第50話a

 『今から10分間、準備にお時間を頂きます。少々お待ちください』

 のんびりとした司会進行の声とは真逆に、降りきった壇上だんじょうの幕裏では、クラスメイト達がせわしなく準備を進めている。

「めっちゃ緊張してきた……」

 劇をやるというだけでいろいろなことが脳裏をよぎって気が落ちるのに、主役というのを考えると余計に下降していく。

いばらさんなら大丈夫。いっぱい練習してたし」

「そうは言うけどさー……やっぱ怖いって」

 緊張し続けるボクを心配してか、幕裏まで付いてきてくれた小津おづさんがはげましてくれる。

「よく聞くのは、観客を野菜に見立てるってのなら知ってるよ」

「ボクにはあんまりわかんないんだよな、その感性」

 つーかどこ発祥なんだ。

「もしくはてのひらに人って文字を書いて飲み込むとか」

「それで緊張がほぐれるなら、最初から緊張なんてしてないと思うんだ」

 所謂いわゆるプラシーボ的な効果なんだろうけどさ。

「ちゃんと反応出来てるから、荊さんなら大丈夫だと思うよ。それに理事長の娘ってことは、そういうパーティーとか出るんでしょ?」

「う”っ”、何で知ってんの……」

「テキトーに言っただけなんだけど、当たるとは思わなかったかな……」

 ホントにあるんだ、といった様な視線を小津さんは向けてくる。ボクが自爆しただけだわ。

「まぁ……とりあえずだけど、緊張は解けたんじゃない?」

「言われてみればそうかも。ありがとう小津さん」

「別にいいよ、私達友達でしょ」

 小津さんはニコりと笑い「それじゃそろそろ私行くね」と立ち去ろうとした所でクラスメイトから声がかかる。

「小津さん、天城さん見なかった? 照明の準備中なのに見当たらなくて」

「見てないけど……うん、照明なら私がやろうか?」

「「え」」

 ボクとクラスメイトの声がハモる。

「秋葉のことだから……まぁ。それに、照明の動きは見てたしできるよ」

「なら急で悪いけどお願いしていいかな!」

「うん、大丈夫。それじゃ、頑張ってね荊さん」

 小津さんはそう言ってボクに手を振ると、クラスメイトの後ろを歩き幕裏から居なくなる。

 うーむ。小津さん1人で衣装をデザインして作って着付けもする。それでいて照明の動きも覚えるって、なんかいろいろ凄いな。あれかな、さっきこぼれてた趣味のコスプレからの延長なのかな。

「ハクさん、今さっき弥子みこさんを見かけたんですけど、何か知ってます?」

「ボクにエールをくれてたのと、これから照明やるんだって小津さん。てかギリギリだなアカネ」

 ボクと同じく、不思議の国のアリスの重要なキャラクター、三月兎役のアカネがようやくやってくる。

 頭には大きなウサ耳のカチューシャ、チョッキは裾が燕の尾の様に形作られ、タイツ越しの細身な足がショートパンツから伸びている。時計やチェーンの装飾が各所に散りばめられており、豪奢ごうしゃな印象を受ける。

「えへへ、ごめんなさい。一回トイレ行くと、この衣装着るのが大変で……」

 だろうなぁ。ボクも着させられる前は入念にトイレ行ったか確認されたし。

「それにしても弥子さんすごいですね、うちとハクさんの衣装作ってるのに照明って……」

「なんならデザインもしてたし、他の衣装も作ってた様な……」

 アカネと2人で深く頷く。うん、これ以上考えるのはやめておこう。



『『席はないよ! 席はないよ!』』

 帽子屋に三月兎、ねむり鼠がやって来たボクアリスをみてそう叫ぶ。

『いくらでもあるじゃない!』

 ボクはむっとした演技をしながら、テーブル端の席へと座る。

「アリスの子、やっぱり可愛いね」

「(ぐっ……)」

 客席代わりにパイプ椅子の並べられた体育館からそんな声が聴こえてくる。劇が始まった時もそうだったけど、めちゃくちゃ恥ずかしい。思ってる以上に観てる人の声が聴こえてくるし、小津さんの言う通り野菜に見立てておけばよかった。

『ジ、ジュースでも飲みますか』

 アカネ《三月兎》も緊張が解け切らないのか、セリフに少し詰まってしまう。

『そんなものないじゃないの?』

「あー……ないんだっけ?」

 セリフが飛んでしまったのか、帽子屋とねむり鼠へ素の反応で聴いてしまう。いやでもナイスアドリブ! これならまだセーフ!

『ないものを勧めるなんて、礼儀しらzっ!?』

 ブツンと大きな音を立て、あらゆる照明が一瞬で消える。体育館に居る全員が動揺し、演出ではなくトラブルなことが観客へと伝わってしまう。

 司会進行役の生徒もマイクを通して話すが、スピーカーが通電していない為喧騒けんそうに声を掻き消される。何がいったいどうなってるんだ。

 体育館内の動揺は酷く長く感じたが、実際は1分にも満たなかった。電気が復旧すると、だんだんと落ち着きを取り戻していく。

 だが、校内放送の内容のせいで体育館内はまた騒がしくなる。

「大変申し訳ございませんが、現時点を持って体育館内の演目は全て中止させていただきます。停電原因が不明なこともあり、安全面の都合からこの様な判断とさせていただきました。来校者及び生徒の皆さん、大変申し訳ございません」

 校長の声で流れるそんなアナウンスは、何度か同じ内容が繰り返された。

「荊さんっ!」

 幕裏で困惑していたボク達の元へ小津さんが走ってやってくる。

「そんなに急いでどうしたの小津さん?」

「いいから来て!」

 理由もわからずアリス服を着たままボクは小津さんに引っ張られる。ボクを含む、壇上のクラスメイトは全員ポカンとした表情になる。

 さっきの停電といい、マジで何がどうなってるんだ。






【引用元】

『不思議の国のアリス』 (角川文庫 福島 正実 訳)

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