無双の細道~科挙(デスゲーム)に参加するので一句詠む~
タカテン
第一話:芭蕉、科挙に挑む
科挙はデスゲームである。
隋の時代に作られた、広く世の中から才能あふれる人物を登用する為の国家試験・科挙。
しかし、その合格者は数千人、数万人の中からの一握りであった。この時点ですでにデスゲームの素質が十分にあったと言えよう。
そこへ
『科挙は賢くなくては
なんてことを元王朝の初代皇帝・世祖フビライが言い出した。
そう、フビライは元王朝を建国するに当たって、この科挙に新たな要素・強さを求めたのである。
かくして科挙は元の時代にそれまでの学問一辺倒から刷新、知力だけでなく武力も求められるようになって正真正銘のデスゲームとなった。
三年に一度、科挙が開催される度に築かれる死屍累々の山。それでも挑戦する野心家は決して減らない。
何故なら科挙に合格すれば本人は勿論、一族の繁栄まで約束されるのだ。
故に彼らは命を賭して科挙へ挑む。
己の未来を掴む為に。
己の運命を変える為に。
そしてごくごく稀に――ちょっとした力試しの為に。
「ば、馬鹿なッ! こ、この俺が、こんなところで……」
さて、フビライによる科挙大革命から数百年後。
周囲をいくつもの鉄の扉が配された洞窟のホールにて、ひとりの男が息も絶え絶えに地面へ膝をついた。
かつて科挙と言えば
今回用意されたのは世に言う『死の迷宮』。複雑に入り組んだ洞窟には様々な謎と罠が仕掛けられており、間違えば死が待ち受ける比較的ポピュラーなものだ。
男はその死の迷宮を終盤まで見事に踏破してきた。
歳は二十代半ばと言ったところ。精悍な顔つきと恵まれた身体からは、漲るばかりの才気を発している。
しかしそれもつい先ほど前までのこと。今や顔も身体も擦り傷だらけ、着ている服もぼろぼろ。大切にしていた筆も放り出し、唯一の頼りである右手に握りしめる剣も無残に折れ曲がっているとあっては、その未来はもはや風前の灯よりも儚い有様であった。
「くそっ! 聞いてない! 聞いてないぞ、郷試ごときでこんな化け物が出てくるなんて!」
『郷試』とは言うならば科挙の地方予選のようなものである。ここで合格した者だけが、科挙の本試験である『会試』へと進むことが出来る。
とは言っても郷試に受かる者はごくわずかで、合格した者には下級とは言え官職が与えられるほどであるから、いかに予選と言えども難関であったかが分かるであろう。
「俺はッ! 科挙に合格して天子様の下、民を安寧な世へと導くのだッ! それが俺の天命ッ! なのに、それがこんなとこ――」
だが、その郷試さえも男にとっては合格して当たり前。目指すべきは会試でも良い成績を残して、国家権力をその手に握ることであった。
しかしそんな男の野望が今、唐突に終わりを迎える。
バケモノによる巨大な斧の一振りで、首と胴体を無残にも切り離されて。
ウモモモモモォォォォォォォォ!!!!!
男を葬り去ったバケモノが、聞く者の心胆を寒からしめる声で吠えた。
その声は洞窟内に響き渡り、ここまでなんとか生き残った数少ない受験生たちへ絶望を与えるに十分であっただろう。
が、
「へぇ。こいつは面白れぇ。
新たに開いた鉄扉から姿を現したその若者は、さも楽しそうに口元を緩めた。
黒々と日焼けした肌の、小柄な男だ。肉付きは決して悪くはないが、まだ二十歳にも満たないであろう身体は全体的に細く、先の男と比べるとどうしても見劣りしてしまう。
「
それでも若者は全く怯む様子を見せず、むしろ物珍しいものを見た喜びを表すように破顔した。
身長にして自分のおよそ二倍、体重に至ってはさらに数倍を誇るバケモノを前にして、まるで子供のような振る舞い。おつむの緩いとんだ阿呆か、それとも――。
ブモォォォォォォォォォォォ!!!!!
