となった。


 持ち前の明るさと、野球部で培ったど根性精神でブラックな取材日程も乗り越えていき、合コンで可愛い彼女もでき、新しい環境をそれなりに楽しんでいた。


 だが、記者ゆえの、都会の多忙さからなかなか仲間と会う時間はとれない。


 五年も過ぎれば、後輩の数も増えていた。新人教育も任され、出世の階段を登っていたとき、街で偶然あいつに会う。『――中里? おい、中里!』


『多田か。こんなところでどうした?』


『神宮の取材、高校野球の。てか、お前。顔色悪いぞ、大丈夫か?』


 二年ぶりの、証券会社のあいつは顔がやつれていた。目の焦点が合っていない。


『サビ残の毎日だからな。――悪い。会社に戻る……また』


『そうか、大変だな。今度、飲みに行こうぜ!』


 あいつはその場を後にした。だが、社会人の《今度》は社交辞令だ。


 文字通り、今度は今度のままだった。


『あいつが死んだって、嘘ですよね?』


 再会してから半年後のことだった。多田は中里の両親からの電話で過労から自殺したこと、社内でいじめられていたことを聞かされた。上司によるパワハラ。仕事にかこつけて嫌がらせを受けていたらしい。両親が会社を相手に労災裁判を起こすと知り、多田は協力することにした。


