第51話

「……モモカさんは3人の内、誰?」

 鑪場幽鬼たたらば ゆうきとされた少年は怒りの感情に支配されていました。焦がれた人に恋人が居たとか、それが同性だったとか、自分は覚えられていなかった等、それなりに理由はありましたが、今の彼にとっては些細ささいなことです。

「匂いが強くてわからないんだ」

 校内は匂いの痕跡が多く、嗅覚きゅうかくにぶっている今の幽鬼には3人の内誰が誰かはわかりません。

 また、怒りのボルテージに呼応する様に、とうに動かない心臓から冷たさが幽鬼の内を通って外へと洩れていきます。3人の少女は幽鬼の質問へ答えることはありません。唇を真っ青にしながらひどおびえ、体に力が入らないのか座り込んでしまいます。幽鬼から発せられる冷気が彼女達から熱を奪っているのです。

「答えてくれないんだね……」

 幽鬼はそういって帽子を取ります。鑪場八雲やくもから言いつけられた目的をどこかに追いやり、今この時をもって人の境界線を踏み越えました。溢れ、収まることのない憤怒ふんどに応えるかのように、額から2本の角が盛り上がり脈打ちます。幽鬼の体はいびつに膨らみ始め、相反して手足が痩せ細ると、彼は完全に人で無くなりました。

「なら1人ずツ聴くヨ」

 眼下の少女達は顔面蒼白であり、呼吸は途切れ途切れで誰が見ても死にかけているのがわかります。しかし、人で無い幽鬼の視力はそれを理解できません。手近な1人に手を伸ばし、首を掴んで己へ近づけます。

「か……ひゅっ」

 幽鬼の固いゴムの様なてのひらは芯の無い冷たさで、宗像樅むなかた もみから熱を確実にうばっていきます。生気が失われ、更に蒼白した樅の顔を幽鬼は食い入る様に見つめた後、匂いを嗅いだ途端に興味を失いました。

「君じゃない」

 首の拘束を解かれた樅は地面へ落とされ、力なく仰向けの状態で横たわります。か細い呼吸で辛うじて生きているのが見て取れますが、このままではそう長くはないでしょう。

「ドっち?」

 幽鬼は2人に問います。しかし、彼女達に応えられる余裕はありません。0℃を超える冷気が幽鬼から発せられており、間近でそれを浴びることで体温が急激に低下しているのです。意識が朦朧もうろうとして思考すらままなりません。

「どうシて……答エてくれなイのかナ」

 幽鬼の怒りは一周回って冷静さが増してきました。同時に溢れる冷気も温度が下がっていきます。

「次はキミd……っ!!」

 樅と同じ様に設楽愛莉しがらき あいりを持ち上げると、すぐに手を放してしまいました。首を掴んだ瞬間、自身の右手に異常な熱を感じたからです。右手からは腐敗した肉を焼いたような匂いがただよい、稲妻いなずま状の白い傷跡が刻まれていました。

「なラ……」

 怪我のない左手で津名萌々果つな ももかを掴むと、幽鬼は確信します。彼女こそが探していた人物だと。ずっと焦がれ、人で無くなっても逢いたかった愛おしい人だと。

「アいたかっタ……アいたかッタ、モモカサン!」

 嬉しそうなトーンで幽鬼は萌々果に微笑みかけますが、当の萌々果は力なくグッタリとしています。当然でしょう。寒さで体を動かすことが叶わず、思考はまともに行えず、追い打ちの様に首が圧迫され、命のともしびは消えかかっているのですから。

 幽鬼が愛おしそうにウットリと萌々果を見つめ始めると、幽鬼から萌々果の体へ冷気が伝っていきます。そんな時でした。

 突如とつじょとして咆哮ほうこうの様な爆発音が鳴ったかと思うと、パキンと大きく音を立て、何かガラスの様なものが砕け散りました。

「ジャマ……スルナッ!」

 怒りをあらわにして、より化物へと近づいていく幽鬼がにらんでいたのは1人の少女でした。愛嬌あいきょうのある顔立ちと、黒いウルフカット。

「邪魔するよ、残念だけど」

 そう言って天城秋葉あまぎ あきははニコリと笑いますが、眼は笑っていません。ただ怒っています。

「ところで……愛莉に何かした?」

「ナニモ」

「そう……そしたら津名さんには?」

 幽鬼は首をかしげると、子供が玩具を独占するかの如く、萌々果を自分の元へ抱き寄せました。化物が駄々を捏ねる様は不気味なものです。

「アゲナイ」

「津名さんは物じゃない……よっ!」

 秋葉は地面を蹴り幽鬼へ向かって走りだします。肉薄する寸前に両手を鉤爪かぎづめ状にして、幽鬼の腹へと押し付け吹き飛ばしました。

「ァ”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”!!」

 悶え苦しむ幽鬼には先程の様な稲妻状の白い傷跡が見え、腐った肉の焼ける匂いが広がり始めました。秋葉はいつの間にか萌々果と愛莉、樅の3人を片腕でかかえ幽鬼と距離を取っています。

「あぁ、こんなに傷ついて……」

 まるで我が子を慈しむかの様に愛莉の頭を抱きかかえ、涙を流します。

「カ”ェ”セ”ッ! カエセ!!」

 化物の言葉が頭にきたのか、秋葉は優しく愛莉を寝かせ、静かに立ち上がりました。

「……さん。許さん許さん許さんっ!」

 秋葉が瞳孔を開いてギロリと幽鬼を睨みつけると、ゴロゴロと遥か上空で雷鳴がとどろき始めました。

「わぬしの様な餓鬼がきごときが……愛莉を傷つけたのは絶対に許さん!!」

 秋葉の瞳に、先程よりも激しい怒りの炎が燃えたぎると、彼女のスカートが盛り上がって、ボリュームのある黒いしっぽが出現します。そしていつの間にか頭にはスラリとした狐の様な黒い耳が生えていました。

「わぬしを刀途とうずへ送り返してくれる!!!」

 天城秋葉は人ではありません。しかし、人と共に平和を生きていたのでした。






【後書き】

餓鬼の解釈は「♀ガキとおじさん」が秀逸で素晴らしいと思います。

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