第3話

 僕は両親のケンカが始まると、決まって見て見ぬふりをしていたと思う。方法は簡単。一人遊びをして見ないようにするのだ。僕は、決まって、ウルトラマンのソフビ同士で戦いをさせて両親のケンカを見ないようにしていた。きっと、それは、小さい子どもながら現実逃避しようとしていたのだろうと今考えるとわかる。誰に教えられるわけでもなく、本能的にそういった行動をしていたのだろう。

 だけど、怒鳴り声は、僕の頭の中をグラングランさせて、おもちゃで遊ぶのと同時に、怯えながら恐怖と戦っていた記憶が強く残っている。面白いことに、当時のことを思い出すと、そういった感覚までもが記憶に残っている。何十年も古い記憶にも関わらず。それ程深い爪痕なのだろう。


 僕たち夫婦は完全に尻に敷かれている典型的な夫婦だと思っているし、周りからみてもそのように写っているようだ。言い争いのような夫婦喧嘩も付き合っていた頃から結婚した現在までも、数えるぐらいしかしたことがない。

 その中で、子どもの前で妻に反論してしまい、夫婦喧嘩に発展したことがあった。その時の子どものひきつった様な表情は今でも忘れられないし、恐怖心を植え付けてしまったかもしれない。自分がこんな経験をしているのにも関わらずだ。当人同士は意見の食い違いにやる友達同士とするような軽い言い合いだったけれども、それでもやはり子どもにとったら恐怖でしかないのだということを強く感じた。

 だから、今の時代メールがあるのだから文句というか反論は、そういったものを活用するようにしている。もちろん文面から怒っている感じとかは伝わるけれども、声を張り上げたり、怒鳴ったりっていうものはないからヒートアップはしない。文章を書いている間に色々考えて、冷静になり、素直に本人へ直接謝罪しに行けている。なにより、子どもにそういった場面を見せるリスクが少ないっていうのが最大の利点だと思っている。

 子どもの居る場面での夫婦喧嘩が始まった際は、まずは子どもの表情を見てほしい。あの苦しい思いを一人でも多く経験せずに育ってほしいと思う。


そして、次の嫌な記憶は5歳位の時のものだろうか。相変わらず夫婦喧嘩は絶えず、この頃には、何度も夫婦喧嘩から祖母の家に母と帰るということも多くなってきていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る