 彼は同期の、社会部の記者に『この件を扱ってくれないか』と頼んだ。


 だが、彼は首を横に振った。


『アホか! うちのスポンサー様にケンカなんて売れるか!』


『だけど、労災裁判は報道する価値あんだろ! お前に記者魂はねーのかよ!』


『多田、大人になれよ。スポーツ新聞だぞ、俺らは。ガキじゃねーんだ』


 新聞社と言えど、広告料なくして経営はできない。多田も企業人、新聞記者として取引先及び取材先への忖度は理解している。しかしながら、何度も週刊誌へ頼みこんだ。


 このことが上司に知られてしまい、


『多田君、有給が余ってるね。少し休んだら?』


 と、彼は事実上の謹慎を告げられた。そのとき、彼の中で何かが壊れた。いや、壊したくないモノに気づけた。


『そーすね! 休むついでに、会社辞めますわ!』


 きょとん顔の上司をあざ笑い、颯爽と会社を出ていくのは気持ちがよかった。


 だけど悲しいかな、会社から出てすぐに涙があふれてきた。


『多田。俺が出世して部長になったら、取材してくれよ』


『いーぜ! その代わり、たんまり未公開株教えてくれよ』


 高校の、卒業式で笑っていたあいつの顔を思い出す。何度も練習で見た顔だ。でも、グラウンドで青空を見上げたあいつはもうこの世にはいない。青空にもいなかった。


 その後、裁判は負けた。中里両親に最高裁まで戦う気力はなかったからだ。


 だが、多田は戦い続けたかった。死んでいったあいつのために、あいつの無念を忘れないために、『ざっけんなッ! バカ野郎がッ!』と丸の内で叫んだ。


 警察に職務質問を受けた。『無職ですけど、何か?』


 気持ちよかった。社会の仮面を捨て、生身の自分が国家権力と対峙する。スポーツ新聞の記者がそんなことをすれば全国紙の報道部や社会部にどれほど怒られるか……。


 気づけばギターを買っていた。コードはわからない。


 でも、子供みたく無我夢中で弦をひっかいた。それがまた、気持ちよかった。


 虚無感とはほど遠い、エクスタシーに近かった。そして、また叫ぶ――。




「――サラリーマンは仮面被って、いろいろ我慢してんのよ」


 継いだ言葉は目の前の子供にとって、はてなマーク、とても大人びていた。


 少年が首を傾げ、「急にどうしたんです?」と訊く。


「いーや、なんでもない。ところで、君らの名前は?」


「俺が長崎英郎で、この子は鳥海シェリです。同じ高校で」


「へー、高校生?! 付き合ってんの? イイね!」


 シェリがきっぱり、「違います!」と即答だ。


 申し訳なさそうに、「なんか、悪いな」と英郎に謝る。


 よくある間違いで、もう慣れた。「大丈夫です。――多田さんは、ストリートミュージシャンなんですか? バンドじゃなく?」


「そーよ! ぜんっぜん、売れないからコンビニバイトでフリーター生活五年目、実家の親に怒られっぱよ。仲間はもう出世して、俺のことをバカにしてくっけど」


「会社員だったんですか?」


「ダチが自殺したっていったろ。それきっかけで脱サラして、このぶっ壊れた社会に向かって叫んでんの。まー、自己満足だね」


「楽しいですか?」シェリが口を挟む。多田は驚くも、「なんせ、自由だし。公園のど真ん中で、大声で歌うって気持ちーぞ。おじょーちゃんもやってみっか?」


「けっこうです」冷たく即答だ。


 しょんぼり肩を落とす多田に、英郎が続ける。


「あの……さっきの歌はその……亡くなった友達のことですか?」


「そーだけど、半分は俺だな。――俺さ、野球だけやってきて、あんま人生について考えてこなかったのよ。いわゆる思考停止人間で、与えられたことをこなしていれば生きられる、仮面人間って言うんかな。だけど、それはフツーじゃないって。自分の心ぐらいは考えなきゃって、あいつが死んで気づいて、仮面を捨ててギターを持ったのさ」


「そー、なんですね」


「でも、ぐーたら歌ってばっか。そろそろ雇われ店長に転職よ」


「え、やめるんですか?」


「俺だってバカじゃねーよ。親に孫の顔ぐらいは見せたい年頃さ」


「え、彼女いるんですか?」


「お前……人をバカにしやがって! これでも付き合って三年目だぞ! チャイニーズパブで知り合った、スーちゃんだ」


 と、スマートフォンで画面を見せる。なかなかの美女のようだ。


「ま、年内で辞めて――」楽しそうに笑う多田に、「やめないでください!」と、シェリが声を張った。「おいおい、なんだよ……」


 唐突だった。冗談に思えるも、背筋はしゃんとしていた。


「多田さんの曲も歌声も素晴らしいです。だから、やめないでください!」


「なんか……照れるじゃん。――でもな、最近は誰に歌ってっか、わかんねぇ。ガキに笑われるのも慣れちまったし、第二の青春も潮時なんだよね」


「その『誰か』は絶対にいます! それが歌です! 誰かを救っているんです!」


 力強かった。少年が知らない少女がいた。


 多田はハッとしたよう、「――だな。歌ってそーだな」とギターを鳴らし、奮起したのか、重い腰を上げる。「よっしゃー! 歌うぞ、コノヤロー! 聞きたきゃ聞けイィッ!」


 そのとき、学生の一人が叫んだ。「俺と酔っぱらおうぜっ!」


「だな! 何かに酔っていたほうが人生だ、楽しいぞ!」


 ニヤリと多田はハーモニカを吹き、「ガキども、行くぞッ!」とシャウトだ。


 シェリも手拍子を送る。その傍ら、英郎は絵を描く。


 シンメトリーの国会議事堂前で、ギター一本持った男が一人叫ぶ様子を――。


「政治家の、バカヤロオオオオオオッッッッ!」


 と、多田が叫んだときだ――


「そこの男。やめなさい!」 


「やべー、ポリスメンだ!」国家権力、警察官二人がやってきたのだ。


 多田は慌てて逃げる。なぜなら、無許可だからだ。


「今度また会おうぜ! 絵、ありがとな!」


 


「――で、警察に事情をきかれたと。そのバイトも大変だねぇ~」


 と、勇気は多田の話を簡素にまとめた。そして、感想を話す。


「叫ぶっていいよね。僕も家で叫びたくるなるからさ」


「そっか。じゃ、Alice歌うか!」


「Aliceは男じゃムリだって……」


 マイクを握る英郎は勝手に曲を入れる。


 呆れるぐらいなら、と勇気もマイクを握った。いつものパターンだ。


 二人は何かに向かって、言葉にならない、行き場のない思いをぶつけ続ける。


 男子高校生二人、カラオケボックスとジュース、それでも十分に酔えた気がした。

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