第47話

 年季が入りカビ臭さを感じる漫画喫茶の個室で少年はまぶたを開けます。個室とはいっても、色におぼれるカップルの声が聴こえてくる程度には、薄い壁ですが。

 充電ケーブルの刺さったスマホを確認すると、現在の時刻は6時半。規則正しくはありますが、少年は小さな声で不満を吐きます。

「まだ何もないのか……」

 あの人からこの漫画喫茶で待機しろと言われ、そろそろ3週間が経とうとしています。リクライニングに体重をかけ、忌々いまいまし気に天井をにらみつけると、瞼を閉じて感情をのみ込みました。人間の頃を思い出す様に。

 彼は既に人間ではなく、人の形をしたナニカ別の者です。少年が人の様なナニカになってからは既に2か月が経過していました。

 どうやって自分が事故から助かったのかは覚えておらず、誰も、あの人でさえも教えてくれません。家族はとうに居らず、学校にも通えていない彼は今、孤独です。

 孤独の苦しさを味わっている彼の名は『ユウキ』人ではないナニカです。

 人で無しになっても、ユウキからは人間の頃の癖が抜けませんでした。眠れること無く、食事はほぼ摂れず、汗をかくことも無い。それでも彼は目をつむり、液体で腹を満たし、シャワーを浴びます。

 毎日決まった時刻に活動を始めるのは、人でありたいという願望による無意識下での行動なのだとユウキは結論付けました。そしてそれを続けています。少しでも人で居たい為に。

 ユウキが朝のシャワーから戻ると、スマホに1件のメッセージが入っていました。

『待たせてしまってすまないね。今日がその予定日だ。地図の場所へ向かってくれ』

 あの人から送られてきたメッセージには地図へのリンクが添付てんぷされていました。ユウキはそれを確認すると、出かける準備をします。

 肌を露出しないよう長袖を羽織り、スポーツキャップを目深に被るとを荷物を纏めて個室を出ます。

 もうここへ戻らなくても良い様に。



 ユウキが駅のホームへ降り立つと、通勤ラッシュは終えたものの、まだ大勢の人でごった返しています。可能な限り人との接触を避け、改札口へと抜けていきます。

 ロータリーまで降りると、懐かしい匂いが漂ってきました。幼い頃に恋い焦がれたあの子の匂いです。ついつい匂いへひかかれるユウキでしたが、あの人との約束を思い出し目的地へと足を向けます。

 1月の快晴は寒さこそ残っていますが、ユウキの様な人外にとって天敵以外の何者でもありません。フラフラとした足取りで休みながら目的地へと向かいます。はたから見れば挙動不審ですが、時間帯的に人通りは少ないのが救いでした。

 電柱の作る小さな影で、今日何度目かの休憩を取ってる時です。駅に降り立った時よりも、懐かしい匂いが濃くなっているのに気が付きました。人外化したことにより鋭敏化えいびんかした嗅覚は、あの人から指示された場所に近いことを教えてくれました。

「ようやく会える……っ!」

 ユウキの体に活力が湧きます。小蔭を出ると、ジリジリと日光が体力を削ってきますが、彼の脚は止まりません。自分の存在理由がすぐ近くまで迫っているのですから。



 目的地まであと少しという所までユウキのスマートフォンが鳴ります。発信者は確認するまでもありません。

「……もしもし」

『やぁ、気分はいかがかな』

「あなたから電話がかかって来るまでは最高でしたよ」

 ユウキが悪態をつくと、電話口からクククと笑い声が聴こえてきます。

「それで、用件は? 簡潔かんけつにお願いします」

『おや、随分せっかちだね。君を助けたのは私なのに、少しくらいは敬意を持ってもらいたいんだが』

「恩義はあっても返す気にはなれませんよ。敬ってませんから」

 怒気どきの混じった溜息ためいきがユウキ口かられます。通話相手の言動がしゃくに障るからでしょう。

『まぁいい、本題に入ろうか』

「是非」

『私や部下達がそちらへ向かえなくなってしまった。だから現地では君だけだ』

「……はい!?」

 数秒の間に言葉を反芻し、ようやくユウキの口から出たのは驚きでした。

「前の話と違います!」

『私にとっても不測の事態なんだよこれは。忌々しいことに拒絶されてしまう。無理矢理入ってもいいんだが……数少ない部下がちりになってしまってね』

「塵……」

『あぁ、君は問題ないよ。仕組み自体はわかっているからね。なに、君が問題なく敷地内に入れれば、私の目的は達成できる』

 軽々しく言ってのける通話相手に、ユウキの精神は辟易へきえきしてきました。

『君は私が認めたんだ。後継者とする程に。だから安心してくれていいよ、鑪場 幽鬼たたらば ゆうき君』

「はぁ……わかりましたよ、八雲やくもさん」

 ユウキ……幽鬼の通話相手は鑪場 八雲でした。彼の身勝手な目的の為に幽鬼は人で無くなり、勝手に新たな鑪場の後継者とされてしまったのです。

『以前から言っているが、私の目的が果たされたら君は自由だ。後継者というのも仮だからね。思い出の子とやらを探すといいよ』

「えぇ、そうさせてもらいます」

 通話を切ると、手の中でスマホの画面がバキバキになっています。これ以上、連絡手段として使うのは厳しそうです。

「別にもういいか……」

 力をめるとバキリと音を立て、スマホがバラバラと崩れていきます。しかし、幽鬼の手には傷一つありません。

 視線をスマホから眼前に向けると、幽鬼の視界は目的地をとらえていました。そこは珀達の通う学校です。

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