そんな若者の態度が気に入らなかったのか、或いはこの郷試最終エリアに入って来た者は全て殺せと命令されているからか、はたまた単純にバケモノとしての本能なのか、牛男が咆哮を上げて若者へと突進する。
巨体に似合わぬスピードと、その体躯よりもさらに大きく感じる圧力。常人ならば足が竦み、一瞬のうちに吹き飛ばされてしまうだろう。腕に自信を持つ者ならば躱すことも出来ようが、
「おっ! 意外に小回りが効きやがる!」
避けてもすぐに反転し、再び猛進してくるとなれば反撃に出る暇もない。
躱しても躱してもぶち当たるまでは決して止まらない死の暴走列車。なれば躱し間際、生と死が交差するその一瞬に何らかの反撃を試みるしかないが、先に処刑された男の剣が折れ曲がっていたように、牛男の身体には生半可な力など通じない。
「はてさて、こいつを倒すにはどうするべきか……」
ひょいひょいと牛男の突進を避けながら、若者は思案を巡らす。
足取りはまだ軽く、体力には余裕が見られる。しかしいかんせん、若者は手ぶらであった。
今や知力だけではなく、武力すらも持ち合わせなければ生きて先に進めぬのが科挙だ。まさか手ぶらで参加したわけではなかろうから、おそらくはここまで辿り着く途中に失ってしまったのだろう。
つまりは絶体絶命。若者にこの場を切り抜ける力はない。
にもかかわらず若者の表情は依然として無邪気な少年そのものであり、しばしの思案の後、不意に「こいつで行くか!」と何かを思いついたようで、ニカッとその日焼けした顔に白い歯を覗かせた。
「牛のバケモンよ、てめぇがどれほどのものか試してやるぜ!」
若者はふわりと宙へ身を舞って突進してくる牛男を躱すと、その肩を足場にしてさらに高くジャンプ。
その跳躍が天井近くの頂点に達したその時、若者の朗々とした声が洞窟に鳴り響いた。
『
それが俳句であることを牛男はもちろん、仮にこの場に他の受験生たちがいたとしても分からなかったに違いない。
何故ならここは大陸の国。遥か東の島国で生まれたこの文芸を知る者などいるはずがないからだ。
ただ、その言葉の響きに誰もの頭の中で、瞬時にしてとある風景が再現されたであろう。
五月の清らかな空に紙で作られた鯉のぼりが泳ぐ下、山伏が背負う笈と立派な太刀が飾られているその情景が――。
「ふっ。笈と言ってもただの笈じゃねぇぜ。こいつはかの武蔵坊弁慶が背負っていた笈さ」
もっともこの俳句を耳にする牛男は、そんな長閑な情景に空想を遊ばせている暇などなかった。
なんとただの言葉遊びのはずが、あろうことか空に浮かぶ若者の傍に、突如として
バケモノと言えども世の道理に反する出来事に驚愕せざるえない牛男。
しかもその笈が光を放って開いたかと思うと、その眩しさに思わず瞑ってしまった瞼を牛男が開けた時には、若者の姿が一変している!
「その武蔵坊が背負っていた笈の中から出てきた
立派な鎌倉武者の出で立ちとなった若者が洞窟の天井を力強く蹴り上げると、凄まじい勢いで牛男目がけて急降下する。
思いもよらぬ展開に混乱した牛男だったが、この反撃で我に返ったのか、すかさず雄たけびをあげて斧を構えて迎撃態勢を取った。
いくら素早いと言っても所詮は身動きの取れない空中からの攻撃、タイミングさえ合わすことが出来れば若者を容易に撃ち落とすことが出来よう。
若者が身に纏った鎧は気になるところであったが、しかしそれとてかの怪力の前では無きに等しい。鎧ごと真っ二つに叩き割ってやると牛男は渾身の力を込めて若者へと斧を振り払う。
キィィィィィィンンンッッッ!!
しかし、次の瞬間に洞窟に響き渡ったのは斧で叩き割られてひしゃげる音ではなく、もっと高音の、金属同士がぶつかり合う音であった。
「おいおい、ついさっきのことなのに忘れちまったのかい? 俺は『笈も太刀も』って詠んだはずだぜ?」
いつの間に現れていたのか、若者の手には立派な太刀が握られていて、牛男の斧を見事にいなしていた。
それでいて折れ曲がるどころか刃こぼれひとつしないでいるのは若者の腕か、それともよほどの名刀か。もしこの光景を目にする者がいればさぞかし驚いたであろう。
しかし、驚愕はこれで終わらない。
「あらよっと!」
若者は斧を見事にいなして避けるとその柄を蹴り上げて飛ぶ。
さらに牛男の腕、肩、胸、背中、頭と蹴り上げて跳ぶこと八回。その度に姿勢を崩す牛男は、ついに若者の姿を視界に捉えられぬほどに首を垂れた。
「はっはっは! これぞ源九郎義経様の八艘切りよ!」
その首めがけて若者は手にした太刀ごと空中から降下。
牛男のまるで大木のような首は、しかし、あたかも豆腐へ包丁を忍ばせるが如く音もなく切り落とされた。
「さすがは義経様の太刀、切れ味ハンパねー!」
はしゃぎながら牛男の背後に着地する若者の姿はすでに鎧もなく、太刀も消え失せていた。
日焼けした健康な若者らしい体躯ながら、そのまだ発達途上の身体からはとても彼が牛男を倒したとは思えないだろう。
「おっと!」
しかし、事実として牛男は首を刎ねられ、その巨体がゆっくりと背後へと傾き落ちる。
「なんだよ、武蔵坊は立ったまま絶命したんだぜ? てめぇもバケモノならそれぐらいしてみせろってんだ」
牛男が自分の方にめがけて倒れ落ちてくるのを避けながら、若者が眉間に皺を寄せて毒づく。
が、すぐに満面の笑みに変わると
「ま、とは言っても稀代の英雄・源義経の業と装備を、この天才俳人・松尾芭蕉様が使ったんだ。倒れて当たり前か。わっはっは!」
満足げな笑い声を洞窟に響かせた。
松尾芭蕉。この時、御年18歳。
この話は「彼こそが俳句」と謳われた若き日の松尾芭蕉が、異国の最難関国家試験・科挙に挑戦したという、これまで誰もが知り得なかった史実である。
〈作者より〉
こんな感じのおバカコメディです。毎日、お昼ごろに更新します(初回は二話更新!)ので気に入っていただけたら作品フォロー、さらに面白かったら☆をお願いします。
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